春日山城跡の天守・本丸跡地をもう少し深堀。
天守閣跡地は↓の写真を見て頂けるとわかりますがシンプルです。
ただ碑が立っているだけ。
歴史的な遺物を紹介する看板すらない状態です。
また今年元旦に起きました地震の影響か、上越市を見下ろす崖側が一部立入禁止になっています。
新潟市の方が被害は凄いみたいですがこちらもしっかりと被害が出ているのですね。
次に本丸跡地。
こちらの方が遺跡らしさがあります。
子供の頃に地元の歴史的跡地へ行った事がありますがそれと似た感覚を覚えます。
では恒例の立て看。
南隣の天守台とともに春日山城の「お天上」と呼ばれたところ。
標高一八〇メートルの本丸からは、
かつての越後府中(直江津)と周辺の山々の支城跡や日本海が一望できる。
関川右岸に広がる、林に囲まれた村落が点在する風景は、慶長二年(一五九七年)の「越後国絵図」に描かれた中世の景観とほとんど変わらない。
…今回AIさんが不発でしたのでセルフで打ち出しました。
これだけ文章ないんですが久々にコピペやったのでつらい。
もう1つありますのでこちらも載せます。
こちらはAIさん、お仕事をしてくれたので大助かり。
史蹟春日山減到
說明
附近の属岐を充分に庭認するこ 頂上は降と称し眺望に富み 重らで比筒に勢成を示した 九、のれをその下に配し上選後を あった。この山上に本丸と出たの にあて、上校様虎石現地で 須紙平野の北に位置する春の山上
言丸方面には家臣の受終止想 勝教紐等があって、南方の云九 があった。また古方には侵控堂景 く、その北方に毘沙門丸及び編花相 があって夏でも水の枯れることがな 本丸趾の後方一段低い所に大井る
とが出来た。
規模は極めて顔大である。
あった
文部省
…いや、これどうなんだ?
ちょっと↓に元の立て看を載せますので各自でご確認を。
さて他にも「土の一袋運動」なるものもあります。
こちら、上越市のホームページからコピペさせて頂きます。
戦国時代を代表する山城である春日山城は、一般的にイメージされる天守閣を持つ城ではなく、石垣さえ存在しない、「土の城」です。その本来の姿は、地形を巧みに利用して曲輪や空堀、土塁を造りあげたもので、その土木工事の粋、言い換えれば「敵に攻められにくい」という山城ならではの構造こそが、守るべき特質であり、最大の魅力です。土の一袋運動は、廃城後400年あまり経ち、長年の風雨で土砂が流出して風化が進む春日山城の修復に役立てるため、訪れた方々と協働で一袋の土を運ぶ地道な活動です。平成11年から開始し、現在は、次世代を担う地元の小中学校が伝統行事として積極的に取り組んでくれています。
「土の城」春日山城を守るには、雨水などの水処理がとても大切です。近年の集中豪雨により課題となっている水回りの改善などに役立てるため、「土の一袋運動」への御協力をお願いします。