2364864 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

カツラの葉っぱ 大好き!

台湾あれこれR4

<台湾あれこれR4>
出張で行った台湾とか、台湾映画とか集めてみました。

・道半ば
・海角7号(魏徳聖著)
・お言葉ですが・・・別巻2
・台湾初の女性総統にエール
・台湾旅行計画(工事中)
・『美麗島紀行』2
・フラガールとアリエッティ、そしてセデックバレ
・「トロッコ」に触発されて、司馬さんの「台湾紀行」を
・海角7号
・親中・反日?の新総統
・台湾料理はオイチー♪

R4:『道半ば』を追記


<『道半ば』6>
図書館で『道半ば』という本を、手にしたのです。
なんか既視感のある本であったが、まあいいかと借りたののです。帰って調べてみると9ヶ月前に借りていました。で、(その6)としています。

【道半ば】
道半ば

陳舜臣著、集英社、2003年刊

<「BOOK」データベース>より
歴史を語りつづける作家が自らの20世紀を綴る注目の自伝エッセイ。ペルシャ、オリエントへの憧憬。歴史のうねりの中で培った豊かな精神。作家としてデビューするまでの若き日々。
【目次】
幼い日々/海岸通の家/中山手と北長狭/進学/水害の前/舞い落ちる旗/太平洋戦争まで/戦いはじまる/海を渡る人たち/上八時代〔ほか〕

<読む前の大使寸評>
神戸や台湾を描いた陳舜臣のエッセイ集であるが・・・これもミニブームといっていいんでしょうね。

rakuten道半ば

『道半ば』1:過ぎ行く牧歌時代p218~220
『道半ば』2:神戸空襲前後p127~132
『道半ば』3:終戦直後の在日の台湾人p142~146
『道半ば』4:2月28日事件p243~247
『道半ば』5:学究時代p109~114



<海角7号(魏徳聖著)>
映画『海角七号』が2008年に台湾で公開されたので、この本は1年後に発刊されていたようです。
とにかく、文章で後追いしたくなる本では、あるでぇ♪

【海角七号】
海角7

魏徳聖著、徳間書店、2009年刊

<「BOOK」データベース>より
1940年代、日本統治下の台湾。若い日本人教師が、日本名を友子という台湾人の教え子と恋に落ちた。しかし、敗戦を迎え帰国を余儀なくされる。彼は日本に着くまでの七日間、海上で手紙を綴る―。60年後の現代。プロ・ミュージシャンになる夢に敗れたアガは、嫌々郵便配達のバイトをしている。ある日、アガは郵便物の中に、いまは存在しない住所・海角七号宛ての小包を見つける。それは60年前、日本人教師が恋人・友子に綴ったあの手紙だった―。

<読む前の大使寸評>
映画『海角七号』が2008年に台湾で公開されたので、この本は1年後に発刊されていたようです。
とにかく、文章で後追いしたくなる本では、あるでぇ♪

amazon海角七号
「海角7号」公式HP




<『お言葉ですが・・・別巻2』>
図書館で『お言葉ですが・・・別巻2』という本を手にしたのです。
パラパラとめくってみると、漢字に関する薀蓄がすばらしいのです♪

簡体字

台湾における文字改革を見てみましょう。
p188~193
<中華民国と中華人民共和国、それぞれの文字改革>
 いま日本では「台湾」と言っているが、これは地域名、つまりあのサツマイモのような形をした島の名なのであって、「台湾」という名の国があるわけではない。国の名前は「中華民国」というのである。

 この中華民国は、もともと中国大陸にあった。この国は、1912年に建国して、1949年まで37年間、「中国」というのはこの中華民国であった。

 でこの中国も、建国当初から、漢字はおいおいやめねばならない、という方針であった。そこでまず、日本の「かな」に相当する「注音字母」というものを作った。これは人口的に作ったものだから、「かな」より合理的にできている。一文字で一音節をあらわし、現在でも台湾では子どもの教育に使用されている。

 しかるにこの中華民国という国の37年間は、まことに多難であった。
 はじめは国内各地に割拠する軍閥とたたかい、つぎは侵入してきた強力な日本軍とたたかい、やっと日本がしりぞいたと思ったらこんどは革命を叫ぶ共産党とたたかい、とうとう負けて海に追い落され、台湾に逃げこんだ。なかなか言語政策の推進どころではなかったのである(結果としてそれがさいわいしたのであったが)。

 大陸のほうでは共産党が、「中華人民共和国」という国をうちたてた。いま日本で「中国」と言っているのはこの中華人民共和国のことである。
 共産党は新中国をうちたてると、すぐに文字改革にとりかかった。この点では中華民国がやろうとしてできなかったことをうけついだのである。

 共産党の文字改革の柱は二つある。一つは、漢字の簡略化である。これは、上にも言ったように、いずれ漢字は全廃する方針なのであるが、一挙にやるのは混乱をまねくので、うんと簡略化して当分使用しようというのである。それで新しく制定した簡略な字を「簡体字」あるいは「簡化字」と呼び、従来の字(つまり正字だ)を「繁体字」と呼んだ。

 もう一つは表音文字の制定である。中華民国が作った「注音字母」があるのだけれどそれは採用せず、別に「〇音羅馬字」というのを作った。これは、ローマ字、つまりアルファベットをもちいて中国語の音を書きあらわす方式である。中華民国の注音字母が日本語の「かな」に相当すとすれば、〇音羅馬字は日本語の「ローマ字書き」に相当する。

 共産党政府としては、遠くない将来漢字を全部やめてこの〇音羅馬字だけにする計画であったのだが、いまではその見こみはまったくなくなっている。

(中略)
<なぜ台湾にだけ正字が残ったか>
 台湾では、漢字は、従来のものがそのまま使われつづけた。
 これにはいろいろな理由がある。
 1949年以後の台湾は、人口の大部分は日本時代から台湾にいる人たち、およびその子供たちであるけれども、社会の上層、つまり支配層、指導層(政治家、官僚、軍人、学者、等々)は、元来台湾とは無縁の、やむなく台湾へ逃れてきた人たちである。つまり正真正銘の中国人である。

 この人たちには、自分たちの父祖の地である中国は、いまあの無知で凶悪な共産党の連中に占拠されているけれども、優秀な中国文化の伝統はこちらにある。われわれによって保持されているのだという意識がある。だから、大陸のほうで共産党が簡略字を作って流通させているからといって、それに追随するわけがない。いきおいこれまでどおりの字をそのまま使うことになる。

 それから、台湾へ逃げこんできてからの少なくとも十年か十五年のあいだ、この人たちは、そんなに長く台湾にいるつもりはなかった。軍事力をたてなおして、大陸に逆上陸し、共産党を倒して、もう一度中国全土を中華民国の天下にするのだと思っていた。

 であるから、台湾において、長い目で見た政策を立てたり実施したりする気はなかった。道路、空港、鉄道、港湾、学校・・・・、その他なんであるにせよ、軍備強化に直接かかわるものはもちろん優先整備せねばならぬが、それ以外は何ごとも、よほどの不都合がないかぎり、おおむね従来のままであった。

<日本語教育から「国語」教育へ>
まして言語は・・・・さあこの台湾の言語のこととなると、これはもう話がはなはだめんどうなのであるが、これもごくかいつまんで申しておきましょう。

 1945年の日本敗戦までは、台湾は日本の一部であったのだから、学校では無論日本語で授業をしていたし、官庁や会社でも日本語が使われていた。家庭や地域では、ふつうの台湾の人たちは、ビン南語を話していた(このビン南語を一般に「台湾語」と言っている。ビン南語は話しことばがあるだけで、それを文字に書きしるす方法はない)。台湾の人でも、上流の階層は家庭でも日本語を使っていた。それから台湾の原住民は日本語を使っていた。これは、原住民の言語は種族ごとにそれぞれちがっていて、共通の言語がなかったからである。

 そこへ中華民国が中国語を持ちこんできた。これは一般に「北京官話」と呼ばれる中国の標準語で、中華民国ではこれを「国語」と呼んでいる。いまではもうこの「国語」がすっかり普及していてだれでも国語を話すが、50年あまり前には、これから学校で「国語」を教えて根づかせてゆこうと始まったばかりであったのだ。



【お言葉ですが・・・別巻2】
お言葉

高島俊男著、連合出版、2015年刊

<「BOOK」データベース>より
【目次】
退屈老人雑録(選ばなかった道/ヨーロッパ最新の『隠居論』/諸藩のえりぬき「貢進生」 ほか)/うまいものあり、重箱のスミ(ミスタータイガース永久缺番10/天もとこしえ地もとこしえ/多藝の天才?器用貧乏? ほか)/戦後国語改革の愚かさ(戦後国語改革の愚かさ/漢字の輸入は日本語にとって不幸であった/なんだこりゃ、中国の漢字 ほか)

<読む前の大使寸評>
パラパラとめくってみると、漢字に関する薀蓄がすばらしいのです♪

rakutenお言葉ですが・・・別巻2



<台湾初の女性総統にエール>
『蔡英文 新時代の台湾へ』という本を図書館に借出し予約したのです。
台湾はだんとつの親日国であるわけで、お互い協力して覇権大国・中国に対峙すべきなんでしょうね。


【蔡英文 新時代の台湾へ】
蔡英文 新時代の台湾へより
蔡英文

<中小企業群が担う強靱な経済:諸富徹(京都大学教授・経済学)>
 著者は、台湾総統選で国民党候補に圧勝し、本年5月に台湾初の女性総統に就任した。いま、世界でもっとも注目される政治家の1人だ。彼女は、前回の総統選(2012年)に敗北した責任をとって民進党主席を辞し、台湾各地をめぐる旅に出る。その過程で彼女が考えたこと、感じたこと、そして何を大切にしているかを私たちに伝えてくれる、優れたエッセイだ。

 本書の根底を貫くテーマは、台湾経済のあり方だ。それが、政治を規定する。記憶に新しい2年前の「ヒマワリ学生運動」は、馬英九政権による対中「サービス貿易協定」強行採決への反発がきっかけだった。その非民主的プロセス、中国依存への急傾斜、大資本への利益誘導といった内容が、中小企業や農業への打撃、社会的格差の拡大を懸念する台湾社会を震撼させた。

 経済のグローバル化がもたらす矛盾が、学生による立法院占拠という形で、一挙に噴出したのだ。だが著者は、それは必ずしも民進党への信認を意味しないと戒める。ゆえに、反対に留まるのではなく、「協定」とは異なる台湾経済の新しい姿を構想する。

 その担い手は、イノベーション力、研究開発力、技術力に優れた中小企業群だ。十分な就業や公平な富の分配に配慮し、質の高い成長を目指す。台湾産業の高度な技術力を、情報通信技術(ICT)と結びつけ、都市のスマート化を図る。省エネ・再生可能エネルギー産業を興し、農業・観光・住宅・ケア産業でもイノベーションを主導し、新しいビジネスへつなげる。

 著者は、独立志向を強めて両岸関係を不安定化させた陳水扁政権の二の舞いを避け、その現状維持を図る。だが、大陸に依存しない強靱な台湾経済・産業の創出は、結局のところ、台湾の独立性を経済面から担保するのだ。優れた戦略家だが、読後感はどこまでも爽やかだ。人々との対話から学ぼうとする著者の真摯な姿勢ゆえであろう。



蔡英文著、白水社、2016年刊

<「BOOK」データベース>より
一度は総統選に敗北しながらも、市民との対話を通し、未来を模索し続けた3年の軌跡。新たなリーダーシップの形と台湾の希望がここに!台湾初の女性総統による、初の著書!

<読む前の大使寸評>
大陸に依存しない強靱な台湾経済・産業の創出に期待しています。
日台は協調して、大陸の政権が自滅するのを待つのがいいかも(オイオイ)

冗談はさておいて・・・
台湾はだんとつの親日国であるわけで、お互い協力して覇権大国・中国に対峙すべきなんでしょうね。

<図書館予約:(7/31予約済み、副本4、予約3)>

amazon蔡英文 新時代の台湾へ




<台湾旅行計画>工事中

ピーチ航空の台湾便ができたということで、手元不如意の大使にも台湾旅行が現実味を帯びてきました♪

お~し、沖縄旅行をとびこして、先に台湾旅行やで♪


<見所>
・テレサテンの墓
・花蓮
・九分の花街
・中歴市再訪

LCCピーチHP

LCCピーチのコンタクトセンターTEL:0570-550-567



<『美麗島紀行』2>
図書館に予約していた『美麗島紀行』という本をゲットしたのです。
世界で親日的な国といえば、筆頭に台湾がきて、その次にトルコかな♪
大使が在職時に台湾に数度出張したが、とにかく居心地のいい国でおました。


【美麗島紀行】
台湾

乃南アサ著、集英社、2015年刊

<「BOOK」データベース>より
人気作家・乃南アサが台湾各地をくまなく巡り、台湾と日本の深い関係性についてその歴史から思いを馳せる異色の台湾紀行。著者自らが撮影した、台湾各地の情緒あふれる写真とともに構成する。
【目次】
時空を超えて息づく島/夏場も時代も乗り越えた小碗の麺/牛に引かれて、ならぬ「牛舌餅」にひかれて/台中で聞く「にっぽんのうた」/道草して知る客家の味/過去と未来を背負う街・新竹/「お手植えの黒松」が見てきた歳月/宋文薫先生夫妻/淡水の夕暮れ/矛盾と摩擦の先にあるもの/日本統治時代の幕開けと終焉ー宜蘭/嘉南の大地を潤した日本人ー八田與一/「文創」が生み出すもの/三地門郷で聞く日本の歌/「帰れん港」と呼ばれた町・花蓮/出逢いと別れを繰り返す「雨港」-基隆/夕暮れの似合う街・台南ふたたび/手のひらに太陽を/「日本人だった」-台湾の老翁たちにとっての日本統治時代 

<読む前の大使寸評>
世界で親日的な国といえば、筆頭に台湾がきて、その次にトルコかな♪
対岸の大陸に厳しい態度をとっているのも好感が持てるわけで・・・とにかく、日本人旅行者にとって居心地のいい国である。

<図書館予約:(2/19予約、4/26受取)>

rakuten美麗島紀行


大使が客家と聞けば、まずトウ小平、李登輝、リーカンユーが思い浮かぶわけで・・・
聡明、反骨精神旺盛な人たちと、わりと好印象をもっているわけです。
p59~62
<道草して知る客家の味>
 さて、このMRT(台北の地下鉄網)に乗っていると、次の停車駅が女性の声で録音アナウンスされる。旅行者は少しでも駅名を聞き取り、発音の一つも覚えようと耳を澄ますものだが、実は最初はこれに戸惑った。「次は〇〇です」と何度か繰り返しているはずのアナウンスが毎回、違って聞えるからだ。

 それもそのはず、一つの駅名を「国語(北京語)」「台湾語(ミンナン語)」「客家語」、そして最後に「英語」という順番でアナウンスしているのだった。中でも三つ目が「客家語」だということは現地の人から教わるまで分からなかった。

 例えば「行天宮」という駅がある。台湾でも一、二と言われる人気のお寺・行天宮が近い駅だが、ごく乱暴にカタカナで発音を表記してしまうなら、北京語では「シンティエンゴン」、ミンナン語だと「ヒェンテェンキョン」、そして客家語になると「ハンテンコン」となるそうだ。台湾では多くの人が北京語と台湾語とを日常的に使い分けていることは承知していたが、ここに客家語が加わるとは思わなかった。大体、多くの日本人には客家という存在がよく分かっていない。

 客家とはどういう人たちなのか。
 台湾では人口のおよそ14パーセントを客家が占めている。この比率は第二次世界大戦後に蒋介石と共に中国大陸から渡ってきた「外省人」と呼ばれる漢民族の比率とほぼ同じだ。台湾の人口はおよそ二千三百四十万人(2014年6月現在)だから、およそ三百二十七万人といったところだろうか。

 客家は、もともと黄河流域に暮らしていた漢民族の一種だという。それが長い歴史の間に何度となく繰り返されてきた戦乱により住処をうしなって、次第に南下するようになった。幾度も移動と定住を繰り返してきたことから「中国のロマ」などと呼ばれることもあり、現在は中国南部、海南島、台湾の他、東南アジアの華僑に多く、その総数は約千五百万人。「客」という文字は「他郷から来た移住者の意味で、土着民が区別していった語である」というから、言うなれば「よそ者」呼ばわりされたものを自分たちでも使うようになったということだろうか。

 本来は中原の民として「正統派漢民族」の意識を抱いていたはずの人々が、どこに行っても先住者から「よそ者」扱いを受けて、ときに摩擦を起こし、その結果、幾度となく住まいを移さざるを得ず、さまよってきた歴史を経ると、どうなるか、客家人の特徴としては、
 「(一)強い団結心(二)進取・尚武の精神(三)文化・伝統保持への自信(四)教育の重視(五)政治への高い指向性(六)女性の勤勉性」というものが挙げられるそうだ。また「」ともいう。

 要するに自分たちの身を守るために強く結束して、「よそ者」だからと見下されないためにも勉学や労働などの努力を怠らず、時に激しい反骨精神を発揮しながら、自分たちの文化と伝統を誇りとして生き延びてきた人々、ということになるだろうか。

 トウ小平、またそれぞれに孫文、蒋介石の妻となり財力と共に美貌でも有名だった宋慶齢・美齢姉妹、台湾出身者で初の台湾総督となった李登輝などが客家だという。台湾で暮らす客家も、やはり集中して居住しているそうだ。

 「本当に、彼らはすごい団結心が強いですよ。そして勉強熱心だし頭もいいの。それからね」
 台湾人の友人が、くすりと笑って声をひそめたことがある。
 「ケチと言ったら悪いけど、ものすごく倹約家。絶対にものを捨てないの」

 だからまずゴミが出ないのだという。食べ物についても、たとえば野菜が少しでも余れば必ず塩漬けにする。葉も茎も皮も捨てない。乾物を多く用い、肉でも野菜でも少しずつ余った物をかき集め、すべて細かく刻んで炒めるような料理が多いのだそうだ。

 山地での暮らしや厳しい肉体労働にも耐えるためには塩分も脂分もしっかり摂る必要があることから、味付けは濃いめだという。それが何世紀にもわたって放浪を続けながら生き延びてきた、客家の人々の遺伝子に組み込まれているらしい。

 ひとくくりに台湾の人口の大部分は漢民族が占めていると言っても日本が統治する以前から住んできた「本島人」と「外省人」、そして独自の言葉と文化を持つ「客家」の人たちもいることを忘れてはならない。


台湾海峡に面した淡水で・・・・
台湾に渡航した漢民族と原住民族の辛い歴史が述べられています。
p114~117
<淡水の夕暮れ>
 やがて鄭氏政権は打倒され、台湾は清国に領有される。当初、清国は台湾の価値をまるで認めていなかったが、かといって余計な勢力を持たせたくもなかった。そこで、それまでに台湾に住み着いていた「移住民10数万を中国に強制的に引き揚げさせ」たが、それでも密航者が後を絶たないために結局、厳しい条件付きで新たに渡航を許すようになる。その条件の中に「家族の同行を禁じ」というものであった。行くなら一人で行け、ということだ。

 大陸と台湾を隔てる台湾海峡は波が荒く、当時は島を目指していざ船をこぎ出しても、三人に一人は海の藻屑と消え、一人は諦めて大陸に戻り、無事に渡りきることの出来た人は一人だけだったと言われている。やっとのことで新天地にたどり着いた三分の一の男たちは、暮らしの目処が立ってくれば当然、所帯を持ちたくなる。だが、妻子がいたとしても大陸に残してきていたし、結局、原住民族の女性と一緒になるより他なかった。

 台湾の原住民族はどの部族もが戦闘的だったわけではない。人を疑うということを知らず、新たにやってきた人々を実に無防備に受け容れる部族も少なくなかった。そういった原住民族の中には既に、その時点で島を去っているオランダやスペイン人の血を挽くものが混ざっていても不思議ではなかっただろう。

 いや、もっと言えば「国境」などという概念のなかった時代、人々は現代の私たちが思うよりも遥かに自由に、また広範囲に移動していたとされ、白人が台湾を「発見」するずっと前から「倭寇や海賊の格好の巣窟であったのは事実である」ことも考えれば、当時から台湾に住み着き、または根城にしていた日本人が少なからずいて、その血が受け継がれている可能性だって十分にある。

 「私の家系は台湾に渡ってきてから今で十一代続いています。私は六代目になりますが、家系図を見ても最初の代、二代目、夫の名前は書かれていても、隣には女、とあるだけで、名前は書かれていません。なぜかといったらその頃、妻になる人は原住民族だったから。台湾の原住民族は文字を持たないんです。だから名前が書かれていない。つまり私たちは、もうその時点で純粋な漢民族とは違っています」

 以前そう話して下さったのは台湾最大の発行部数を誇る新聞『自由時報』の呉阿明会長だった。1924(大正13)年生まれの呉阿明会長は、初めてお目にかかったときに開口一番「私は23歳まで日本人でした」と言われた。つまり日本が戦争に負けて台湾の植民地支配を終えた年に数えで23歳だったという意味だ。戦前の日本の教育を受け、勤務先で書く報告書の類いはすべて候文だったという呉会長の日本語は、戦後の教育を受けてきた私たち以上に正しく日本人らしい。

 「それでも僕らの親の世代や昔の台湾人たちは、中国のことを『唐山』と呼んで、自分たちの故郷としていつも懐かしがっていたんです。中国といったら『清』ではなくて、ずっとむかしの『唐』だったんです」

 唐を心の故郷としながらも、混血を繰り返すことで「本省人」たちは出来上がってきた。今、彼らのうちの相当数が、自分たちを「中国人」ではなく「台湾人」であると主張するのは、そのためもある。そしてまた、人口比としては全体の2パーセントにまで減ってしまっているものの、現在では正式な呼称として「原住民」と言われている民族たちの存在も「台湾人」として忘れてはならない。

 「台湾の複雑さは、それだけじゃありません。たとえば同じ人でも、話す相手によって言うことが変わります。北京語で話すときと台湾語で話すときも、それぞれ違います。外国語で話す人なら、そのときも。自然にそうなっちゃうんです」

 陽が傾き始めていた。淡水で、その人は横顔に多少の苛立ちを見せながら「仕方がないんです」と繰り返した。
 「だって、色んな人を相手にしなきゃならないんだから」

 もともと原住民族のケタガラン族が暮らしていた淡水にスペイン人が築いたサン・ドミンゴ要塞には、その後イギリス領事館が設置され、日本統治時代もそのまま使用された。現在は「紅毛城」と呼ばれている観光名所のテラスでは、夕暮れを待ちわびるように若いカップルが身を寄せ合っていた。

 
『美麗島紀行』1



<フラガールとアリエッティ、そしてセデックバレ>H23.8.14
 神戸市民として、老人割引の恩恵を受けようではないか・・・・
というか高い住民税を払っているので老人割引の権利を行使しようと、暑いなか、「借りぐらしのアリエッティ×種田陽平展」開催の県立美術館まで出かけたのです。(半額割引で600円)

阪神岩屋駅で電車を降りたが・・・・炎熱煙る感じで、ま~暑いわ。甲子園の球児の過酷さが思いやられます。(この時期、昼間の移動は根性いるで)


借りぐらしのアリエッティ×種田陽平展より

アリエッティ
本展のサブタイトルは「現実と虚構の融合(フュージョン)」ですが、このアリエッティの家のセットは映画とテーマパークのセット製作の技術の融合だそうです。
映画のセットは役者さんが演技するためのいわば背景、映像になった時の効果を考えて作られます。
テーマパークはお客さまが主人公で、実際に見て触って楽しめる仕掛けが施されます。
映像として映える背景と、実際に見て楽しめる工夫、この両方がアリエッティのセットの中では実現されています。

アリエッティの家のセットがメインテーマなので、子供連れの観客が多く来ているが、大人もけっこう楽しんでいます。もちろん私も小人になった気分を体感できました。


ところで、この種田陽平:主な作品を見れば、そうそうたる作品が並んでいます・・・・
フラガール、アリエッティ、キルビル、イノセンス等々をつなぐのは、美術監督としての種田陽平だったんですね。

フラガールは私の中の名画ランクでは上位にランクするけれど、あくまでも李相日監督の作品であり、美術監督のことを気にしたわけではなかったが・・・・
確かにボタ山と炭住のセットには「根性入ってるで♪」とは思ったものです。

「霧社事件」を描くSeediq Baleという台湾映画にも種田さんが参画しているようです。
近日公開(9月公開)とのことなので、これは個人的には必見です。
(監督は、『海角七号/君想う、国境の南』(2008年)のウェイ・ダーション。日本の植民地時代の台湾で原住民のタイヤル族が抗日蜂起した「霧社事件」(1930年10月勃発)を描いた作品だそうです)

賽徳克 巴莱 (英題:Seediq Bale) 公式サイトは、台湾語と英語バージョンだけど、美術は言葉抜きでも、わかりますね。

賽徳克 巴莱 (セデックバレ)日本語公式サイトの「今日の仕事状況」が映画制作のなんたるかがよくわかります。

今日の仕事状況より
 昨年マヘボ社での撮影最終日、月夜も静まる真夜中に戦場となったマヘボ社で最後の録音が終わった後、現場に残ったのは流木の燃えかすからかすかに聞こえる火の粉の音と崩れ落ちてゆく木々のくぐもり、ゆっくりと消えて行く音。そしてその場に立つスタッフの心に刻まれたなんとも表現しがたい複雑な気持ち、困難を乗り越えた達成感と同時に別れゆく友を見送るかのような...。

 そのような思いを一つ一つの現場で重ねて行くうちに霧社街だけはどうしても残したい。
 映画を見に来た人たちにも是非この地を訪れて何かを考える切っ掛けにそして、9月の映画公開前に当時の原住民の生活を体験したり文化や歴史などを学べる場所として、また映画を見た後に遊びに来れるようなそんな場所として残せればという思いからクランクアップから今までセットに手をつけずに保存をしてきました。

 月日が経つごとに雨風により損傷が進む中各方面の関係者と協議を続けてきました。広大な土地に立つセットを維持するのは金銭的にも人資源的にも大変なことですが、現在私たちは文化と娯楽面を合わせ霧社街を文化園区として解放すると同時に、部落を一部分再現する事によって当時のセデック族の生活をかいま見れるような施設にするような方向で計画を立てています。


海角7号


<「トロッコ」に触発されて、司馬さんの「台湾紀行」を>H22.9.6
うっそうとした台湾ヒノキの植林の中をトロッコ軌道が続いています。
大木の切り株が見えるが・・・・日本統治時代に切ったものでしょうね。

トロッコ

ある夏の日、敦(8歳)は急死した台湾人の父親の遺灰を届けるために、弟の凱(6歳)と日本人の母親・夕美子と、東京から台湾東部・花蓮の近くにある小さな村にやって来た。

台湾人のお爺さんと日本生まれの二人の孫が台湾の山林を背景に、繰り広げるお話なんですが・・・・
日本語を話し、日本精神で培養されたような台湾の高齢者は、戦後に日本に捨てられたとの思いが募るようです。

監督は丁寧で淡々としたペースで、すでに定型となったような両国の関係を紡ぎだしていますが、先刻承知の私には、ややくどいように感じたのですが・・・・
お話よりも、台湾の山林の美しさを見るだけで納得するのでした。

ヤシ科の樹木も混じる濃い緑色の山林は、一目で日本のものでないことがわかるが・・・その山林の中に混じる家屋との取り合わせがなんともいい感じなんですね。
オーシ 今度、台湾に行くなら東部の花蓮あたりにしよう♪

・・・・とまあ、私にとっては、台湾の山林とリー・ピンビン撮影監督が主役であり、川口監督にとっては、あまりいい観客になっていなかったようです(笑)


トロッコ公式サイトより
日本の原風景のような愛おしい情景を撮り上げたのは、ホウ・シャオシェン作品で名高いリー・ピンビン。近年は『空気人形』(是枝裕和監督)や、公開が控えている話題作『ノルウェイの森』(トラン・アン・ユン監督)など、国境を越えて活躍している。


ところで「トロッコ」に触発されて、司馬さんの「台湾紀行」を読んでいるんですが・・・・
戦後台湾に関する歴史認識としては、次のような1文が台湾オンチの大使にヒットしました。

日本が降伏した。
連合国軍最高司令官(マッカーサー)は、中国大陸・台湾の日本軍に対し、中国戦区最高司令官(蒋介石)に降伏するように命じた。
当時、蒋介石は重慶にいた。かれは先発として陳儀を台湾に派遣した。
陳儀はかって福建省の主席時代、一省を汚職まみれにした札付きのアジア型の政客で、在任2年間、台湾を私物化し、搾れるだけのものをふところに入れた。
陳儀の部下は一兵にいたるまで小陳儀で、中国における過去の王朝軍と同様、私的私欲しかなく、また征服軍として台湾人を無数に殺戮した。
陳儀は、通敵の疑いで1950年、銃殺されたが、陳儀以降も台湾の被征服的事情がつづいた。


私はこの夜、李登輝氏に招かれていた。途中、蒋介石の巨大な銅像の前をすぎた。
銅像の基壇に、「天下為公」とあったのは、冗談のような気がした。
すでにふれたことだが、中国の王権が公であったことは一度もなく、毛沢東、蒋介石でも、かれらにとって権力は私物だった。


国民党の圧制下、台湾人は「アメリカは日本に二発の原子爆弾を投下したが、台湾には“蒋介石”を投下した」というブラックジョークを陰で語ったそうです。

日本占領には、周到な準備をしたアメリカだが、台湾に対していかに無頓着であったかということで・・・・・
その無頓着さが戦後台湾の悲劇を生んだのでしょうね。

台湾特捜百貨店
台湾人生
【台湾取材レポート】老台北・蔡焜燦氏に聞く 第1弾



<海角7号>H22.4.10
冒頭とラストで「野バラ」が日本語と中国語で歌われていて象徴的であるように・・・・総じて日本が好意的に描かれた映画である。
確かにコミカルでほろりとしたところもあり見てて面白いが、作りが大雑把な感無きにしも有らずなんですね。

これが台湾映画史上、歴代第一位のヒット作だって?
なぜ、この映画が台湾で受けるのか?ということの方が興味深いのです。

そのあたりについて、台湾在住のかたのブログを見て調べてみました。

話題の映画「海角7号」は確かに面白いより
台湾語を主体にした掛け合いの絶妙さと言語選択の自然さ、音楽の良さ、日本との絆の深さなど、台湾の歴史と現実をリアルに描いたところも素晴らしいといえる。また、報道などではあまり言及されていないが、映画に出てくる「国宝級の民謡歌手」は明らかに陳達へのオマージュだ。舞台を恒春にしたところといい、そういう意味ではきわめて台湾本土色が色濃い作品なのである。

それにしても、日本との関係や絆を描いた映画やドラマが今台湾ではぶームになっている。私が関わった映画「1895」、ドラマ「風中緋桜」「浪陶沙」のように純粋に日本統治時代の過去を描いたものが多いが、この映画のように、日本統治時代末期の日本人男性教師と台湾人女性の結ばれなかった恋が、60年後に恒春で開かれたコンサートをきっかけに今度は日本人女性と台湾人男性の間で結ばれるという形で過去と現在を結びつけたものもある。そういう意味では、在台日本人には稼ぎ時かも知れない。しかも、これが「反日親中」の馬政権の成立以降にもかかわらず、こうした動きが強まっているところが逆説的で面白い。いや、むしろ政権が反日的だからこそ、民間がそれに反発しているのかもしれない。


台湾語と北京語の掛け合いの面白さは、日本人にとってはつんぼ桟敷でありわからないが、若しかしてそのあたりが台湾で受けた訳なのかもしれません。
監督は霧社事件の映画が作りたいのだが、スポンサーがつかないので、先ずこの長編第一作「海角7号」で実績を上げるつもりだったようです。
それが、歴代第一位のヒット作というがすごいですね。

霧社事件とは日本人にとってテーマがあまりにも重いが、日本統治時代の忌まわしい事件を監督はどのように描くのでしょうね。
台湾にとって日本とは光と影が交錯する国であり、その絆の深さが創作意欲を刺激するのかも知れません。

キャスト

なんか難しい感想になったけど・・・・
即席バンドが泥縄で練習して、最後に成功をおさめるところが「頑張れベアーズ」風であり、大使のツボを突くんですね。
カエルが不倫まがいのアタックをかけるところなんか、いいですね♪
(見てない人には、説明不足でスンマヘン)

「海角7号」公式HP
霧社事件


<親中・反日?の新総統>
台湾の総統選挙で馬英九さんが勝ったが・・・・なかなかの男前である。
チベット暴動という思わぬ事態が起きて、優勢だった馬陣営も焦ったかもしれないが・・・
台湾の趨勢を変えるほどではなかったようです。

グローバリズムによる人件費格差が日本産業の空洞化をもたらしているが・・・・
世界中が中国の影響を受けている昨今、基礎体力のない韓国、台湾の疲弊は想像に難くないのです。

新総統の北京オリンピックボイコットも辞さないという苦渋の発言もあったりして、なかなかリベラルであるが・・・
筋金入りの反日主義者が世界の表舞台になどという見方もあるんですね。

独立(民進党)か経済(国民党)か?、はたまた台湾人か本省人か?という対立の構図があり、台湾オンチの大使としては心情的には反国民党であるが・・・・
台湾国民が新総統を選び政権交代を果たしたことを、概ね良しと思うのです。

韓国に続き、台湾も政権交代を果たしたが・・・・
それにつけても、日本の淀みよ(なんでや?)
政権党の政局運営、選挙対策に野党が負けているというか、庶民の怒りが選挙に反映しないということだろう(アホや!)

親中・反日?という見方もある新総統ではあるが、先ずはお手並み拝見ですね。



<台湾料理はオイチー♪>
ホー ホケキョ♪

お 裏山のウグイスが発声練習を開始したようです。
ちょっと寒いが日本も春ですね。
暖かい台湾から帰ると、日本の寒さに身が引き締まる思いがします。

さて、台湾料理であるが・・・・
台湾料理はオイチー♪(中国語ではハオチー)ですね。

一番最初に台湾風団子(写真の右側)が出てきて、豚の角煮風(写真の左側)などどんどん出てきたが・・・角煮がハオチー♪
奥の白いボトルが特級高粱酒で、これにはいたく感激の大使でした。
台湾風団子、角煮

この店の看板料理の黒鶏スープが出たが薄味の薬膳料理で・・・・ご利益があるそうだが、日本人にはブタに小判?という感じでした。
黒鶏スープ

日本の中華料理屋で見かける中華料理と台湾料理は少し違って見えるが・・・
とっつきとしては、北京料理より田舎風に見えるが何でも美味しく、クセも少ないというのが総じた感想です。

見るもの全てが面白いので、刺青屋の看板など如何?・・・刺客山荘、凄いですね。
刺青屋

7日の夜は大使所望のカラオケナイトが実現しました。
(どうも、台湾スタッフがカラオケ大好きで、幸せな接待が実現したようです)
大使が歌ったのは、ほぼお決まりの・・・

・長崎は今日も雨だった
・港町ブルース
・愛人
・空港
・good by my love
・別れても好きなひと
・蘇州夜曲

残念、何日君再来は日本語も中国語も選曲アルバムに載っていなかったのです。
何でや?・・・・
カラオケで歌うにはあまりにも古いというのが、台湾スタッフの説明でした。

いずれにしても、出張初回から・・・・
台湾スタッフが日本演歌を歌いまくる(それもお上手に)というエンジン全開の調子で・・・
(夜の部に関しては)今後の前途は明るいようです。

ハー シンクラー(辛苦ラー:お疲れさんin 中国語)



<予備>


Copyright (c) 1997-2019 Rakuten, Inc. All Rights Reserved.