図書館で『アジア幻想』という本を、手にしたのです。
この本には見覚えがあるので、再読しようということでかりたわけでおます。いわゆる確信犯というわけで・・・帰って調べるとおよそ11ヶ月前に借りていたのです。で、(その3)としました。
この本の副題が「モームを旅する」となっているが、和田誠さんの本で『アシェンデン』の書評を読んだあとだけに・・・
モームにいたく惹かれる大使でおます。
【アジア幻想】
村松友視著、講談社、1989年刊
<「BOOK」データベース>より
“擬似楽園”に深く刻まれた?マークの謎。ラッフルズ・ホテルの木陰にたたずむとなぜか苦渋にみちたモームが現われてきた…。
<読む前の大使寸評>
この本の副題が「モームを旅する」となっているが、和田誠さんの本で『アシェンデン』の書評を読んだあとだけに・・・
モームにいたく惹かれる大使でおます。
amazonアジア幻想
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ラッフルズ・ホテル
モームが東洋をどう見ていたか、見てみましょう。
p74~75
<植民地・東洋での白人だけを書いた/モームも新鮮な刺激を感じなくなった。>
東南アジアの人々の中でも、モームはあまりよくおもわれていなかったという説も多く出ている。これはモームが東南アジアそのものを描くのではなく、そこへやって来るイギリス人たちの屈折にみちた生態を描き出すのを目的としていたところから生じる感覚だ。
モームは大英帝国の文豪として極東や南海へと旅したが、そこの原住民たちには何ら関心を示すタイプでなかった。つまり、モームは大英帝国の権威と潤沢な金をたずさえて、きわめて高飛車に極東や南海をながめ、ただ作品の舞台背景としたにすぎないというアングルだ。
これはおそらく、かなり的を射ているのではなかろうかというのが、今になっての私の感覚だ。
ラッフルズ・ホテルのパーム・コートの白い椅子に座り、そこに屯するイギリス人たちを観察していたモームの姿は、大英帝国の文豪そのものだったにちがいない。そこへ、ウィスキー・ソーダを持って行ったボーイたちは、畏敬の念をこめてモームをながめていたはずだ。そして、モームはその構造をよく知っていたのではないだろうか。
カジュアライナ樹を、「まるでレースのカーテンのようだ」と形容したモームは、カジュアライナ樹に母国のレースをかさね合わせて思いに耽ったのであり、南国の樹々をめでたわけではなかった。やはり、モームにとって東南アジアの地は、イギリスからよんどころなくやって来た白人たちが、人間の醜さと哀しさにみちたドラマを展開する格好の舞台であったというあたりが、いちばん芯に近いような気がするのだ。
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『アジア幻想』2:東洋におけるモームp118~120
『アジア幻想』1:イギリス文壇から冷遇されたモームp58~61