本当に勝利するということはいったいどういうことだろう?
それは相手を精神的に切れさせることである。
相手に精神的に完全に切れさせて勝負を途中であきらめさせてしまうこと。
メンタルで完全に勝利を収めること。
相手に絶対勝てないとコンプレックスさえ抱かせ敗北感を味あわせることること。
それが完全な勝利である。
審判が敵だろうが10人だろうが全く切れなかったイタリアは強者だった。
逆に、かつて1980年代の日本代表は、W杯アジア地区予選で、試合前から「勝てる気がしない」という日本代表選手がいる中で、韓国代表に挑む戦いをしていた。
今日12月15日、ジュビロ磐田は、高校生チームの国見高校を相手に敗北感を味あわせることが最後まで出来なかった。
国見の選手たちは最後までやれるぞ、いけるぞという手ごたえを掴み続けた。
国見のチームメンタルの強さ、逞しさは圧倒される。もちろんJリーグの中にあってのジュビロは圧倒的なメンタルの強さを見せるのだが、今日の国見のそれは守備面で高校生相手に守備をしているのか、自分たちがJリーグクラブになったつもりなのか、臆する事無くジュビロのGON中山や西にフィジカルコンタクト(体の当り)を繰り返し、それはボールの無いところでも集中して継続された。西に至っては国見のプレッシャーにボールキープの為に後ろ向きにドリブルし展開する場面も見られた。
もちろん国見の攻撃に関してはジュビロ選手との一対一の局面で「抜く間合い」をつかめずに遅い仕掛けや多いタッチをとってしまいスピードが遅れ怖くない攻撃になってしまった。
しかし国見はそういった内容での唯一の得点源、セットプレーにおいて得点しそうな匂いまではこぎつけた。
国見高校の選手たちにもっと自分たちが成長すればこのチームでジュビロともヤレルという自信と手ごたえを与えてしまった。
しかし高校チームは3年生で卒業解散だが。
ジュビロとしては高校生相手にこんな得点差、試合内容、高原無得点という結果でよかったのだろうか?
・・・ジュビロとしては天皇杯で優勝すればよいのである。たとえ国見にPK戦で辛うじて勝利を収めたとしても、5-0で勝ったとしても同じ事であるかもしれない。
しかし充分な休養を取って臨んだ試合、ファン・サポーターが取り囲むホームのジュビロスタジアムで、鈴木監督のホーム最終戦、高原のホーム最終戦、プロとして力の差を見せ付け遊び心さえみせながら余裕で勝って欲しかった。
国見の選手たちが最後まで切れずに戦った。小峰総監督、池田監督が試合を壊させず(大差をつけさせず)最後までいい試合運びのプランを実現させた。アウェイで前半0-1後半0-1である。ジュビロ選手に野次の飛ぶであろうホームの長崎県国見町町民グラウンドでやっていたら1-0で終わっていたかもしれない。
ほんとサッカーとは深いものだ。それに高校生の度胸に驚かされた。
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