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今日のあさイチの発達障害の特集をいちご(娘)と一緒に観ました。
いちごと「いっしょだね~。あるある」と言いながら 発達障害あるあるを共有していました。
情報を視覚化する環境を整えて、自分の感情を抑えている お母さんの努力がすごいと称賛されていました。
朝の支度の順番を絵で視覚化してホワイトボードで表現したり 忘れ物をしないようにあらかじめ書いてあったり、 気持ちが落ち着かないときは筆談をしたり。。。
数々の工夫をされて、療育としての 生活環境を整えていらっしゃったんだな~と思いました。
めんどくさがりないちごには、数日で効果がなくなります。
いつしか部屋の風景の一つと化し、見ることもなくなりました。
そして、いやがって何もしない。
療育としてやった手法の時期が、いちごに合わなかったのかもしれないと思い 何度か時期を変えて、手を変え品を変え、いくつもの療育の手法を試してきました。
今のいちごは、気持ちの切り替えはできるようになっているのかもしれません。
発散できずに抜毛症になってしまっているのです。
原因がしぼれないし、わかりません。
発達障害の中での優等生として重圧を与えてきたのかもしれません。
葬式から帰宅してすぐに受けた統一テストが いちごの予想をひどく下回り、あまりのショックだったのか その時期以降のテストは学校も塾も芳しくなく。。。 もちろん勉強のストレスも相当あったのでしょう。 日々の学校や塾や家での生活の不満や疲れもたまっていたのでしょう。
二次障害にいってしまったのです。
だから、空気は読めなくても、自分の気持ちの揺れ幅がとても大きいのだと思います。 でもその揺れ幅を解消する手段があまりにも少なすぎる。 あさイチに出演されたご家族のご苦労は察するに余りあります。
これでは本当に疲れてしまう。疲れてしまって当たり前だと。。。考え込んでしまいました。
その次の面談で、今の私にはそのカウンセリングを受けることによるダメージのほうが大きい と家族のことをたくさん抱えて、体調もよくないのに、 さらに自分に向き合っていく自分のためのカウンセリングは もっと体調を悪くするかもしれないので、 いちごのことが解決してから、私の体調が回復してからにしましょう。
先生の見立てでは、私自身に問題解決能力がないとは思わないのですが、 ただ抱えていることがあまりにも大きすぎて重すぎて、 それに耐えられずにぱたっとなってしまうと思っているので、 カウンセリング自体はいらないと思います。とのことでした。
まず、周りに助けてもらえる環境を作ることを考えてみましょう。 定期的に私の母に来てもらって、いちごとの間に入ってもらうこと。 主人にもいちごとの間に入ってもらうこと。 できるだけ、周囲に助けを求めて、まずは私が元気になることからはじめましょう。
でも、今はなぜか素直にSOSを出すことができるようになった。 親に対する娘のメンツなどもあり、自分でなんとか努力してきたけれど、そのメンツも捨てて、 もう限界だということを伝えられた。 主人にも助けを求められた。来週、学校の個人面談があるのだけれども 仕事を早退して一緒にきてくれるらしい。
自分で自分の世界の規律を作らせて、楽しいことを増やす。 要するに、いちごが楽しいと感じる生活とはどんなものかを知り 受容することが、今の私の最善の策なんだろうなと思う。 ある意味、療育に関してはもうやり切った感があり、 これ以上は無理だし、そもそも私は療育を通していちごを 定型発達の子と同じように育てられるようになると 誤解していたのかもしれない、なんて今更ながらに思う。
いちご本来の人間性や生き方、考え方を否定してしまっていたのかもしれない。
早期療育に効果がある。療育ができなくなる時期がきてしまう前に療育を。 そんなうたい文句に流されていたのかもしれない。
でも、療育で定型発達の子供にできるわけではない。 定型発達の子とうまくやる術を教えるだけでも違うのかもしれないけれど それが、逆にストレスになり、二次障害になったら、元も子もない。
たくさんの本にそう書かれていた。
二次障害になってしまう可能性もあるのだと。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2017年07月24日 15時50分59秒
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