2011/03/14(月)00:23
地震
地震について書くべきか・・・何の被害も受けなかった金沢のフサBです。
当日は、例によって体調不良で会社をお休みしており、強烈な眠気で寝てました。
息子が飛んで帰ってきて
「地震があったよ!」
といい、テレビをつけた・・・
え・・全然揺れた感じがしなかったよ?いつもの私なら、ちょっとでも揺れれば飛び起きるのに?
と、寝ぼけ眼でテレビを見たら、まさに津波が町を襲っているありえない映像・・・
どういうこと?
これ、日本の絵???
もうその後は、どんどん増えてく使者行方不明者・・・
それでも1日目はまだ、阪神淡路の時ほどのものではないように感じてた。
あの時大学生だったけど、その時のことを思い出していた。
静岡の大学だったから、関西方面出身の子たちが大学内の公衆電話に列を作っていた・・・
ケータイなんて、持ってる子はいなかった。
でも、結局今もケータイは通じず公衆電話に列ができて、あの時と同じ光景。
それよりも、この同じ日本で、今起こっているんだ。
たくさんの命があっさりと消えてしまったことが悲しい。
残された人たちの心を想うと辛い。
今もどこにいるのかわからない大切な人を探している人たちは、どんなに苦しい時間をすごしているだろう。
なのに、金沢はいつも通りで、平和で、しかも天気も良くて洗濯物を干し、いつも通りにたまこは習い事に行き、玉太郎はゲームをしてるし、私たちはいつも通りの生活をしている。
なぜだろう・・・
阪神淡路の時にも、なんとかしたいと思いながら募金しかできなかった。
今の私には、やっぱり募金しかできないと思う。
他に何ができるんだろう?
そして、次に大災害に見舞われるのは、自分ではないと、誰が言い切れるんだろう。
玉太郎に新聞を朗読し、この同じ日本で今何が起こっているのかを話した。
家をなくした人、亡くなってしまった人、その人たちは昨日まで私たちと同じように生活していた人たちだということ。
玉太郎やたまこと同じ歳の子供たちもたくさん亡くなっているだろうこと。
少しは伝わっただろうか。
改めて、もし万が一、家族がバラバラになってしまった時の待ち合わせ場所も確認した。
万が一が起こった時のシーンをいくつか想定して、リアルに考えさせた。
物心ついたころから地震に対する対策を叩き込まれてきた静岡人の私には、来る来ると言われながら来ない大地震、思いもよらない場所を襲う大地震に、不気味なものを感じます。
地震によって大変な状況で耐えている方々、大切なものを失った悲しみに耐えている方々、いろんな苦難に耐えている方々が、一刻も早くほんの少しでも安らぎを得られるようにと願います。