図書館で『縄文人は飲んべえだった』という文庫本を、手にしたのです。
先日『知られざる縄文ライフ』という本を読んだが、その勢いでこの本を読んでみようと思ったのです。
それにしても、「ハイテク考古学」という視点がいいではないか。
この本は『週刊朝日』91~92年に連載した記事をもとに加筆して文庫化しているそうだが、なかなか目を引く構成になっています。
【縄文人は飲んべえだった】

岩田一平著、朝日新聞出版、1995年刊
<「BOOK」データベース>より
バイオ、CGなど最新技術が古代史研究を塗り変えた。ユニークで斬新な「ハイテク考古学」の視点から、言語学、環境考古学の研究動向をふまえ、日本人のルーツ、縄文人の食生活、など数々の謎に迫る。話題の三内丸山遺跡についてもふれた“古代史マジカル・ミステリー・ツアー”へようこそ。
<読む前の大使寸評>
先日『知られざる縄文ライフ』という本を読んだが、その勢いでこの本を読んでみようと思ったのです。
それにしても、「ハイテク考古学」という視点がいいではないか。
rakuten縄文人は飲んべえだった
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日本語の起源が語られているので、見てみましょう。
言語学のおさらいのような内容になっていて、個人的に興味深い内容です。
p47~55
<意外に似ていない日本語と朝鮮語>
言語を比較するには、大きくいって文法と音韻、語彙の三要素がある。安本さんはコンピューターを使った数理統計学を駆使し、この三点について上古・現代日本語と他の言語の関係を調べた。
文法と音韻については、「主語-目的語-動詞の語順である」とか「形容詞は名詞の前にくる」「二重子音がない」「単語は原則として母音でおわる」など、12項目にわたる上古・現代日本語の特徴について他の言語と比較した。
語彙については、安本さんは、比較する言葉を数詞とか目や口、耳など生活の基礎になる二百語に限定した。
(中略)
はたして、コンピューターはどんな結果をはじき出したのか。
「日本語と朝鮮語、アイヌ語は、音韻や文法のうえで、互いに偶然とはいえない関係があることがわかりました」(安本さん)
上古日本語にいちばん近いのが、アイヌ語で、つぎが現代朝鮮語の順だ。
「この三つの言語は、六千年以上も前の縄文時代に、古極東アジア語というような何かしら一まとまりの言語群をつくっていたのではないか」
と、安本さんはいう。
ところが基礎語彙のほうは、日本語と朝鮮語で一致するものは、安本さんが予想したほど多くはなかった。
奈良時代の日本語と一致する15世紀ごろの朝鮮語は、基礎200語中39語。この一致数は台湾のアルタヤ語と同じで、インドネシア語よりもわずかながら少なかったのである。
日本語の祖先は韓国語だとか、ヤマト言葉は韓国南部の古代方言だとか、『万葉集』は古代の韓国語で読めるというような指摘が、韓国の言語学者や歴史家の間からしきりに主張されている。
だが、変化しにくいとされる基礎語彙の大多数が、8世紀の奈良時代の日本語と15世紀の朝鮮語との間ですでにくい違っている。これに対して、紀元1~2世紀ころの気候悪化期に本州と隔絶したとされる現在の沖縄・首里方言でも、上古日本語とは、約六割も一致しているという。
これらの結果からすれば、たとえ根っこは同じ言語でも、奈良時代には、日本語と朝鮮語は、すでにかなり違う発展をとげていて、通じないことばになっていたと考えたほうが、すなおな解釈ではないか。
(中略)
<日本語はチャンポン語>
それでは、日本語は、どうやって形成されたのか。
その前置きとして、比較言語学者の間で言語混交のケースとしてよく引き合いに出される「奴隷船のことば」の逸話をしておきたい。それは、こんな話である。
…かつて、新大陸に向かう奴隷船は一隻に同じ部族の黒人を乗せずに、なるべく違う部族の黒人を乗せた。言葉の通じる者同士を乗せると、反乱の謀議をされかねないからだ。黒人たちは、自分たちの意思を通じさせるために仕方なく白人たちの言葉を聞きかじって共通の言葉とした。
この「奴隷船のことば」のように、言葉の通じない者同士が聞きかじりの言葉を通して会話するために生れたチャンポン語をピジン語という。ピジンというのは、英語の「ビジネス」の中国なまりで、中国人が商売のために耳で覚えた中国なまりのチャンポン英語をピジン・イングリッシュといった。ピジン語は、そこからきた命名といわれる。
「日本語もピジン語のように、古代にさまざまな言語が混合してできた言語だと考えられます」
こう語るのは、川本崇雄・創価大学教授(社会言語学)である。
1万数千年前に大陸から切り離された日本列島には、縄文時代以来、北から南から、いろんな民族が渡来して住み着いた。そこに、奴隷船に乗り合わすことになった言葉の通じない黒人たちと同じような状況が起こったと見るのだ。
近代以降、ピジン語は世界中の植民地で発生した。たとえば、谷を一つ隔てれば部族が違うといわれ、狭い地域に数百の言葉が混在しているニューギニアにもピジン語ができた。川本さんの著書『縄文のことば、弥生のことば』(岳書房)によると、事情はこうだ。
ニューギニアでは、19世紀後半にドイツ人が南太平洋のサモアでプランテーションを開拓するため、いろいろな部族の人たちがかり集められ、サモアに送り込まれた。そこで、異なる部族間で共通の言葉を話す必用が生まれ、聞きかじりの英語が使われた。このピジン語はトークピシンと呼ばれた。
やがて、ニューギニアでもドイツ人がプランテーションを開き、そこで働かせるために、サモアからトークピシンをしゃべるニューギニア人が連れもどされた。
トークピシンは、共通の言葉を持たなかったニューギニアで普及し、いまでは、教会や国会、行政、新聞、放送、初等教育でも使われる権威ある言葉にまで成長した。聞きかじり英語のト-クピシンだが、現在では話し手がニューギニアには百五十万人から二百万人いて、一つの言語になっているという。
幕末、開港した横浜の外国人居留地でも、日本語の単語を借用した「ヨコハミーズ」というピジン語が、ごく短期間だが、存在したというし、敗戦直後に売春婦が進駐軍の兵隊とコミュニケーションを持つために聞きかじりの英語をしゃべり、パングリッシュといわれたのも、一種のピジン語といえば、いえる。
<北方系の文法に南方系の語彙>
(中略)
このトークピシンが日本語成立の一つのモデルになるという。日本語は文法的には北方系のアルタイ諸語に近いのに、語彙は南方的な言葉の影響が色濃い。この混沌を川本さんは、「トークピシンの成り立ちから考えて、もともと縄文時代の日本列島には、北方的な文法を持つ土着語があったらしい。そこに南方的な言語を持つ人々が何度も入ってきてピジン化が起きた。さらに、縄文時代の終りにも稲作技術を持った人たちが渡来し、ピジン化が進んだんでしょう」
と推理する。
小山修三・国立民俗学博物館助教授(文化人類学)は、
「川本さんの『日本語はピジン語だった』という説は、文化人類学や考古学的にみても、よくうなづける説です」
と、日本語ピジン説を支持する。
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ウン ピジン語の説明と日本語ピジン説が、ええでぇ♪
注:安本さんとは安本美典・産業能率大教授(計量言語学)
先日読んだ『知られざる縄文ライフ』です。
『知られざる縄文ライフ』4:縄文人と渡来人
『知られざる縄文ライフ』3:縄文人はどこから来たの?
『知られざる縄文ライフ』2:縄文の美の発見者
『知られざる縄文ライフ』1:鬼界カルデラで大噴火があり