本屋の店頭で『定年バカ』という新書を手にしたのです。
定年のときの記憶も薄れつつある大使であるがが・・・
この本の目次にならんだ数々のバカが気になったので、つい購入したのです。
本は図書館で借りるものとなってしまった大使にとって、新刊本を購入するのは久しぶりのことでおます♪
【定年バカ】
勢古浩爾著、SBクリエイティ、2017年刊
<「BOOK」データベース>より
定年後に続く、20年、30年という人生を思うと、人はいろいろと考えてしまう。生きがいは?健康は?老後資金は?などなど。しかし、多彩な趣味や交友、地域活動などを通じて充実した定年後を送ろう、いや送るべきという「圧」が昨今やたらと強くなってはいないか?無理して「地域デビュー」なんてしないほうが互いの幸せだったりもする。「なにもしない生活」だってアリなのではないか。
<読む前の大使寸評>
この本の目次にならんだ数々のバカが気になったので、つい購入したのです。
本は図書館で借りるものとなってしまった大使にとって、新刊本を購入するのは久しぶりのことでおます♪
rakuten定年バカ
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数々のバカのうち、終活バカを見てみましょう。今年71歳の著者が説く終活バカだけに、説得力があるでぇ。
p168~169
■「終活」は認知されたのか
定年といえばまだ60歳、再雇用で延長になっても65歳、まだ死を意識する年齢ではない。わたしは今年70だが現実的な死を意識していない。
59歳で退職したときは、あと十年、70まで生きられるかな、とは思った。体調に自信があかったからだが、意外と大丈夫なものである。4、50代に比べれば、たしかに死をより近くに感じる。実際、近い。いつなにかあってもおかしくはないな、という意識はある。
しかしこんなことをいくらいっても意味はない。多少意識はする、とはいっても、まったく本気ではないし、それゆえなにもしていないからである。だから「終活」といわれてもなんの実感もない。ふだんは死など完全に忘れている。できれば、死の三日ほど前まで本気になれなければいいと思う。
ところが世は「終活」ブームとやらで、エンディングノートを書いておこう、遺書の書き方も学んでおこう、墓の準備をしなさい、生前整理をしておきなさい、子どもに迷惑がかからないように葬儀費用は確保しておこう、自分らしい死に方(散骨、樹木葬など)を考えている人はそれなりの準備を、延命治療の可否もはっきりさせておこう、などといわれ、なにやらせかされているような空気になってきたのである。しかし世の中には、きっちりとした計画好きの人がいて、もうすべて済ませたよ、という人もいるのだろう。
「終活」か。めんどうくさいことになってきたものである。こんな言葉、犬に食われてしまえと思う。元々はただの「部活」ですよ。それが「就活」になった。そこまではまだよかった。それをどこかのバカが「婚活」に流用したところ、目新しいことならなんにでも食いつくマスコミが、お、それおもしろいね、と喜び、そこからはもう「活」の付け放題、もっとないかと行き着いた先が「終活」である。
実際に「終活」をしている人(団塊の世代が多いようだ)に、うかつにバカとはいえないから、ちょっと日和って、この言葉にくそバカといっておく。
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ウン くそバカってか・・・過激なご意見でおま♪
『定年バカ』1