ちょっと中断があったけど、あいかわらず『中国化する日本』を読み進めています。
すでに中国脅威論に染まった大使にとって、この本の読み方が、どうしても「敵の本質とは何か?」という読み方になってしまうのです。
それにしても、中国が嫌いなはずの与那覇先生は、そういう感情を表に出さず、中国を客観視して述べるところが、さすが歴史学者という感じで・・・・歯がゆいのです。
日本は「中国化」しつつある ・・・先生へのインタビュー
与那覇先生
・憲法改正をまじめに考えるp288~283
・近世で終わった歴史:内藤湖南の中国論p31~33
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『中国化する日本』9>目次
・日本の未来予想図1p278~280
・日本の未来予想図2p281~283
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『中国化する日本』8>目次
・郡県化する日本:真説政治改革p247~248
・ベーシック・インカムをまじめに考えるp275~278
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『中国化する日本』7 >目次
・中国化した世界:1979年革命p233~235
・真説バブル経済p239~240
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『中国化する日本』6 >目次
・真説「大東亜戦争」p206~209
・真説田中角栄p223~225
・人権は封建遺制であるp267~271
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『中国化する日本』5 >目次
・真説日中戦争1p197~200
・真説日中戦争2p203~205
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『中国化する日本』4 >目次
・真説明治維新p120~123
・真説自由民権p138~140
・工業化された封建制p167~169
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『中国化する日本』3 >目次
・明朝は中国版江戸時代?p61~63
・窓際族武士の悲哀>p103~105
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『中国化する日本』2 >目次
・「中国化」とは本当は何かp15~17
・真説源平合戦p43~45
『中国化する日本』1
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<憲法改正をまじめに考える>p288~290より
近世中国的な思考様式のボトルネックもまた、はっきりしています。それは要するに、いわゆる中華主義・自尊主義の欠陥、すなわち世界最高にして絶対唯一をせん称する現実離れした理想を掲げて自滅することなんですが、これに対する対応策は、ある意味で最初から実践されています。
それは、「どうせ高すぎる理想なんだから、ほどほどにつきあって、実現を急がないこと」でしょう。
よく考えてみてください。だって、現実の皇帝が 朱子学道徳の体現者にして世界一の完璧な人格者だなんて、ありえると思いますか?あるわけないでしょうが。そんなことは百も承知です。それでも理想としては掲げておいて、あるときは国政を正す道具に、またあるときはナショナル・プライドにする。
また、なにせ世界に通用する教えですから、よそから入ってきた奴らに「取られて分け前が減る」とは考えない。むしろ、われわれの正しさが彼らをも惹きつけたのだ、という自身の普遍性の証と考えて、ますます全世界大で流通するような、大言壮語に磨きをかける。
・・・・かようなあたりが、中国化する世界をゆるゆると行き抜く方法ではないでしょうか。
この辺の間合いに慣れていないのが、やはり日本人です。だから改憲問題でヒステリックになる。「9条を変えなかったら、中国が攻めてきても何ひとつ防衛ができない!」と叫ぶ右派がいれば、「9条がある以上、今すぐ安保も自衛隊も廃止!」と騒ぐ左派もいる。バカバカしいことこの上ありません。
憲法9条というのは中国化の産物なのだから、もともと儒教国家の統治理念と同じたぐい、今すぐ実現しないのはあたりまえ、理想ってのはそんなものと鷹揚にかまえて、実際にはそこそこに安全保障策を講じておればよいのです――これはもともと、保守派でリアリストの論客だった高坂正堯氏なども事実上そう言っていたのですが、左右ともに江戸時代人の多い日本の論壇では、主流にならなかったように見えます。
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憲法9条というのは中国化の産物なのだから、もともと儒教国家の統治理念と同じたぐい、今すぐ実現しないのはあたりまえ、理想ってのはそんなものと鷹揚にかまえて、実際にはそこそこに安全保障策を講じておればよいのです。・・・・理想と実際をうまく使いこなす必用がありそうですね。
<近世で終わった歴史:内藤湖南の中国論>p31~33より
今より1000年と少し前の西暦960年、中国大陸に「宋」という新たな王朝が生まれました。この王朝の下で、中国社会のしくみは一度きりの大転換を遂げ、転換後のしくみは現在に至るまで変わっていない――かくして「中国史を1ケ所で区切るなら、唐と宋の間で切れる」というテーゼを最初に提唱したのが、戦前に活躍した東洋史家・内藤湖南の「宋代以降近世説」です(『東洋文化史』)
この学説、当時は内藤が教鞭をとった京都大学を中心に支持されたので「京都学派」と呼ばれたのですが、今日では東大系の主要なアジア研究の先生方もこぞって内藤説に傾かれているので、むしろ「大学レベルの歴史認識」の基本線といってよいように思います。 それでは、宋という王朝のどこがそんなに画期的だったのでしょうか。内藤自身のことばを借りれれば・・・
1.貴族制度を全廃して皇帝独裁政治を始めたこと
もう少し言いかえると
2.経済や社会を徹底的に自由化する代わりに、政治の秩序は一極支配によって維持する仕組みを作ったこと
に、なります。
しごくおおざっぱにいえば、唐の安録山の乱を典型とする地方軍閥の造反により衰退、最後は五代十国と呼ばれる国家分裂状況のなかで滅亡したことに鑑み、かの大陸においても持続可能な集権体制の設計をめざした結果、見つかった答えが、宋朝に始まる中国型の「近世」―ないし「中華文明」であったと、考えることもできます。
この宋の時代、科挙という儒教の経典に基く官僚採用試験が全面的に採用され、唐までは残っていた貴族による世襲政治が完全に廃止されます。これは試験合格者に皇帝への恩義を感じさせ、あらゆる官僚を皇帝個人の子飼い同然の扱いにして中央集権を徹底するための策略なのです。これによって、それまで役人の間に私的な党派を作って自分の派閥を維持してきた、貴族の力を削ぐことができる。
さらに、採用後の官僚は自分の出身地には赴任させず、しかも数年ごとに次の任地へと巡回する「郡県制」の下でキャリアを積まされることになるので、地元に地盤を築いて皇帝に刃向かってきたりする心配は無用(党内派閥や地方支部の意向に左右されない総裁・幹事長直属の子分をジャンジャカ生み出した、「小泉チルドレン」や「小沢ガールズ」みたいなものだと思えばOK)。かくして、政治的な貴族のリストラが完遂されます。
経済的にも貴族は踏んだり蹴ったりです。宋の改革派宰相として知られる王安石の青苗法とは、国家からの融資を通じて農民に貨幣使用を行きわたらせるための政略で、あらあゆる百姓が伝統的な物納ではなく、農作物を市場で販売してから国に返済することになります。つまり、一般庶民が商売に目覚めてお金の味を知る。
貨幣は農作物と違って腐らないから保存がききますし、いざとなったら持ってよそへ移ることもできる。だったらガンガン働いて、バンバン高く売って、今よりもっと儲かる職業に転職して、ここよりずっと快適な地域へ移住するに越したことはない。かくして自由市場ベースの経済発展が始まるとともに、領地を囲い込んで労役に使っていた自給自足的な荘園経営は成り立たなくなり、貴族の地盤は崩壊します。
すなわち冷戦後、主権国家どうしの勢力均衡に立脚した国際政治のパワーバランスが崩れ、米国一国の世界覇権へと一気に傾いたように、宋朝の中国でもいくつかの名門貴族が相互に掣肘しあう関係が終わり、皇帝一人のお膝元への全面的な権力集中が起きる。かっての社会主義国よろしく貴族の荘園に閉じ込められていた一般庶民も解放されて、中国(=世界)のどこでいかなる商売に従事してもよろしくなる―ただし、皇帝(=アメリカ)のご機嫌さえ損ねなければ。
これが、宋朝時代の中国大陸で生じた巨大な変化なのです。ポスト冷戦の「歴史の終わった」世界などというのは、それを全地球大に引き伸ばして拡大したものに過ぎません。
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「大学レベルの歴史認識」の基本線ですか・・・・この歳になって歴史を勉強しているけど・・・歴史学にはいろんな切り口、流行があるものだと思う次第です。