図書館で『田辺聖子の古典まんだら(上)』という本を、手にしたのです。
先日『やさしい古典案内』という本を読んだところであるが・・・
古典案内の第一人者といえば、田辺聖子さんであろうと思うのです。
【田辺聖子の古典まんだら(上)】
田辺聖子著、新潮社、2013年刊
<「BOOK」データベース>より
古典ほど面白いものはない!読んでみれば、気になる登場人物がきっと見つかるはず。この人が大好き、というお気に入りができたら、もう魅力に気づいたということ。ヤマトタケルが『古事記』の中で詠んだ、後世の私たちに捧げてくれたラブメッセージ。『万葉集』には、かつての恋人へおおらかに歌いかける額田王の姿が…。古典をこよなく愛する著者が、その魅力を縦横無尽に語る。
<読む前の大使寸評>
先日『やさしい古典案内』という本を読んだところであるが・・・
古典案内の第一人者といえば、田辺聖子さんであろうと思うのです。
rakuten田辺聖子の古典まんだら(上)
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才媛と言われた清少納言について、見てみましょう。
p146~150
<悲しいことはいいの。楽しいことだけ書くわ:枕草子>
『枕草子』の作者にである清少納言は、紫式部のライバルです。ライバルといっても、清少納言のほうが世に出るのが早く、生れた年も紫式部より十年ぐらい早いのです。ですから、清少納言が、紫式部という才媛の噂を聞いていたかどうかはわかりません。
でも、紫式部は後から一条天皇の宮廷に入ったので、清少納言の噂をたくさん聞いていました。『紫式部日記』では、清少納言について「得意顔で利口ぶって書いているけれども、よく読むと、半端なことが多い。漢字も漢文もわかってない。あんな人の行く末なんかたいしたことないわ」とぼろくそです。その表現がきついので、「紫式部ってこんな意地の悪い人なの」という人が多いのですが、物書きとというのはたいてい意地が悪いのです。
私は紫式部も好きですけれども、清少納言も好きです。清少納言が幸福だったのは、人生で二度とめぐり合えないようなすてきな女性と出会ったことです。一条天皇の中宮となった定子です。日本人の女性のなかで、定子中宮ほど立派な人はいなかったのではないでしょうか。ユーモアがあって、学問があって、心だてが優しくて、しかも大変な美人だったそうです。お父さんの藤原道隆に掌中の珠と育まれ、さまざまな学問を学び、朗らかなる明るい女性に育ちました。
やがて一族の期待を一身に担って、一条天皇の後宮へ入内します。一条天皇は、定子より3、4歳年下でしたけれど、大変すぐれた賢帝で、心持ちがなだらかな方でした。一条天皇と中宮定子は本当に相思相愛の仲でした。そういう中宮定子に仕えて、清少納言はあこがれと敬愛の念を捧げ、「中宮定子様のことを書きたい。これが書ければ、人生が書けたのと同じことだわ」と、中宮定子讃美の文章を綴りました。
私は子供の頃、「清少」は姓で「納言」は名前だと思っていました。変な名前だと子供心に感じていたのですが、実は「少納言」というのは役人の官名です。一族に少納言をつとめる人がいたといわれています。「清」というのは、お父さんの清原元輔の姓に由来します。
清原家は門地が低く、一族はみんな出世が遅かったのです。しかし清原家は代々、歌人として聞こえた家です。「百人一首」には親子兄弟でとられているケースも多いのですが、この清原家は三代ないし四代にわたってとられています。
清少納言の曽祖父とも祖父ともいわれる清原深養父は有名な歌人です。「百人一首」にとられた歌です。
夏の夜はまだよひながら明けぬるを雲のいずこに月やどるらん
清少納言の父・清原元輔は『後撰集』の選者でした。『万葉集』の付訓にあたった梨壷の五人の一人でもあり、これは大変名誉なことです。元輔も歌人として有名で、「百人一首」に選ばれています。
契りきなかたみに袖をしぼりつつ末の松山波こさじとは
「君と僕は約束したではないか。末の松山を波が越せないように、決して互いに心がわりしないと」
心がわりした女に贈る歌を、人に頼まれて代作したものです。男がやわらかく女を責めています。厳しく責めるのではなく、できるなら、もとのようにと翻意を促しています。「君をおきてあだし心をわがもたば末のまつ山浪もこえなん」という歌がもとになっています。どこかはっきりとはしませんが、海岸の近くにある、この松は、決して波がその上を越えないと伝えられています。心がわりをしないという誓いに「末の松山」を持ち出すのは日本の文学の伝統です。
清少納言の歌才もよく知られています。
清少納言は、一世を風靡した能書家・藤原行成と仲がよかったのですが、あるとき、行成と清少納言がおしゃべりをしていて、思わず夜遅くなってしまいました。明日は宮中に1日いなければならないというので、行成は急いで帰ります。
翌日、行成から手紙が来ました。
「もっとゆっくり話をしていたかったえれども、鶏の声が聞こえたものだから、急いで帰って名残惜しい」
行成は、小野東風、藤原佐理と並んで三蹟の一人です。清少納言はほれぼれと手紙を眺めたのち、返事をします。
「私には鶏の声は聞こえなかったわ。あなたが聞いたのは孟嘗君の鶏の声では?」
これは『史記』に記されている故事をもとにしています。孟嘗君という人が敵地を脱出し、函谷関の関所までたどり着いた時のことです。この関を夜のうちに越えたいのですが、明け方に鶏の声が聞こえないと開けないというのが函谷関の決まりです。孟嘗君は食客三千人といわれるほど、たくさん家来がいました。異能の家来がいろいろいるなかに、物真似が大変上手な人がいました。その人が鶏の声を真似て、関を開かせ、孟嘗君の一行は無事逃げることができたのです。
この故事を踏まえたうえで、清少納言は当意即妙に返歌したのです。それを読んだ行成はとても喜びます。それまで、男同士のように話せる女性はいなかったのでしょう。清少納言はあまり美人ではなかったといわれますが、彼女の才気はそれをカバーして余りあるものでした。
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先日読んだ『やさしい古典案内』という本です。
【やさしい古典案内】
佐々木和歌子著、KADOKAWA、2012年刊
<「BOOK」データベース>より
文字を獲得して以来、日本人はさまざまな作品を書き残してきた。漢字で書かれた『万葉集』から、仮名で綴られた和歌へ、そして散文、さらに物語へー。新たな表現方法の誕生は、新たな作品の形式を生み出していく。人々はどういう時に書きたいと思い、どういう思いで新たなジャンルを生み出したのか?江戸時代までの主要な古典の概要と、文字とともに生活してきた日本人の姿を描き出す。身近でわかりやすい古典文学入門。
<読む前の大使寸評>
太子が親しんできた古典といえば国語の教科書に載っている方丈記、徒然草、枕草子程度であり、やや寂しいのである。
・・・というわけで、この本でさらなる古典に目を向けようと思うのです。
rakutenやさしい古典案内
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『やさしい古典案内』3:『平家物語』
『やさしい古典案内』2:『方丈記』
『やさしい古典案内』1:『万葉集』