今ではいろんな雑誌でコラムを書いている福岡伸一さんであるが、『生物と無生物のあいだ』を出したときは、かなり注目されましたね。
それまでは、理系の人に感性までからめて文章を書く人がいなかったので、福岡さんの文章が注目されたのでしょう。
もちろん文章だけがいいというのではないわけで・・・・
アンサング・ヒーローを讃えるというような、福岡さんのスタンスこそ注目されてしかるべきでしょうね。
まあ、アングロサクソンがカネでノーベル経済学賞をかっさらうのとは対極をなすスタンスなんですが。(おっと、いつもの愚痴になったがな)
図書館で「エッジエフェクト・福岡伸一対談集」と言う本を借りたので、紹介します。
【エッジエフェクト・福岡伸一対談集】

福岡伸一著、朝日新聞出版、2010年刊
<内容紹介>より
ベストセラー『生物と無生物のあいだ』の著者による初対談集。桐野夏生、柄谷行人、梅原猛、森村泰昌、鈴木光司、小泉今日子など、各界の第一人者との対談を通じて、気鋭の生物学者が想像する、生物としての人間の将来の姿とは?
・欠落したオスと、自己完結するメス(桐野夏生)
・科学の限界(柄谷行人)
・生命現象における「美」(森村泰昌)
・生命とは、流れているもの(小泉今日子)
・細胞の破壊と再構築(鈴木光司)
・科学と哲学の融合(梅原猛)
<読む前の大使寸評>
福岡伸一さんと対談する人たちの顔ぶれを見ると・・・
思わず「エッジが利いてるで♪」と思った次第です。
内田先生が福岡さんの述べる文章を絶賛していたが、それは即ち理系の感性を褒めていたんでしょうね。
rakutenエッジエフェクト・福岡伸一対談集
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この本で、梅原猛さんとの対談の一部を、紹介します。
福岡さんは解毒剤としての縄文文化を提唱しているが、ええでぇ♪
<縄文へ帰れ>よりp172~174
福岡:先生が戯曲『ギルガメッシュ』で書かれたように、森を破壊することは現代の環境問題への警鐘だとも受けとれますし、あるいは、先ほどの草木国土悉皆成仏という考え方が現代の環境思想の基盤となるべきものなのに、私たち日本人は必ずしもそのようには考えてはいません。縄文時代に育まれ、アイヌ人へ、弥生人へ受け継がれていった自然観は、いつ分断され、現在のように変質してしまったとお考えでしょうか?
梅原:近代思想を輸入し、受け入れた明治以降からでしょうね。明治政府が行った廃仏毀釈と神仏分離は、近代化にとっては必要な政策だったのかもしれませんが、あれによって、日本の伝統は徹底的に崩壊させられました。縄文の頃からある世界観を捨て、近代西洋の世界観を採用したことは、大きな間違いだったと思います。自然崇拝に代わって天皇崇拝、国家崇拝を日本のイデオロギーに据えたのです。ところが、その天皇崇拝、国家崇拝も昭和20年の敗戦によって否定されてしまいます。そして、現在は全く無宗教の状態にあります。
ですから、私たち日本人は今、縄文文化や弥生文化に通じるような世界観、和歌にもなり、能にもなり、俳句にもなった、太陽を中心とする自然崇拝の世界観へ帰らなければならないと思いますね。中世に熊野詣でが大流行したように、縄文文化を再度、見直す必要があるでしょう。それは、日本人だけに求められていることではなく、人類全体が人間中心の世界観を捨て、古代エジプトの世界観や縄文人の世界観のように、人間を自然の中で考え、自然を崇拝する世界観に帰らない限りは、現在の環境破壊という危険な運命を逃れられないと思いますね。
福岡:明治以降の近代主義というものにどっぷりと浸かってしまっている私たちは、ある種の解毒剤として、縄文をときどき思い出さなければいけませんね。縄文的なものは、日本人の古層の中にちゃんと残っているわけですから、ただ、平安時代に、みんなが熊野詣でを行って正気を取り戻したような、そうした気運が高まるということは、この時代においてありえるのでしょうか?
梅原:難しいことではあります。けれども、こんなに異常気象がつづいていると、近代文明が崩壊しつつあることは誰の眼にも明らかでしょう?さっきも話したように、エジプトには太陽神や水の神が存在しますが、西洋文明の根底にあるとされているのはそのエジプトの思想ではなく、ギリシャとイスラエルの思想です。ギリシャ哲学はイオニアの自然哲学に始まるといわれます。タレスは万物の根源は水であると考え、ヘラクレイトスは万物の根源は火であると考え、アナクサゴラスは空気であると考えたように、さまざまな自然を原理として哲学が論じられてはきましたが、太陽の神は存在しないのです。アポロは太陽神とされていますが、ギリシャでは予言の神として存在しています。そういうふうに、自然の神、太陽の神を忘れてしまった哲学が西洋文明の根底には流れているわけです。
ギリシャやイスラエルは農耕民族でなかったことも関係しているでしょう。歴史的に、自然から疎外された宗教や哲学を近代ヨーロッパは受け継いで、ますます人間中心的哲学を文明の原理としたのですが、その結果、自然というのは機械的な法則で動くものだと思い込んでしまったのです。自然法則を発見すれば、自然を奴隷のように支配できるはずだ、と。そうした考えは、短期的には豊かな物質文明をつくり上げることができるかもしれませんが、長期的には、人間を滅ぼすものになるのではないかと思います。
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おお♪草木国土悉皆成仏という言葉には、聞き覚えがあるのです。
過去の日記から、福岡先生の「動的平衡」を再読してみます。