図書館に予約していた『農業起源をたずねる旅』という本を、待つこと1週間でゲットしたのです。
中尾佐助さんと言えば、照葉樹林文化論を唱えた第一人者として大使が尊敬している学者だから、この本もいけてるのではないかと期待するわけです。
【農業起源をたずねる旅】
中尾佐助著、岩波書店、1993年刊
<「BOOK」データベース>より
ニジェール川上流域からサハラ砂漠南縁に沿ってエチオピアに至る、スーダンベルト八十日間の探検調査行。著者は、サバンナと熱帯雨林の栽培植物、野生植物、農耕形態を克明に観察し、鋭い直感をはたらかせて、自著『栽培植物と農耕の起源』で主張した「西アフリカは人類史上重要な農業起源の地である」ことを検証する。現地体験の魅力を鮮明に伝える貴重な記録。
<読む前の大使寸評>
中尾佐助さんと言えば、照葉樹林文化論を唱えた第一人者として大使が尊敬している学者だから、この本もいけてるのではないかと期待するわけです。
<図書館予約:(7/02予約、7/09受取)>
amazon農業起源をたずねる旅
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アフリカの焼畑耕作について、見てみましょう。
p145~149
<中間地帯を下る>
■国境の落日
2月1日、われわれの自動車隊はニジェール国の南端、ダオメ国(現在ベニン国)との国境に到着した。ちょうど落日がまさに没せんとする時間だった。国境線はニジェール川で橋がかかっている。対岸はダオメ領で、夕霞をすかし、パルミラヤシが岸辺に立ちならんで見え、画にかいたような美しさだ。出国と入国の手続きをやっているうちに、まったく日は暮れて夜になってしまった。私たちは暗くなってからダオメ領に入り、時間の節約のためさらに100キロメートルの前進をした。
暗い夜道を自動車のヘッド・ライトをたよりに走っていてはほとんどなにも見えない。けれども、夜だからかえってよく見えるものも少しある。私たちの自動車はサハラの南の乾燥地帯から、どんどん南下して、ギネア湾岸の熱帯降雨林地帯へと向かいつつある。ダオメへ入ると、ヘッド・ライトの光に浮かび上がる道ばたの草がもう1メートル以上にも伸びている。いままでの膝くらいの草丈と違って、格段の成長ぶりだ。
道ばたの樹林の木の密度もサバンナと違って、連続して樹冠層をつくるようになってきたことぐらいは、夜行軍の間でも見てとることができた。しかしその樹木はまだ大木はほとんどなく、大部分が落葉している。私たちはいまサバンナと降雨林地帯の中間に入ってきたのだ。
■夜空に映える野火
夜行軍でいちばん印象的に見えるのは、それはいたるところにのほうずもなく広がっていく野火だ。冬の乾季の最中、西アフリカは樹林も原野もいたるところが、メラメラ燃えている。1時間の走行中、何回そうした野火を見るだろう。3回、5回それくらいが普通のことだ。
こんなにいたるところが燃えているのは、三つの原因がある。第一は輪換焼き畑耕作が大面積で行なわれており、いまがその焼く時期であること。第二に樹林の山火事の結果、樹林が改良されて利用度が向上することがあり、山火事が現住民に許容されていること。
それはたいへんな有用樹であるシアー・バターの木と油ヤシの木が山火事に対して抵抗力が強いので、他の樹木が焼けて死ぬことにより、除草のような効果が現れるからだ。それからツェツェ蠅の駆除にも効果がある。第三は日本の山火事と同じような失火である。この三つの原因の火が、どんな割合におこっているかは、私にはとても答えられない。
このうち農業上重要である輪換焼き畑耕作については、中間地帯と南部熱帯降雨林地帯では、たいへんよく目だってくる。車窓から見ていると、一見なんでもない荒蕪地、草地、灌木や人も入れないブッシュといったところが、いくらでも見えてくる。これが、ただの廃地でなく、組織的に休閑している耕地であるのがほとんどである。
西アフリカは歴史も古く、人間の活動が盛んな地域であるから、自然林がそのまま残っている所はひじょうに少ない。自然林の残存は、面積割りからいえば、たぶん日本より低いだろう。それほど、西アフリカの大平野はすでに人間により荒されているのだ。
■輪換栽培方式
西アフリカのネグロの耕作方式については、焼き畑をふくめて、ひじょうにいろいろな方式がある。最近になって西アフリカ全地域にわたって地理学者がまとめた成果が報告されているので、それを参考にして、全体を通観してみよう。西アフリカのスーダン・ベルトから、海岸への中間地帯は、いちおう畑地は輪換休閑をするタイプの農耕方式ということができる。この休閑期は草が生じるにまかせ、そこに家畜の放牧が行なわれている。この草休閑は、中間地帯では草の生長がよいので、必ず野焼きを伴うことになる。
(中略)
休閑期が草だけでなく、灌木、樹木が育って、一面の叢林、樹林までになり、それを再び切り倒し、焼いて畑にする方式は、海岸部に近い、湿潤な熱帯林地帯に出現してくる。この焼き畑方式は、東アジアやメラネシア、ポリネシアから日本にまで豊富に出現してくる焼き畑民の方式とまったく同じといってよい。焼き畑で2、3年栽培し、それを放棄すると、数年後には叢林におおわれ、さらに数年後には樹林にまで回復する。西アフリカではこの回復のプロセスはいつもみごとに起こっていた。
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『農業起源をたずねる旅』2:アフリカの遊牧民
『農業起源をたずねる旅』1:アフリカの主要な穀物