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おねぇのひとりごと

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ハワイ市場 ハワイ市場さん
2018年02月10日
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カテゴリ:カテゴリ未分類

昨日から37度台の発熱で頭痛と倦怠感を訴えるいちご(娘)


インフル検査を受けられる24時間には達していなかったけど

日曜日と祝日を挟むので、お昼までのぎりぎり診療に滑り込んで

インフル検査を受けました。


インフルA確定!

予防接種しているからきっと高熱にならずに済んでいるんだろうな。

クラスでも予防接種が足りなくて受けていない子もかなりいるらしく

来週は学級閉鎖か!?のレベルです。


でも、いちごにとってはちょっと心を休めるには

いいタイミングだったかなって思います。

学校でもいろいろあるようだし、「死にたいって思うことがある」

って言うようになってきてもいたから。


きっと定型の子供にはどうってことないことでも

いちごの処理能力のキャパでは心に傷が入り、

中の苦しみが、しみだしてきているような気がする。


主人の言動もやはりいちごを傷つけているし

それを言ってもやめられないし、やめない。

(要するに自分の考え方、見方を変えることが難しいから

 いちごを傷づけているってことにはなっていないと思っている)


その辺りも含めて、私のいろんなことも含めて

主人にいろいろと話をした。


今までは、傷ついたいちごをフォローすることで対応してきたけれど

せめて、家の中では安全な場所にしてあげたいし、しなければならない。

私一人だけが空回りするのではなく、主人の機嫌をとるまえに

私がすべきことは、いちごと私のことについての理解を深めてもらえるように

努力することだと気が付いた。

そして、最終的には私と主人の二人で、いちごを守れるようにしたい。


主人に、いちごの現実をみよう、理解しようという気持ちを自然に持てるように

私もいちごのことを伝える努力をしなくてはいけないんだと

改めて、思った。


なぜなら、やはり前回話した発達障害の内容を忘れている

もしくは別の解釈に変わっていたりしていることがわかったからだ。


折をみて、いちごの現実を伝えていく必要がある。


主人は「誰もが努力できないんじゃなくて、努力してできるようになるんだよ」

という。「できないのは努力が足りないだけだ」とも。

いちごに「はげ!」「おばかちゃん」って言うことで

いちごは激しく傷つくのだけれども、主人からすれば、

「言われたくなければ髪をぬかないようにすればいい。やることをやればいい」

そう言って、できないいちごを責め続ける。


髪を抜きたくない。毛根を食べたくないのに、抜いて食べてしまうことをやめられない。

集中して勉強したいのに、注意散漫になってしまってできない自分がつらい。

いちごにとっては、これらのことは、努力してできるものの対象ではないのだ。

そこがどうしても理解しがたいと主人が言う。

そう。努力してできる人、やめられる人にはそのできない行為自体が認められないし

そんな人もいるんだと、ありのままを受け入れることまでもできなかったりする。

いちごや今の私は、努力してできることとできないことが確実にある。

一生懸命やっているのに、できなくて苦しくて

もがきつづけていることがたくさんある。


主人は今までそんな部類の人間を否定してきた。

やれば必ずできるようになる。我慢もできるようになる。耐えることもできるようになる。

それができないのは、ただ努力が足りないだけだと。


よくよく話を聞いていくと、主人は、努力が足りなくてできない人に興味はないからという。

要するに。できない人がなぜできないのかの理由を知ることすら興味がなく過ごしてきたわけで

できない人が本当に努力をすればできるようになるかどうかまでを知る機会すら

自分で持とうともしなかったということになる。


そんな主人に私は言った。

「やろうと思って、必死に気持ちで努力しても、体が反応してできなくなる部類の人たちのいい例が

 あなたの目の前にいるこの私だよ。そしていちごも私と同じ部類の人間なんだよ。

 そういう人がいるってことを、その存在を知ってほしいし、できれば認めてほしい。」


私は小さいころから、今のいちごのようには、親に面倒をみてもらっていないと思う。

3人兄弟だったし、今の10歳のいちごの年の時の私は9歳年下の1歳の弟の面倒をみていたから

いちごのように手厚く接してもらった記憶はほぼない。

美味しいごはんを毎日作ってもらった記憶だけはしっかりあるけど

何かというと、「お姉ちゃんなんだから」と叱られていた気がする。


そう思うと、いちごのように手厚い対応をしてもらえる環境になかったし、

それ以前に定型として自分でできていたことも多かった。

学生時代もそれなりに親には相談せずに対処してきた部分が多かった。

社会人になっても、結婚してからも、どこか人に助けを求めてはいけないような

自分でやることが人として当たり前のような気がして

最後は根性だけで生きていた。


でも、それは間違っていた。

もっと、周りを頼ってよかったんだ。頼るべきだったんだ。

こんなに精神疾患が長くなったことで、ようやく気が付いたことが

人に頼って生きることも、大事な生きるスキルの一つなのだと。


だから、いちごにはできるだけ周りの人に言えるように、

私も周りの人の力を借りて子育てをするように、シフトチェンジした。


できない自分を受け入れて、できるところはやるけれど

できないときは助けを求める。


いちごにはそんな生き方が大切なんだと、今の私は教えている。

だから、主人の「努力するんじゃなくて、とにかくやるんだよ。必ずできるんだよ」

って言える人はうらやましい。

できない自分をどうにかしてできるように仕向けてきたんだろう。

もしかして、本当にできないありのままの自分に出会ったことがないのか

できない自分を受け入れる機会がなかったんだろう。


できない自分を認めるというか

ありのままの自分を認めるって本当に難しい。

「今ここにいる自分」をありのまま受け入れることから

心理学の世界は始まるから。


よく、病気をしてから健康のありがたみがわかるみたいなもので

自分の経験にないものに対する理解は、人間にとって相当難しいから

最初は傲慢な態度をとってもしかたない。


でも、いつかはそんなひともあんなひとも

いろんなひとがいるから、みんなが楽しくなるねって言える世界が来てほしい。


人に伝えるのって本当に難しい。

でも、今日は少なくともひとつは主人と私で共通の理解ができたと信じたい。


主人にありのままのいちごを受け入れて、楽しく応援してくれるようになってくれたら

それが今の私の願いです。






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最終更新日  2018年02月10日 23時27分14秒
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