SAE'S EASE

2016/03/04(金)17:09

読書記録 『夢十夜』

読書(121)

         2016年3月2日★☆☆☆☆『夢十夜』   夏目 漱石     長崎出版  “こんな夢を見た。”…というクダリから始まる「自分」が見た夢の話、10篇の短編集である。版画家・金井田英津子氏の装填、挿画による美しい本になっている。洒落ているのがそれぞれ、第一夜・第二夜…と一話ごとにある夜の夢へと誘うことである。夢のこととて、辻褄が合わなかったり、唐突に終わってしまったり、結末がなかったりと、一夜を読み終える度、余韻が残り読者自身の気持ちが目覚めていてもそのまま持続していくように思う。この夢にはどういう意味があるのだろうかと、夢占いのように考え続ける。何だかよくわからないけど、誰かにしゃべりたい…そんな気持ちの表れのよう。その中で、「死」が何度もテーマになっている。布団に横になっている女が「自分」に対し、「逢いに来るから100年待っていて」と遺言を残して死んでしまったり。「自分」は侍で、悟らなければ自刃しなければならなかったり。前世で「自分」は、盲目の人を殺してしまっていたり。爺さんが入水する所を目撃していたり。手を変え品を変え、あらゆる立場で「死」に対して向き合う夢。あなたならどの「死」がお望み?と問いかけてくる。というより、…そうか。人は誰でも「死」を経験する。この中に、当てはまる「死」をあなたが経験するかも知れないということか。私にとっての「死」はやはり「恐怖」に繋がる。自己が消滅すると思うと例えようもなく怖い。いや、ひょっとしたら周りに忘れられてしまうのが怖いのか。だが、不思議と漱石の夢の中での「死」は、全く「恐怖」が感じられない。淡々と受け入れている。それが、相手が死のうが「自分」が死のうが頓着しないのだ。ただ、時間の流れが間延びしたり、急に期限が来たりすることで、私に焦燥感を与える。そして、読み終えた後に今度は本当に夢うつつで「死」について考える。自分がこの設定だったらどうだろうか。自分がこの状況に身を置いたなら、何を感じるのか。その時が来たら、私は冷静でいられるだろうか。そうか、もう一つ「死」に対して「恐怖」を感じるとするならば、それは「死に際」なのかもしれない。みっともなく暴れてしまうかもしれない。あるいは、十分生きたと満足しきっているのかもしれない。それまでの生き方次第…すでに折り返し地点を通過してしまった私にまだ間に合うのだろうか。私は何をしたら「生」がより生きるのか。何だか胸が熱くなる。夢は唐突に終わる(目が覚める)ことなので、最後まで漱石は語らない。最初はなかなか読み進められず、いつの間にか寝ている自分がいた。何で寝てしまうのだろうと首を捻りながら、一夜一夜ゆっくり読んでいった。はは~~。そうか、夢の話なので私にとって睡眠導入材になってしまって寝てしまうのだなと思った。恐るべし、『夏目漱石』!残念ながらそのまま寝ても、漱石の描く夢の続きは見ることができなかった。そんなに甘くはないか。懇切丁寧に状況を説明してくれる現代の小説とは、こういうところが違うのだろう。 「死」をテーマとして扱っていたはずなのに、「生」をも強く感じた小説として脳裏に残った。   

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