図書館に予約していた『極夜行』という本を、待つこと5ヵ月でゲットしたのです。
昨年末のETV特集『極夜 記憶の彼方へ~角幡唯介の旅~』を観たのだが、壮絶な内容であった。
…で、イラチな大使はこの本の図書館借出しを予約していたのです。
【極夜行】
角幡唯介著、文藝春秋、2018年刊
<「BOOK」データベース>より
ひとり極夜を旅して、四ヵ月ぶりに太陽を見た。まったく、すべてが想定外だったー。太陽が昇らない冬の北極を、一頭の犬とともに命懸けで体感した探検家の記録。
<読む前の大使寸評>
昨年末のETV特集『極夜 記憶の彼方へ~角幡唯介の旅~』を観たのだが、壮絶な内容であった。
…で、イラチな大使はこの本の図書館借出しを予約していたのです。
<読始めの大使寸評>
このドキュメンタリーは連れ合いの出産場面から始まるのだが、とっかかりから読者の予想が外れるわけである。
なるほど命がけの探検のプロローグとしては、繋がっていると言えるのかもしれない・・・どちらも光に注目して描いています。
<図書館予約:(12/02予約、5/06受取)>
rakuten極夜行
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この本の冒頭を、見てみましょう。
p7~21
<東京医科歯科大学附属病院分娩室>
「うぎゃあ! 痛い! もう、いやだっ!」
分娩室で妻の絶叫が響いた。
妻は寝台に横たわり、顔を真っ赤に染め、猛烈な陣痛に耐えていた。出産間近となった彼女の腹は見事なまでにまん丸と突き出し、巨大な毬でも呑みこんだようだった。
妻のその毬腹には電流がスムーズに流れるように透明なゲル状の物質が塗られ、感知パッドが接着されてコードで陣痛計につながっていた。どうやら妊婦の毬腹は陣痛の波に襲われるとぱんぱんに膨張し、逆に波が去ると収縮するらしい。感知パッドはその膨張と収縮の一連の流れをとらえて、数値と折れ線グラフに変換してモニターに表示する仕組みになっていた。
毬腹はゲル状物質で妖しくてらてらと光っていた。毬腹の中には私たちの赤ん坊がいるのだが、どうやら赤ん坊は暗い羊水の中で外の世界に出生することをためらっているようだ。なかなか出てこようとしない。
「うぎゃあ! 痛いいい! もう、いやだっ!」
陣痛の波がくるたびに妻は同じフレーズをくりかえして絶叫した。
私は妻の出産に立ち会っていたものの、その痛みを共有することはできなかった。
(中略)
娘の目にはまだ視力がなく、ほとんど何も見えていないにちがいない。目の前に広がっているのは、ただの光の空間だったはずだ。子宮の中の暗闇から狭い産道をくぐりぬけた瞬間、彼女の全面には眩いばかりの光がひろがった。娘はその見たことのない明るい世界に飛びだして、ただ戸惑っていた。
この世に存在して初めて見る光。たとえ天井のLED電灯だとしても、それは信じられないほどの明るさだったにちがいない。
すべての人間が等しく見る最初で最後の究極の光を、生まれたての私の娘は見ていた。
<最北の村>
地球上には極夜という暗闇に閉ざされた未知の空間がある。
それは太陽が地平線の下に沈んで姿を見せない、長い、長い、漆黒の夜である。そしてその漆黒の夜は緯度によっては三ヶ月も四ヶ月も、極端な場所では半年間もつづくところもある。
私がシオラパルクの村を訪れたとき、村はもう二週間以上前から太陽が昇っていなかった。
極夜となり太陽が不在となったせいで、村の風景は全体的にどす黒く染まっていた。海はどす黒く、空もどす黒かった。正確に言えば、どす黒いというより、色調を通常の紺色から数段階黒に近づけた濃紺という感じなのだが、極夜という太陽不在の暗鬱な季節の心象が、私に村の色合いを濃紺ではなくてどす黒いと感じさせた。
雪も氷も全体的なトーンの影響を受けて、うっすらどす黒く、人々の顔も生気が喪われるせいか、気持ちどす黒く見えた。わずかに染み出してくる太陽の光が、地表や海にすべて吸収されてしまい、もうあまり残っていないのだった。
その青黒い闇の中で、村の一角だけが橙色の街灯や家々の室内灯のおぼろげな光につつまれていた。
極夜の闇の端っこで、ポツンと寂しそうな感じで光が灯る村の様子は、どこか物悲しかった。人々は肩をよせあい、小さな電球を灯して、闇に塗りこめられようとしている世界に対してはかない抵抗をしているように見えた。人間の無力、滑稽さ、悲哀、虚しさ。そうした人間存在のはかなさを徴わす一切が、そのか弱い光からは滲み出しており、見ていて妙にせつなかった。村は闇の中で完全に孤絶していた。
村に到着したのは2016年11月7日だった。成田空港で妻と三歳になる娘に見送られて日本を出国したのはその9日前。欧州を経由してグリーンランドに入り、シオラパルクから50キロ離れたカナックという空港のある隣町までは順調にやってきた。
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ETV特集『極夜 記憶の彼方へ~角幡唯介の旅~』