今日、とある人がうちに来る。
その人は僕が小学5年生の頃に、相談室というところで先生をしていた人だ。
この話だけ聞くと、何だか懐かしくていいことのように感じるかもしれない・・・
でも・・・・・・・実際この人とはいろいろな事があった・・・。
だから・・・・・・・・・・・・・・・・・・
正直に言うと、今かなり緊張している。。
そのせいか、普段とちょっと話し方が変わっていると思うし
かなり長くなるかと思いますが
気にしないという方だけ読んでやってください・・・!!
とりあえず、話を戻すと
僕は小学3年生の時から、相談室というところへ通っていた。
その部屋は、普通学級に入ることのできない子達が通うところで
いわゆる「不登校」になりそうな子達が通っているところだった。
僕は小学2年生の夏から体調を崩し、段々学校へ通えなくなっていった。
でも、その相談室と言う場所と出会ってからは、楽しく学校へ通うことが出来た。
もちろん、嫌な事や辛い事はたくさんあったが
同じ悩みを持った子や、そんな子達を認めてくれる素敵な相談員の人がいてくれて
僕はとても楽しかった。
小学校3~4年の時が小学校生活の中で一番幸せだったように思う。
その部屋には少人数しか通っていなくて、僕と同じ年の子はいなかった。
殆どが僕より2つか3つ年上の人たちばかりだったが、僕は幸せだった。
僕達を認めてくれる相談員の先生(ホントは教員免許を持っていないので、本人は先生と呼ばれることを嫌がっていましたが・・・)、
僕達と関わりが深かった優しい保健室の先生や適応指導教室の先生、僕達を理解して相談室を残してくれた校長先生・・・
そして、大切な仲間に囲まれて、僕は本当に幸せだったと思う。
でも・・・・・・・・・・
急に・・・、本当に急にその環境は変わった。。。
僕の大好きで、大切だった仲間が全員、卒業式を迎えた・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
でも、僕は仕方がないことだと思った。
こればっかりは、いくら校長先生に頼んでも解決できないものだとわかっていた。
悲しいけど、みんなにはみんなの人生があるんだから・・・と
いつまでもいつまでも、仲間に頼っていてはダメだ・・・と
これからは僕一人でも頑張っていこう・・・と思い、自分を納得させた。
でも、変わってしまったのは仲間だけじゃなかった・・・・・・・・・。
保健の先生、適応指導の先生、そして校長先生。
僕が必要だと思っていた人が全員いなくなった。。。
でも、しばらくしたら慣れていった。
と言うか、無理にでも慣れなきゃと思った。
しかし・・・・・・・・・・・・・状況はさらに悪くなった。。
僕が一番いなくならないで欲しいと思っていた相談員の先生が・・・・・・・・学校を辞めるかもという話を聞いた・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
何でも、旦那さんが体調を崩されて、働けなくなってしまったらしい。。
でも正直、僕は自分勝手だから理由なんて、どうでも良かった・・・・
ただ辞めないで欲しいと強く心の中で祈っていた・・・
でも・・・・・・・・数ヵ月後にその人は辞めてしまった。。
もう・・・僕は一人だと思った・・・・・・・。
それからすぐに新しい相談員の先生が来た。
この人が今日、うちに来る事になっている先生である。
昔、養護学校で先生をしていたらしく、一言でいうと「とても先生らしい先生」だった。
勉強に関しても、遊びにしてもとにかく真面目に取り組む人だった
辞めた相談員の先生は「先生ではない先生」だった。
その人は、うまく言葉では説明できないが、一緒にふざけたり愚痴を言ったりということが自然に出来る人だった。
環境が変わりすぎて、正直僕はかなり混乱していた。
でも、僕は先生の言う事をとりあえず真面目に守って勉強をしていた。
その新しく来た先生は、僕を学級復帰させようと必死で頑張ってくれた。
いつも学級と関わりと作っては、僕をソコへ入れようとしてくれた。
学年で行く、一泊二日の合宿にも、行く事を渋っていた僕を参加させた。
一応、無事に帰ってこれたし、思い出のようなものも一応作れた。
だた、そのあたりから自分の中に何かを溜め込んでいった・・・・・。
それからも、相変わらずそんな日々が続いた
僕を学級へ復帰させるために、勉強はみんながやっているあたりと同じ部分を僕にやらせた。
音楽や体育など、僕が参加できそうな授業には「付き添うから」と言って参加させた。
自分で言うのはどうかとも思うが、完璧ではないにしろ、僕はそこそこ頑張っていた。
ただ、勉強や授業に参加する度に、自分の中に何かを溜め込みながらではあった・・・・・・・。
更に時は経ち、季節は秋になった。
僕の学校では、5年生は毎年秋になると音楽祭のようなものに参加しなければいけなかった。
練習には当然僕も参加させられた。
そして、そのその前にある運動会の練習にも僕は参加させられた・・・。
自分の中で「このままだと音楽祭にも運動会にも参加させられる」。
そうゆう危機感が増えていった。「辛い時間がこれからはもっと増えるんだ」。そう思った。
そして・・・、自分の中に溜まっていくものを、これ以上増やせない事を僕は悟った・・・・・・・・。
金曜日、「また来週」と言って、学校を出た。
しかし、僕は月曜から学校には顔を出さなかった。。。
そのへんの記憶が曖昧なので、あまりはっきりしたことは言えないが、
その日を堺に僕は卒業式まで、一回も学校に顔を出さなかった。
親からは意外と何も言われなかった。
多分、親も僕が辛いということがわかったんだと思う。
初めのうちは、その先生から電話がかかってきたりしたが、しばらくしたらなくなった。
知り合いに聞いたところ、その先生は何となく自分のせいで僕が学校に来なくなったんだとわかっていたらしい・・・。
それから多分、半年後
その先生は学校を辞めた。
原因は・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・恐らく僕だ。
ただ、僕は当時小学校6年生になったばかりで
そのことについて、あまり考えないようにしていた。。
自分が勉強や教室に入ることが嫌で、逃げてしまったせいで
一人の人を退職に追い込んでしまったとはどうしても考えたくなかった・・・。
もちろん、その先生が原因で僕は学校へ行かなくなったが
他にもいろいろと理由があった、
それは勉強をしたくない、とか怠けたいという気持ちがあったからだと思う。。
そうゆう自分の弱さ・・・というか自己中心的な思いを全てその人に押し付けて
逃げてしまった。そのせいで、その人が思い悩んで学校を辞めた・・・・・
そう思い出したら、自分が最低な人間になっている気がした。。。
だから、そうゆう事から逃避して
僕はそのことについてあまり考えないようにしてきた・・・。
毎年、残暑見舞いや年賀状なども送られてきていたが、僕は返事を出さなかった。。
(親は出していたみたいです)
でも、突然その先生が僕に会いたいと言って来た。
親同士の集まりでたまたま僕の母親に会ったとき、そう言ってきたそうだ。
ちょっと遅いが高校の合格祝いを面と向かって言いたいそうだ・・・・。
でも・・・・・・・・・僕はどうゆう顔をして会えばいいのかわからない・・・・・・・。
謝ればいいのか、無言でいればいいのか、笑顔でいればいいのか、
母からこの話を聞いて以来、ずっと考えてきたが結局どうすればいいのかわからない・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
きっと、素直には謝れないと思う・・・・・・・。
けど、無言でいるほどの勇気はない・・・・。
でも・・・・・・
もし、その人が未だに僕に囚われてるのだとしたら
抜け出させてあげたいと思った・・・・・・・・・・・。
だから、今日詩に書いたとおり
あの頃から抜け出すために、僕はただ笑っていようと思う・・・・・・。
とりあえず元気ですって、とりあえず生きてますって、笑ってみようと思う・・・・・・。
僕も、その人も、あの頃から抜け出すために
僕は・・・・・ただ笑っていようと思う・・・・・・・・
では・・・・・・・・・・・・・・頑張ってきます。