日本は「中国化」しつつある。
ムム!聞き捨てならないヘッドラインに惹かれて朝日のオピニオン欄を読んだのです。
そして、「新自由主義の先駆が中国化である」という発想に、なるほどと思った次第です。
愛知県立大準教授(日本近現代史)與那覇潤さんへのインタビュー
<日本は「中国化」しつつある>より
(デジタル朝日ではこの記事が見えないので、2/1朝日から転記しました・・・そのうち朝日からお咎めがあるかも)
Q:今の日本が中国化していると主張していますね。
A:「西洋化」したはずの日本に閉塞感が広まっているのは、その内実が「中国化」だったからというのが自分の見解です。「中国化」は1千年前の宋朝に始まった「中国独自の近代化」のことです。
宋朝で起きたのは、経済の自由化と政治の集権化の同時進行。科挙による官僚登用の全面化で、貴族制度を全廃し、皇帝が権力を独占した。
一方で農民にまで貨幣使用を行き渡らせ、市場で自由に競わせる体制にした。1980年代の英米や日本の小泉改革のような新自由主義に似ています。トップダウンで競争原理を導入し、結果の平等を犠牲にしても成長を追及する。
Q:日本はそうした変化の面では中国より遅れていたと。
A:中世に中国化の芽はありました。宋銭を使って貨幣経済の導入を図った平家の政権や、中央集権や日明貿易を進めた足利義満が典型です。でも頓挫し、規制(身分)と共同体(ムラ)で生活を保障する江戸時代の体制になった。
ようやく明治維新で、身分制の廃止、試験による官吏登用、廃藩置県による中央集権、職業の自由化などの中国化が行われ、議会政治など西洋化も進みます。中国化が遅れたため、中国化と西洋化をたまたま同時にできたのが日本の「成功」の理由です。
Q:それなら明治の時点で中国に追いついたのでは。
A:ところが昭和初期に「再江戸化」が起こる。終身雇用企業という新しいムラができ、生活保障を担う「江戸時代のアップデート版」になった。バブル後に日本的経営が崩壊して「江戸時代」が終わると、再び中国化へ傾いた。小泉純一郎さんや橋下徹さんの政治が賛否両論をよぶのも、いわば「中国的な民主主義」だからでしょう。
Q:どこが中国的ですか。
A:民意という名で道徳感情に火をつけ、巧みに活用する点ですね。中国と西欧の政治の違いは、権力の暴走をコントロールする方法です。西欧は「法の支配」によって、議会が制定した法で王権を縛った。中国では「徳治」を掲げてモラルで縛る。強すぎる皇帝に対し、儒教道徳の体現者にふさわしい統治を、という期待で制御しようとした。
55年体制下の日本の政治家は、業界団体や労働組合などの「ムラ」の組織票が権力の源泉でした。組織が弱体化した今は、もう移り気な民意に頼るしかない。小泉さんも橋下さんも、既得権益という「悪」を設定して、それと闘う自分を「徳治者」に見せることで支持を得る。首相公選制など、行政の長との一体感を求める声が高まるのも、西欧的な議会政治がまどろっこしくて、むしろ中国式に「私利私欲を超越した道徳的なリーダーに全部任せよう」という「一君万民」的な方向へ向かっているからでしょう。
Q:日本も「徳治」の国になりつつあると。
A:ただ、徳治は為政者の道徳観が絶対的に正しいことが前提なので、価値の多元性を認めない。統治者と違う価値観に対しては、冷たい国になる危険が伴います。小泉さんや橋下さんのように「選挙で勝った以上、自分の考えこそ民意だから、妥協は必要ない。文句があるなら次の選挙で降ろしてみろ」ということになる。
Q:今の中国共産党は徳治をしているのでしょうか。
A:あれだけ資本主義になっても、建前だけは共産主義という「道徳」の看板を降ろさないのは、ある意味で徳治の伝統が生きているとも言えます。宋朝から千年間やっているから、建前と実態にギャップがある状態に国民が慣れきっているのでしょう。日本人はその点ウブで、本気で為政者のモラルに期待して、そのつど本気で絶望しちゃうから、政権が安定しない。
Q:経済成長しながら、中国共産党が政治権力を独占する体制は不安定に見えます。
A:いや、むしろ「経済発展が進めば、議会政治が定着して民主化が進む」という発想のほうが、フランス革命以降に作られたストーリーだと考えるべきなんです。中国は宋代に大変な経済発展をしても、むしろ皇帝独裁が進んだ。経済だけが自由化されて政治は独裁のままというのは、中国史の文脈では矛盾しないので、なかなか民主化を求める人々の声が届かない。
Q:新自由主義の先駆が中国化なら、米国や欧州も中国化していくのですか。
A:実際、徳治とは真逆の政教分離が西洋近代の特徴だったはずなのに、米国では新自由主義に並行して宗教原理主義の影響力が強まってきた。
欧州のポストモダン思想や環境政党の躍進などにも、政治の再道徳化とみられる側面があります。冷戦が終わったころのジョークに「社会主義とは資本主義への一番遠い回り道だ」というのがありましたが、西欧型の近代化は、実は中国化への一番遠い回り道だったのかも知れません。
Q:世界の中国化は、人類に何をもたらすのでしょう。
A:真の意味で「歴史の終わり」になると思います。中国では宋以降、王朝交代は起きても、「国のかたち」は変らなかった。明朝と毛沢東時代だけは例外的に共同体を強化する方向に行きますが、結局もとに戻った。進歩ではなく反復しかない世界。それが今日の閉塞感の源泉です。
<取材を終えて>
すごく面白い話だったが、いくら何でも極論ではないかと思えたのも事実だ。ところが與那覇さんは、「僕が作ったのは『中国化』という表現だけで、内容的には歴史学の常識です」という。最新の研究成果を組み合わせると、これまで常識だと思っていた「日本の近代化」がまったく違った姿に見えてくる。歴史学恐るべし。大学受験以来ごぶさたしている日本史や中国史をもう一度きちんと勉強し直したくなった。
(聞き手:尾沢智史)
|
與那覇さんは「中国化は歴史学の常識」、「中国は反復しかない世界」とサラっと言うが・・・・
その希望のない冷徹な認識に、どっと力が抜ける大使であった(ハー)
こうなれば、いくらかでも中国化に逆らうことに注力するしかないようです。
與那覇さんの歴史学者としての客観性には恐れ入ったが、梅棹忠夫の客観性には歴史学専門でないだけに、もっと希望が見られるような気がするのです。
関川夏生氏の弁を紹介します。
梅棹忠夫は、日本の封建制を高く評価した。江戸期に成熟を見た封建制こそ「日本文明」の母であるというその言説は、封建時代イコール「悪」という戦後時代的通年をさわやかに破った。そうして、たとえば司馬良太郎の歴史地理紀行『街道をゆく』に深い影響を与えた。
|
ベランダに出れば・・・・
木枯らし途絶え~て、冴ゆる空より~
冬の大三角形がくっきり見えます・・・・明日はいいお天気のようです♪