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テーマ:時に古墳を巡ることぞ。(195)
カテゴリ:アロウの私生活。
電車で移動して少し歩いて日本ハリストス正教会へ。ちょっと感動する趣だよな。 自治独立が認められている正教会所属教会のひとつで、ハリストスは「キリスト」の意みたい。 「ニコライ堂」は通称であり、日本に正教会の教えをもたらしたロシア人修道司祭(のち大主教)聖ニコライに由来するとな。 現在の姿は関東大震災で被災した後の1929年に修復されたものらしい。100年前じゃん! 続いて史跡湯島聖堂へ。1970年代に日本テレビで放送されたドラマ「西遊記」では大成殿がロケ地となったらしい。 徳川五代将軍綱吉は儒学の振興を図るため、元禄3年(1690)湯島の地に聖堂を創建して上野忍岡の林家私邸にあった廟殿と林家の家塾をここに移しました。これが現在の湯島聖堂の始まりです。その後、およそ100年を経た寛政9年(1797)幕府直轄学校として、世に名高い「昌平坂学問所(通称『昌平校』)」を開設しました。学校なのかな? 創建は古く、雄略天皇2年(458)と伝えられる。 太田道灌が再興、徳川家康は江戸入りの際、神領五石を寄進している。 菅原道真を祀るこの神社は、学問の神様として別名湯島天神としても広く知られている。 湯島聖堂構内に飾られている世界最大の孔子像は、1975年(昭和50年)に中華民国台北ライオンズクラブから寄贈されたものである。孔子像の他、孔子の高弟たち、四賢像(顔子-顔回、曾子、思子-子思、孟子)が安置されている。このサイズで世界最大なんだ。 続いて神田神社へ。正式は江戸総鎮守 神田明神だ。 神田明神は、東京都千代田区外神田二丁目にある神社。正式名称は神田神社。 神田祭を行う神社として知られる。神田、日本橋、秋葉原、大手町、丸の内、旧神田市場・築地魚市場など108か町会の総氏神である。この地域では「明神さま」と言われるそうだ。 社伝によると、当社は天平2年(730)に出雲氏族の真神田臣(まかんだおみ)により武蔵国豊島郡芝崎村―現在の東京都千代田区大手町・将門塚周辺)に創建されました。 その後、将門塚周辺で天変地異が頻発し、将門公の御神威として人々を恐れさせたため、時宗の遊行僧・真教上人が手厚く御霊をお慰めして、さらに延慶2年(1309)当社に奉祀いたしました。戦国時代になると、太田道灌や北条氏綱といった名立たる武将によって手厚く崇敬されました。 慶長5年(1600)、天下分け目の関ヶ原の戦いが起こると、当社では徳川家康公が合戦に臨む際、戦勝のご祈祷を行ないました。すると、9月15日、神田祭の日に見事に勝利し天下統一を果たされました。これ以降、徳川将軍家より縁起の良い祭礼として絶やすことなく執り行うよう命ぜられました。 明治時代に入り、社名を神田明神から神田神社に改称し、東京の守護神として「准勅祭社」「東京府社」に定められました。明治7年(1874)には、はじめて東京に皇居をお定めになられた明治天皇が親しく御参拝になり御幣物を献じられました。 大正12年(1923)、未曾有の関東大震災により江戸時代後期を代表する社殿が焼失してしまいましたが、氏子崇敬者をはじめ東京の人々により、はやくも復興が計画され、昭和9年に当時としては画期的な鉄骨鉄筋コンクリート、総朱漆塗の社殿が再建されました。 昭和10年代後半より、日本は第二次世界大戦へと突入し東京は大空襲により一面焼け野原となってしまいました。当社の境内も多くの建造物がほとんど烏有に帰しましたが、耐火構造の社殿のみわずかな損傷のみで戦災を耐えぬきました。 で神田神社は、国土開発、殖産、医薬・医療に大きな力を発揮され、国土経営、夫婦和合、縁結びの神様として崇敬されています。 さらに、商売繁盛や恋愛成就など数々のご利益があり、パワースポットとしても人気です。もう何でもありなのよ。 さらにこの神様、祖霊のいらっしゃる世界・幽冥(かくりよ)を守護する神とも言われ、大国主命(おおくにぬしのみこと)という別名もお持ち(おおくにぬしのみこと)という別名もお持ち。お~あの天照大御神の子孫だね。もう何でもありなのよ。 時にこの神田神社には、開運守りや商売繁昌守り、安産守りなど60種類以上ものお守りが揃っています。有名なのが「勝守(かちまもり)」で、 徳川家康公が神田明神で祈願し、関ヶ原の戦いに勝利したことに由来するお守りです。もう何でもありなのよ。 神田明神を崇敬する者は、「成田山新勝寺」を参拝してはいけないというタブーがあるらしい。学問の神様・菅原道真を祀る太宰府天満宮と春日大社が敵対関係にあるとされています。なるほどセットでお参りしたいね。 知れっと「銭形平次」と彫られた自然石の石碑もあります。原作者の野村胡堂と888話も続いたギネスに乗っている長寿番組の功績を称えるために、出版社や映画会社、テレビ局、俳優、作家たちが発起人になって造った石碑なんだとか。もう何でもありなのよ。 架空の人物だった銭形平次は、神田明神下の長屋に住んでいたという設定だったそうな。結局なにがしたいんだ神田神社よ。東京の中心にいろいろ集めて、昔はこういう場所も必要だったんだろう^^。 サイゼのちょっと飲んで帰宅へ。キャットにポテト1個の残しといたよ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Jun 28, 2024 11:50:20 PM
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