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2005/07/20(水)16:59

友好平和への代理戦争 東アジア地獄の戦いスタート

A代表(127)

東アジアサッカー選手権大会2005 決勝大会 (2005年7月31日~8月7日、韓国で開催) 東アジア選手権に選出された日本代表 団長 釜本 邦茂  ああ今はこういう仕事されたらしたのね。Jでは元ガンバ監督、JSL現役時代はヤンマー現セレッソ大阪。日本が世界に誇る元本格派ストライカー。当たりに強い体を持つだけでなくポジショニングや左右とヘッドの技術、自分のゴールの形、「ゴール前右45度」「ニアポストヘ強く叩き込む右足」「切り替えして左足」「どんなロングボールも胸トラップし足元に落としシュート」という世界的なゴールの形を持っていた。メキシコ五輪得点王。ジーコスタッフ・選手をマスコミや協会、政治的障害から守る立場にある。 監督 ジーコ  本名アルトゥール・アントゥネス・コインブラ ジーコは愛称。あだ名は白いペレ、痩せっぱちのジーコ。1180試合826ゴールはまさに神。フラメンゴで計画的に肉体改造(当時ブラジルで行われた才能ある選手を科学的に身体能力強化させる食事トレーニング計画など総合育成計画)をうけた。身長172cm1953年3月3日生まれ現在52歳。情熱家。イタリアでの選手経験とブラジルでの大臣経験から、アジア杯での発言のように国際政治的考慮も卓越。中国人記者との問答は老練で胸のすく思いだった。  監督としては選手の才能を引き出すことを信条とする。選手に信念を持った大人であることを望む。一方で非情な決断力を併せ持つ。ブラジル代表では副監督としてフラメンゴ恩師のザガーロ監督とロナウドの件で対立退席。ロマーリオを外した件にしてもスター選手に一切特別扱いせず。そのため一部の批判の声も存在する。 テクニカルアドバイザー エドゥー   本名エドゥアルド・アントゥネス・コインブラ。愛称はエドゥー、小さなエドゥー。身長164cmという小柄なサッカー選手だった。アントゥーネス家の三男。末っ子ジーコの兄。(長男のゼッカ(ジョゼー・アントゥーネス)が家族の生活のためサッカー選手になったが、ジーコといい家が貧乏で小さい頃たくさん食べられなかったのではないか。)  選手として15歳の契約から15日でプロの試合で活躍という伝説を持つ天才少年選手。小柄ながらショートドリブルと決定力を持つ本物のファンタジスタ。1969年ブラジル得点王。ブラジル代表歴2試合、小柄な事と所属クラブの政治力が小さかったため代表に縁が薄かった。  監督としてヴァスコ・ダ・ガマなどを率いこれが評価され、ブラジル代表監督に就任したが3試合のみ。名将との噂は国際的に広まりイラク代表監督に就任しイラクを1986年のワールドカップへと導いた。しかし、フセイン家の干渉を拒絶し本大会前に代表監督辞退となった。  ジーコの兄だがブラジルでは監督経験豊富な名将として知られていた。日本では第一次世代交代時期のカシマ監督時代の采配で地味なイメージとなっている。が、ジーコの兄でなかった方が正当に名将として評価されたのかもしれない。才能発掘や選手育成、中期的強化策に定評がある。そのため縁の下の地味な評価となってしまっている。選手としても監督としても才能溢れるエドゥーだったが、どうも不運であと一歩という感が否めなかったのは、弟ジーコの光が強すぎるせいだろうか。アントゥネス家というのはブラジルでも有名なサッカー一家だが長男ゼッカ氏を始め全ての家族が末っ子ジーコを一番に大事にして守っている気がする。 フィジカルコーチ 里内 猛  カシマ時代からのジーコの信頼するフィジコでジーコたちと家族のような信頼と付き合いがある。セレッソコーチをしていたがジーコの代表監督就任と共に日本代表フィジコに招聘された。 GKコーチ カンタレーリ  フラメンゴ時代からのジーコの信頼するGK、GKコーチ。ブラジルでの選手として、コーチとしての輝かしい偉業は日本ではあまり知られていない。選手としてフラメンゴ黄金時代を担い、トヨタカップ優勝など世界制覇したGK。GKコーチとして選手を公平に扱いメニューは豊富、練習量もやや多め。日本でもカシマ時代の佐藤洋平、古川昌明の心技体全てを強化育成。フラメンゴ、コリンチャンス、サウジアラビアではさらに多くの名GKを生み出している。ジュビロの佐藤洋平の直向さを観ているとそれがわかるだろう。 選手は・・・ ポジション名前 生年月日 身長 体重 所属 国際Aマッチ試合数・その出場のうちのゴール数 GK 川口 能活 1975.8.15 179cm 78kg 磐田 76・0 楢崎 正剛 1976.4.15 185cm 76kg 名古屋 48・0 土肥 洋一 1973.7.25 184cm 84kg FC東京 2・0 DF 宮本 恒靖 1977.2.7 176cm 72kg G大阪 56・3 中沢 佑二 1978.2.25 187cm 78kg 横浜 36・7 田中  誠 1975.8.8 178cm 74kg 磐田 25・0 加地  亮 1980.1.13 177cm 73kg FC東京 32・0 三都主アレサンドロ 1977.7.20 178cm 69kg 浦和 56・5 三浦 淳宏 1974.7.24 175cm 73kg 神戸 25・1 茶野 隆行 1976.11.23 177cm 74kg 磐田 5・0 坪井 慶介 1979.9.16 179cm 67kg 浦和 24・0 茂庭 照幸 1981.9.8 181cm 77kg FC東京 3・0 MF 福西 崇史 1976.9.1 181cm 77kg 磐田 51・6 遠藤 保仁 1980.1.28 178cm 75kg G大阪 34・3 小笠原満男 1979.4.5 173cm 72kg 鹿島 39・5 本山 雅志 1979.6.20 175cm 66kg 鹿島 22・0 阿部 勇樹 1981.9.6 175cm 68kg 千葉 1・0 村井 慎二 1979.12.1 174cm 70kg 磐田 0・0 今野 泰幸 1983.1.25 178cm 69kg FC東京 0・0 FW 大黒 将志 1980.5.4 177cm 74kg G大阪 9・4 玉田 圭司 1980.4.11 173cm 63kg 柏 29・7 久保 竜彦 1976.6.18 181cm 73kg 横浜 26・8 田中 達也 1982.11.27 167cm 63kg 浦和 0・0 東アジア選手権でジーコ監督がこのメーンバーを選んだということは、いつもの経験豊富な選手でガチンコで優勝ねらって戦うと思われる。しかし開催が韓国なので審判や選手のプレーで荒れた試合も多くなるだろう。  しかしなんで日本はこの大会に参加するのだろう。北朝鮮、韓国、中国と戦って、怪我したり遺恨が残る心配はあっても友好や相互理解につながるのかサポーターやファンは懐疑的なのではないだろうか。特にアジアの審判というより、公平な状況で試合が行われるとは思えない。ACL(アジアクラブ選手権)を戦ってるのを見てもそれは顕著。それでもやらなければならないのは、ワールドカップを韓国と共催したのと同じ理由で、本来、政治がやらなければならないことをサッカー交流が代りに担っているのだ。  願わくば、中国韓国のサポーターはスタジアムに政治を持ち込まないで欲しい。まあ無理か。  メリットとしては、アジア杯を戦ったジーコは計算づくだろうが、アウェー極限状態でしか得られない選手のメンタル能力の飛躍的向上と才能の覚醒。これを期待する。世界一の強いメンタルでドイツW杯に臨んで欲しい。

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