江川家住宅・韮山反射炉(静岡・伊豆の国市)
さて、向かうは「韮山反射炉(Nirayama-hansya-ro)」(世界遺産)…ですが、その前におさらい。「反射炉」とは!大砲を鋳造するために、金属を溶かす溶解炉の事。実際に稼働した反射炉で、日本に唯一現存しているのがここ、「韮山反射炉」なんです。「明治日本の産業革命遺産」として世界遺産に登録されました。8つの県・23の産業遺跡をひっくるめています。同時に登録された同じ反射炉でも、萩にある「萩反射炉」は一度も稼働することなくその役目を終えました。この「反射炉」を幕府に進言し建造したのが、韮山代官・江川英龍(Egawa Hidetatu)。当時、開国を迫られていた内向きの、ある意味、楽観的な日本で、絶大な軍事力を持つ外国の社会情勢に精通していた数少ない開明派の幕臣だった。その彼の家が見学できるという事で、まずはそちらに向かいます。約400年前に建築された「江川家住宅(Egawa-ke-jyutaku)」(重要文化財)。「表門」(重要文化財)は、1696年建築。三間一戸の薬医門。最近では、大河ドラマ「西郷どん」の「高輪薩摩江戸屋敷」として収録が行われた。「表門」脇のこの空間は、城郭で用いられた出入口の一種。説明書には「枡形」と書かれている。「江川邸」の場合、代官が外出する際、人数を揃えるのに使用されていた。幕末には、農兵の訓練場としても利用。農兵制度を実践したのも英龍で、日頃から韮山代官領の農民に軍事的な訓練を施し、危急の際には農兵として動員。迅速に海岸防備体制を取れるようにしていた。「主屋」(重要文化財)の玄関。この玄関は、大河ドラマ「篤姫」でのロケが行われた。玄関前にある大変不思議な木。細長い莢がぶら下がっている。きささげ(木豇豆)といって、この莢が利尿薬となる。韮山城主・伊勢盛時(北条早雲)が植えたと伝わる。主屋の「土間」。天井板がない。屋根の裏が丸見えの「架構」と呼ばれる建築法。細い木枠で、下から見ると心もとないが、意外にも耐震性に優れているのだとか。一番高い位置に木箱が見える。棟札箱で、中には日蓮上人(Nitiren-syonin)直筆の防火符が入っている。そのおかげか、700年間火事に遭っていないのだとか。日蓮上人を数日間お迎えした事を機に、日蓮宗に改宗したのだそうだ。こちらが、その日蓮上人直筆の防火符のコピー。叩き固められた三和土。苦汁を加えられているため、その湿気によって埃が立たないのだそうだ。約50坪の広さがある。「小型砲」。アメリカ製で海軍の上陸舟艇用小型砲。「パン釜」。軽くて日持ちのするパンを焼き、農兵の携帯食にした。日本で初めてパンを焼いた人が、江川英龍だという。「生き柱」。生えていたケヤキの木をそのまま柱として利用したとされる柱。と…言いながらの「生き柱の柱根」がすぐ脇に展示してあり、その注意書きによると…。昭和35年の発掘で、実は柱として土を掘ってその穴に立てた事がわかったらしい。これは、木なんだろうか。歪すぎてよくわからない。途中で折れてしまったようだし。たぶん、あちらは書院(重要文化財)。そこには行けません。何で写真を撮ったんだっけ?ん~と、確かね。雨戸が分厚いって事だったかな?これが例の「パン」。触れるように展示してある。これは結構固いぞ!歯が折れそう…。主屋の外に出る。「西蔵」(肥料蔵)。「南米蔵」・「北米蔵」。「井戸」。この井戸から汲み上げた水を使って、伊勢盛時(北条早雲)や徳川家康(Tokugawa Ieyasu)にも献上していた「江川酒」を作っていた(かも?)。家紋「井桁菊紋」。徳川家康が後北条の里を巡見した時、江川酒を献上。美酒であるとのお墨付きをもらい、「この家紋にせよ」と許可が下ったのだそうだ。楓と樫、の2種類の木が宿った桜。大変珍しい「宿り木」で、春は桜、秋は紅葉が庭を彩る。「武器庫」(重要文化財)。「びらんじゅ(毘蘭樹)」。葉を煎じると咳止めや鎮静薬になった。ちなみに、ここからも富士山が見えるポイント。今日は見えないけど……。「パンの祖江川但庵先生邸」の石碑。江川英龍は、号を但庵(Tan-an)と言う。(ここ韮山ではTan-nan)。碑文は、徳富蘇峰(Tokutomi Soho)。券買所で購入した「パン祖のパン」。この時点(7月末)で、来年の1月初めが賞味期限だった。「裏門」。1590年、豊臣秀吉(Toyotomi Hideyosi)の軍勢によって包囲され、100日間「韮山城」に籠城した際、その砦の1つだった「江川邸」も激しい攻撃を受けている。この門扉、よく見ると多数の穴が開いている。その時の鉄砲の弾の跡だとか。さて、いよいよ「韮山反射炉」へ。世界遺産「明治日本の産業革命遺産」は3つの産業分野に分かれていて、時代も1850年代~1910年間にまたがっている。この「韮山反射炉」は、最も早い時代の製鉄・製鋼分野に当たる。西洋の技術書や西洋船の模倣による、まさに手探りの時代だった。列強諸国に対抗するため、近代的な軍事技術や制度の導入が急務であったのだ。1853年、ペリー来航を受け幕府もやっと重い腰を上げた。江川英龍を中心に、島国日本の海防体制の強化に乗り出した。そして彼は、「反射炉」と東京湾に浮かべる「品川台場」(史跡)の築造の責任者となった。反射炉で造った鉄製の大砲を台場に設置するというもの。実際、東京湾に6つの人工島にたくさんの大砲が備え付けられた。現在、テレビ局や高層マンションが立ち並ぶ観光スポット「お台場」はこうして生まれました。今では、6つの人工島のうち2つしか残っていません。英龍は反射炉の完成を見ることなくこの世を去ったが、息子の英敏が完成させた。高さ15.7m、連双2基4炉の反射炉が、直角に立っている。反射炉の構造。 富士山(世界遺産)とこの「韮山反射炉」のW世界遺産が見える展望台があります。もし、お越しの際は、展望台まで足をお運びください。残念ながら、今日はどこから見ても全く富士山が見えないので、登りませんでした。 「韮山反射炉」の売店。ビックリの「うなぎコーラ」 (2017年7月下旬現在)