在日韓国人と在日台湾人といえば、個人的には興味深い存在なので・・・
以前の朝日新聞記事を以下のとおりもう一度読み直してみようと思い立ったのです♪
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■二つの言語、あるがまま受け止め 「由熙(ユヒ)」 1989年刊・李良枝(イヤンジ)
「ことばの杖を、目醒めた瞬間に掴(つか)めるかどうか、試されているような気がする」
「●(●はハングルのア)(ア)なのか、それとも、あ、なのか」
1992年に37歳で早世した作家、李良枝(イヤンジ)は、在日韓国人女性である自身を投影した作品を多く残した。89年に出版された『由熙(ユヒ)』の中で、「母国」である韓国に留学している由熙という名の在日韓国人女性は、朝起きるたびに口にするべき言語に迷う。そして「同じ血の、同じ民族の、自分のありか」を求めようと切望しながら、韓国にも韓国語にも適応できないまま「杖が、掴めない」と日本に帰っていく。
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良枝は、韓国出身の両親のもと、山梨県に生まれた。離婚裁判で争う父母から逃げるように京都の高校に通い、早稲田大学に入学したものの、中退。その後、ソウルで大学に通いながら、伽ヤ琴(カヤグム)や巫俗(ムソク)舞踊を学んだ。自身の半生を描いた「ナビ・タリョン」で82年にデビューし、芥川賞候補となった。
「自分の中にあった『由熙』を葬り去りたかった」という動機で書いたという『由熙』は、「民族性を言葉の問題ととらえ、二つの文化の間の矛盾を深く掘り下げた」などと評価され、芥川賞を受賞した。その発表直後の朝日新聞のインタビューで良枝は「心によどむこだわりがひとつ、ふっきれた感じ」と語り、受賞の言葉では「強く、温かく、たおやかな息づかいを、私は二つの言語の響きの中に感じ取る。今からなのだ、と思う」と記した。
だが同時に葛藤もしていたという。「受賞の直後から(賞を)『取らなければよかった』って言い続けていた」と、妹の栄さんは言う。日記に常々「今日も口数が多かった」と反省の言葉をつづる繊細さを持つ良枝にとって、受賞は負担にもつながった。
栄さんは、良枝が渡韓するまで、兄の哲夫さんと3人で日本国内で暮らしていた。対立しながらも支え合ってきた兄の死を悼む主人公を妹の目線から書いた「あにごぜ」は「実話に近い」。書き上げると、良枝は栄さんに読み聞かせ、間違いを指摘すると素直に修正した。どんなに酔っ払って帰っても朝になると自室にこもり、やかんの沸騰する音も気にせず集中して書き続けた。「命を削って書いていた。書かなければもう少し長生きできたのかな」
92年、日本に一時帰国し、長編小説『石の聲(こえ)』を執筆中に良枝は急性心筋炎で亡くなった。
「物事をそれとしてあるがままに見る目」を重視した良枝は、在日の留学生が韓国社会を「野蛮」と見下す場面を描くなど、自身にも差別する心があることに向き合った。だが、今では日本の若者がBTSなど、韓国の流行を追いかける。「お姉ちゃんが生きていたら、今の韓国をどう思うだろう。BTSはきっと好きになっていたんじゃないかな」と栄さんは笑う。
没後から30年を迎えた昨年、『由熙』は英訳版が出版され、日本でも新たに『由熙』や『石の聲』の一部を収録した『李良枝セレクション』(白水社)が出版された。5月には、講談社文芸文庫からも『石の聲 完全版』が刊行される予定だ。
『セレクション』を担当した編集者の杉本貴美代さんは、「二つの母国のはざまで悩み、理解しようと努力して、どちらも愛していると言えるところまでたどり着いた。その葛藤や気づきが、社会の分断が広がる今、一層大きな意味を持つ」と話す。案内役として編者を務めたのは、台湾生まれで、日本に育った作家の温又柔(おんゆうじゅう)さんだ。
温さんが良枝の作品にひかれた最大の理由は、「あ」なのか、「●(●はハングルのア)」なのか、選ばなければならないと考えてしまうような「潔癖さ」に共感したからだった。
「潔癖だからこそ、国や民族、人との距離の取り方に戸惑い、自分の居場所を探すための『ことばの杖』にこだわった。李良枝の作品は、国籍や民族にかかわらず、自分が『間違った存在』だと感じるような人にとって、自分をあるがままに受け止め、世界とつながるためのヒントをくれる」(守真弓)
■「在日」には固有の物語がある 俳優・朴昭熙(パクソヒ)さん(47)
最近、李良枝の『ナビ・タリョン』や『由熙』を続けて読んで、五臓六腑がつかまれるような気持ちになりました。あまりに感情移入してしまって。
僕は幼稚園に入った時、2カ月の間に次々と名前が変わりました。最初は日本語読みの新井昭熙(あきひろ)、次に韓国語読みの新井昭熙(ソヒ)、最後は朴昭熙(ソヒ)に。僕の両親や李良枝のような在日韓国人2世は、韓国と日本の間で「在日」という異質な存在であることを身体的、感情的に120%感じながら生きてきた世代です。由熙が「あ」と「●(●はハングルのア)」という「ことばの杖」の間で悩んだように、親も僕の名前に迷ったのかもしれません。
僕自身が「在日」だということをより意識するようになったのは渡米してから。パク・ソヒという韓国名でオーディションを受けても韓国語を話す韓国人の役はできない。「韓国人」と「在日コリアン」はニアリーイコールであっても同じではないと実感しました。
現在、米国のベストセラー小説をドラマ化した「Pachinko パチンコ」で、在日2世を演じています。米国系プロダクションで、韓国人と在日コリアンの違いを理解している人は決して多くない。「在日」の固有の物語を「韓国人」の物語に単純化しないためにも、最近英訳された『由熙』をドラマの制作陣や役者仲間に50部ほど寄贈して、在日の物語を知って欲しいと考えています。
■メモ 『由熙』の単行本は講談社から刊行。李良枝の作品は80年代から90年代にかけて韓国で数多く出版されている。昨年末には英語版『Nabi T’aryong and Other Stories』が出版されたほか、ドイツ語や中国語にも翻訳されている。
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■2023年2月22日
(時代の栞)「由熙」 1989年刊・李良枝 「母国」と向き合う、在日韓国人2世
https://digital.asahi.com/member_scrapbook/detail.html?aid=DA3S15563409&mode=memo
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Last updated
2025.03.22 00:34:27
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