確認行為で苦しんでいる人へ
電気のスイッチやガスの元栓や戸締りが気になって何度も確認行為をする人がいます。4,5回程度は、許容範囲だと思います。一旦出かけて、また引き返すようなことはたまにはよいと思います。しかしこれが頻繁になると、仕事や勉強や生活に支障が出てきます。確認行為で苦しんでいる人は、このような人です。普通の人はどうしているのか。出かける前は、クーラーや電灯のスイッチ、ガスの元栓、玄関ドア、部屋内の戸締りは、一応全部確認しています。目で確かめて「異常なし」と声に出すこともあります。ここでは確認に集中することが必要です。今きちんと確認しているという意識を持っことが大切です。うわの空で別のことを考えながら、確認行為を行うと、あとから「もしかしたら」という不安で苦しむことになります。ものそのものになり切って確認を行うことが肝心です。注意力散漫な確認は、精神衛生上やらないほうがよいようなものです。マンションなどでは、ガス警報器、火災感知器が設置されて、管理人室や警備会社に連絡がいきます。いざというときにはスプリンクラーが作動します。二重にセーフティネットが張られていることを忘れてはなりません。それでも心配という人は、電気でいえば不必要なところのブレーカーは切っておく。ガスでいえばチェッカーでガス漏れがないか確認する。ドアでいえば、隙間があれば施錠されているかどうか目視できます。手で3回くらい回してみれば、確かに鍵が確実にかかっていることが分かります。ここまでできれば、不安は解消されて、安心して出かけることができます。確認行為で苦しんでいる人は、必要な確認行為に集中していないのではありませんか。他の事を考えながら、ついでに確認行為を行っていることはありませんか。おざなりで確認行為を行っているために確認行為に自信が持てない。これでは確証が得られないで、不安が不安を呼び込むことになります。健康な人でもこんなやり方をとっていると、不安に押しつぶされてしまいます。そのうち鍵が締まったかどうかということから、注意や意識が離れていきます。これが問題です。物事本位から気分本位・観念中心に切り替わるのです。つまり観念の世界で不安や不快感を取り去ることに神経を使うようになるのです。確認行為は目の前の出来事に注意や意識を向ける必要があるのですが、そこから意識が離れてしまうのです。そしていかにして不安や不快感を取り去るかということに神経を使うようになるのです。本末転倒です。森田理論でいうと、手段の自己目的化が起きているのです。ミイラ取りがミイラになったようなものです。そして精神交互作用で、蟻地獄に落ちていきます。森田では神経症的な不安は、欲望があるから発生しているとみています。ここでの不安は欲望とセットで見ていかないと、問題は収束していかないということです。欲望から目を離してはいけない。車でいえばアクセルを踏み込むことを第一優先順位と考えるということです。次に適宜必要に応じて、ブレーキを使って安全運転を心掛けるということになります。確認行為で苦しんでいる人は、とりわけ安全に対する欲望が強い人だと思います。それは素晴らしいことです。災害に巻き込まれない。例え巻き込まれても被害が少なくなる。問題は自分の気になる1点だけに集中して確認行為を行っていることです。安全といえば、身体的な疾患、精神的な疾患、地震対策、交通事故、天候異変に対する熱中症や土砂災害、大型台風の襲来、食料不足、オレオレ詐欺、強引な電話勧誘、ウィルスやスズメバチなどの危険な生物、人間関係の悪化など、我々の安全をおびやかすものに囲まれて生活しています。これらに万遍なく注意を向けて、きちんと確認行為を行い、リスクの軽減を図り、安全な生活を作り上げることが肝心であると考えます。