<アイの絵本>
図書館で『アイの絵本』という本を借りて読んでいます。
この本は副題が「そだててあそぼう18」となっているように、他に綿の本なんか有ったり、なかなかいいシリーズだと思うのです。
また絵本と名づけているように、子供も大人も楽しめる内容になっています。
藍の栽培、収穫、生葉での染色、乾燥葉での染色、しぼり染めにチャレンジするのも、いいかもね♪
【アイの絵本】
日下部信幸×仁科幸子著、農山漁村文化協会、1999年刊
<「BOOK」データベース>より
アイ色というと、きみは、どんな色を思いうかべるかな?水色?マリンブルー?群青色?それとも…日本では布をアイ色に染めるために、おもにタデアイという草を使って染めてきたんだ。さあ、アイを育てて、世界にひとつしかないアイ染めの作品にチャレンジしてみよう。
【目次】
青い生地がうつくしい、日本の青は「あい」の色/インディガンがインディゴになって、青になる/青い色のカラアイと、赤い色のクレアイ/風にユラユラ、日本のアイは、タデの仲間/品種紹介/栽培ごよみ/さあ、いよいよアイのタネをまこう!/プランターや鉢で栽培してみよう/みじかく刈りこんで、1番刈りの収穫だ!/とってもかんたん、たたき染め〔ほか〕
<大使寸評>
この本は絵本と名づけているように、子供も大人も楽しめる内容になっています。
藍の栽培、収穫、生葉での染色、乾燥葉での染色、しぼり染めにチャレンジするのも、いいかもね♪
rakutenアイの絵本
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この本の冒頭部を紹介します。
<青い生地がうつくしい、日本の青は「あい」の色>よりp2~3
アイ染めっていうと、キミはどんなイメージをもっているかな?
ゆかたに手ぬぐい、ふろしき、のれん、それから酒屋さんやお米やさんのこん色の前かけ。
キミにとっていちばん身近なアイ色のものって、なんだと思う?
たぶんジーンズじゃないかな?ジーンズの青のことをインディゴブルーっていうよ。
インディゴはアイの葉の中の物質が変化してできたもので、青に染める色素のことだ。 いまは、化学合成のインディゴだけれど、ジーンズもむかしはアイで染めていたんだよ。
<アイはジャパン・ブルー>
いまから150年ほどまえ、江戸時代の日本では、どこをみても、目にはいらないところがないくらいに、はやった色があったんだ。それが「アイ色」、つまり青い色だったんだよね。
明治8年に日本をおとずれたイギリスの科学者アトキンソンは、日本中が青い色の衣服であふれていることにすごくびっくりしたんだ。
人々の着ている羽織、半てん、綿入れ、着物、それに手ぬぐい、座布団、お店ののれん・・・目にするものの多くが青い色、つまりアイで染められていたんだね。
アトキンソンは、アイ染めが日本人の暮らしのなかにふかく根づいていることに感動して、この青のことをジャパン・ブルーと名づけたんだ。アトキンソンよりも、すこしおくれて日本にやってきたイギリスの文学者ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)も、日本は「青のあふれる国」と、その印象を書いているよ。
日本人は自然の植物が生みだした天然のアイの青色がとても好きだったんだね。
<庶民の色「アイ」>
日本人が、アイ染めの衣服をこのんで着るようになったのは江戸時代のはじめごろのことだ。そしてアイ染めが身近になったのは、じつは木綿の着物を着るようになったことがきっかけだ。
木綿がひろまるまえ、庶民は、麻や苧麻(からむし)などからつくった着物を着ていた。これらの繊維でつくった着物は、色がとても染まりにくいから、生地の色そのままで着ることが多かったんだね。
16世紀に日本でも綿栽培ができるようになると、みんな肌ざわりのよい木綿製品を着るようになったんだ。さらに、木綿は麻にくらべると、色を染めやすかったので、庶民は、値段が紅花ほど高くないアイで衣服を染めることで、おしゃれの楽しみを手にいれたんだ。
こうして、アイは全国各地で育てられ、江戸時代には「藍、木綿、麻」の三つを三草とよんで、生活にかかせない、とても大切な植物になったんだ。しかも、アイで染めることで生地がつよくなったり、虫よけにもなったんだね。
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アイ草の紹介です。
<風にユラユラ、日本のアイは、タデの仲間>よりp8~11
ところで、アイっていったいどんな草なんだろう?
アイ染めに使われる植物をまとめてアイ草というけれど、じつはアイ草には、タデ科、マメ科、キツネノマゴ科、アブラナ科などいろんな科のいく種類かの植物があるんだ。
そのなかで、むかしから日本で栽培されてきたのは、中国からはいってきたタデアイの仲間だ。身近なタデ科の植物には、ソバとか雑草のイヌタデとかがあるよ。
<品種紹介>
タデアイは、アイ草のなかでも、日本や中国でおもに使われてきた種類なんだ。
原産地は東南アジアのあたりと言われている。タデアイの中にも、いろんな品種があるんだよ。高さが50cm~1mほどになって、葉の形がほそながいものや、タマゴ形のものなど、それに、花の色も白やうすべに色などの品種があるよ。
・小上粉白花種、小上粉赤花種
・百貫
・赤茎小千本
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日下部信幸さんのあとがきです。
地名、町名に残る藍との関係が、興味深いのです。
<あとがき>より
藍は木綿の普及とともに江戸時代から盛んに使われた染料植物です。とくに藍、木綿、麻の三種は生活に欠かすことのできない栽培植物の代表的なもので、これらを三草といって栽培が奨励されていました。藍を使って青色に染める店を紺屋といっていました。江戸時代から明治時代のころはどこの町や村にも一軒はあったほどでした。
19世紀の終りころ、合成藍(インジゴピュア)が発明されて工場で大量に安くつくられるようになり、染色も工場で行われるようになって、天然藍の栽培も紺屋もなくなりました。
有名な正岡子規の「藍狩りや一里四方に木も見えず」という句があるように、わが国では各地で藍栽培が行われていました。とくに阿波の国は良質の藍が栽培されていました。徳島県には藍住町、藍場町、藍畑などの地名がのこっています。みなさんの住んでいる近くに「藍、愛、逢、あい、紺」などの字を使った地名、川名、橋名(愛染、愛住、逢初、紺屋など)があったら、その名の由来を調べてみると藍と関係があるかもしれないね。
藍は自然が育んだ染料なので、美しい青色に染めるには熟練が必要でしたし、水、温度、日光など自然や季節に大きく影響されました。紺屋の人々はうまく染まるようにと神様に祈るようになり、その信仰となったのが藍神様として親しまれた「愛染明王」です。愛染は藍染に通じることから信仰されたのでしょう。このようにとても長い歴史のある神秘的な藍ですが、プランターでも畑でも栽培でき、育てるのはそれほどむずかしくありません。
自分で大切に育てた藍の葉で染めれば、世界にひとつしかないあなただけの立派な作品ができます。藍の種を入手して、家族の人と一緒に育てて染めてあそんで下さい。藍はすばらしい植物、不思議な植物であることに気づき、これを利用してきた昔の人々にきっと感動すると思います。
日下部信幸
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徳島でのすくも生産とか、ヴェトナムのモン族の藍染めなど、大使は、このところ藍に対して執着しているのです。
藍の種がほしい場合の申し込み先も載っているので、入手して種から育ててみるか♪
【参考図書・HP】
『日本の藍』
藍布の源流
藍栽培と藍の生葉染め