図書館で『ジャンク・フィクション・ワールド』という本を、手にしたのです。
ぱらぱらとめくってみると・・・
宇宙戦争、タイムマシン、地球空洞説など、目くるめくジャンク・フィクションが並んでいて、楽しそうな本やでぇ♪
【ジャンク・フィクション・ワールド】
風間賢二著、新書館、2001年刊
<「BOOK」データベース>より
ドラキュラ、フランケンシュタイン、宇宙戦争、タイムマシン、地球空洞説、アトランティス…ホンモノの小説は遠慮会釈なく面白い。
【目次】
『吸血鬼ドラキュラ』は単なる怪奇小説じゃない!/火星人は人類の末裔?/人間は猿か天使か?/“邪視”を持つ男の物語/アイデンティティのエントロピー状態/地球の中はカラッポ?/失われた世界を求めて/海がこわい/最後に合理が勝つ?/恋愛という病を伝染させる小説群〔ほか〕
<読む前の大使寸評>
ぱらぱらとめくってみると、宇宙戦争、タイムマシン、地球空洞説など、目くるめくジャンク・フィクションが並んでいて・・・楽しそうな本やでぇ♪
rakutenジャンク・フィクション・ワールド
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『不思議の国のアリス』が語られているあたりを、見てみましょう。
p57~60
<ファンタジーのなかのダーウィニズム>
かくして聖職者と科学者が“人間は猿か天使か”をめぐって激しい論争を行ない、作家たちは物語の形式を借りてこの新たな進化論に関する当否を述べ、おかげでダーウィニズムはたちまち一大ブームとなった。ウェルズの『タイムマシン』は、その手の代表的な作品のひとつだが、より明白に語ったSFホラーが『モロー博士の島』(1896年)である。
また、人間の内には野獣が潜んでいると語るスティーヴンスンの『ジキル博士とハイド氏』(1886年)は『モロー博士の島』タイプの先駆的なホラーといえる。その他にも、ラドヤード・キプリングの『ジャングル・ブック』(1894年)やハーディの『ダーバヴィル家のテス』(1891年)といった英文学史上に名だたる傑作はいずれもダーウィニズムの影響を受けていたが、ここでは、殊にその影響が顕著に見られるファンタジーを三点だけ紹介しよう。
まずは、ルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』(1865年)。どこがダーウィニズムなの? と思われるだろうが、第三章の<コーカス・レース>がそれだ。アリスが流した大粒の涙が海と化し、そこを小人になったアリスや様々な鳥獣たちが泳ぎ、陸に上がって身体を乾かすために、円を描いてぐるぐる走り回るという奇妙な競争のシーン。弱肉強食の論理で絶滅したドードー鳥や猿が登場するこのレース、自然淘汰と自由競争をノンセンスなものとして茶化している。
大学教師にして聖職者であったキャロルは、反ダーウィニズムの立場でこのエピソードを創作したのだ。
同じ聖職者でも、チャールズ・キングズリーの『水の子』(1866年)は、ダーウィニズムに好意的だ。彼は、ダーウィンの学説における、いきあたりばったりの創造性や「変態」に見られるありそうもないが事実である不思議さのなかに、宗教的な意味を見いだしたのである。そして、絶滅、退化、反復、および発達のイメージを奔放な想像力と優れた洞察力をもって寓話化した。
(中略)
最後は、ノヴァーリスやティーク、ホフマンといったドイツ・ロマン派の哲学的創作メルヘンに影響を受けたジョージ・マクドナルドの『お姫さまとゴブリンの物語』(1872年)。彼もやはり聖職者であり、同時にキングズリーようにダーウィニズムの支持者だった。ただし、進化ではなく、退化をテーマとしている。
物語に登場する邪悪な廷臣や召使は動物に退化しつつある人間であり、同様にゴブリンもかつては普通の人間であったとして語られる。『モロー博士の島』や『ジキル博士とハイド氏』のパターンである。
(中略)
このように、進化が必然的にはらむ頽廃の予感に怯えていた時代、それが19世紀末の英国だった。ユートピアは、たえずディストピアの危険性を内在させている。純真なエロイ族の住む地上の下には邪悪なモーロック族が潜んでいるように。
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なお、ジョン・テニエルの挿絵は太子のツボなんですが、『図説不思議の国のアリス』という本がお奨めです。
『図説不思議の国のアリス』2:ジョン・テニエルの挿絵
『図説不思議の国のアリス』1:アリス・ファンタジーのキャラクター