SAE'S EASE

2016/03/20(日)10:11

両足院・毘沙門天堂(京都・東山区)

神社仏閣巡り(156)

たまたま、駅で目に付いたチラシに惹かれ、「建仁寺」の塔頭の一つ「両足院(ryosoku-in)」 に行くことにした。(初夏の頃に咲く、半夏生の庭で有名な寺院である。)  秋の特別公開 平成27年11月20日(金)~12月27日(日)            受付時間 10時~16時(16時30分 閉門)            会場 臨済宗 建仁寺塔頭 両足院チラシには大きく「伊藤若冲(Ito Jyakutyu)」の「雪梅雄鶏図」と、開山された「栄西禅師」没後800年記念として新しく描かれた「七類堂天谿(Sitiruido Tenkei)」の襖絵が印刷されていた。京阪本線「祇園四条」駅下車。松原通を東に歩いていると、「愛宕念仏寺」と書かれた石標を発見。うん?先日行った「六道珍皇寺」の門前の扇形の石に刻まれていたあの「愛宕の寺」だろうかと、とにかく細い路地を行ってみる。どこ~?とウロウロしてやっと見つけた。個人宅の高い塀に鉄の柵がしてある庭先にこんな碑があった。「愛宕念仏寺(otagi-nenbutu-ji)舊蹟」。柵越しに見る。寺院が移動する度、こんなふうに舊蹟として残していたら大変だと思うのに、ちゃんと庭先にそのまま石碑が置かれているのを見ると、頭が下がる思いがする。松原通に面しているし、きっとこの前を通って、「熊野」は「六道の辻」から清水に行ったのだろう。 さて、大和大路通を北に上がると、「建仁寺」に着く。お目当ての「両足院」はこの寺院の境内の中にある。ん~?でも「両足院」の門は閉まっていて、すぐ北隣の「毘沙門天堂」の入口の方に「秋の特別公開」の看板があった。どうも、同じ敷地内らしい。では、「毘沙門天堂」の入口から入ろう。門を潜り、すぐ左手に「毘沙門天堂」があるのだが、まずはこのまま真っ直ぐ「両足院」に行きましょう。飛び石が白砂の中に覗いている。美しく掃き清められ、奇麗に川の流れを描いているね。山茶花がピンクの淡い色でお出迎えをしてくれました。建物と建物の間、屋根の下の通路にこんな手水鉢が。手水鉢って、庭に置くものとばかり思ってました。「閼伽井庭」。方丈と書院の間にある坪庭。閼伽(aka)とは、仏前に供養される水という意味なのだそうだ。そういやぁ、「長建寺」にも「閼伽水」という名水が出ていたぞ。方丈の前庭。苔と石組みで枯山水を表している(京都府指定名勝庭園)。方丈の扁額。文字の始まりや一旦筆を止める所が、丸く表現されていて、ちょっと面白い。周りの色が薄いのが難点。この方丈には、道釈画家「七類堂天谿」氏の絵が、部屋一面の襖に描かれている。この画家さんの事は、以前行った「相国寺」の美術館で初めて知った。優しく、愛らしい雰囲気の絵に心が落ち着いたように思う。この寺院では、5年かけて92面の襖絵を描くという大プロジェクトが始動されていて、今回はこの方丈の16面を見ることができた。ボランティアの方の説明によると、中央の絵は、お釈迦様が一輪の優曇華(udonge)を持って十人の弟子の前にいる「拈華微笑(nenge-misyo)」をテーマにしたものだそうだ。お釈迦様が「真実の仏法を教える」とおっしゃり、黙って十人の弟子に優曇華を示された。弟子のうちの摩訶迦葉(Maka Kasyo)のみが、ニッコリと微笑まれたのを見て、「ありのままを見て感じることが悟りである」と彼だけに悟りの全てを伝授されたのだとか。その左側のブロックには、お茶の葉がついた枝と巻物を抱えた「栄西(Yosai)禅師」と白象が描かれている。「栄西禅師」は日本に初めてお茶を広めた方だそうだ。そして右側は、獅子とともにこの寺院縁の「龍山徳見(Ryuzan Tokken)」とその弟子・「林浄因(Rin Jyoin)」のブロックとなる。「徳見禅師」は元で修行し、帰国する際弟子になった「浄因」を連れて帰ってきた。日本に帰化したこの「浄因」は、これまた日本初の饅頭を考案、広めた人である。中国で食べられていた肉を包んで蒸した饅頭(mantu)を、肉の食べられない僧の為に餡を包んで蒸した和菓子にしたのだとか。私は奈良にある饅頭の祖・「林神社」の饅頭祭り行ったことがある。この「林浄因」が後に住んだ場所なのだそうだ。そしてこの「両足院」は、徳見が入寂後、その墓所として現在の寺域となったのだとか。全体が薄墨色の水墨画なんだけど、肌色に色が乗っている気がすると思っていたら、お茶の葉を煮詰めて色を塗っているのだとの事でした。 丸窓のある建物の向こうに、白砂の円錐形の山が覗いている。 赤く色付いた紅葉が見える。11月下旬でやっと色付き出しました。こちらも京都府指定名勝庭園である、書院前庭の池泉回遊式庭園。左から、「書院」・茶室「水月亭」・六帖席「臨池亭」。この池のほとりを初夏に半夏生が彩を添える。「書院」。伊藤若冲・「雪梅雄鶏図」の掛け軸をゆっくり鑑賞。雪が降り積もった梅の枯木が力強い線で図の中央に斜めに走る。でも、白梅なのでどちらかというと、真っ赤な寒椿の方が目立つ。その同じ赤を、雄鶏の鶏冠にも使われていて、薄墨色の世界を引き締めている。雄鶏の羽の流れが生き生きとしていて綺麗。あ、もう一羽、白梅の枝に小鳥が止まっている……梅だったら、鶯なのかな?「水月亭」。織田信長(Oda Nobunaga)の弟・有楽斎(Urakusai)が建設した茶室のそっくりさん。有楽斎は、千利休の弟子で十哲の一人、有楽流の祖。元々は、大坂冬の陣後、「建仁寺」の塔頭・「正伝院」に隠棲、建造したのが茶室・「如庵」(国宝)。ここから三度の引越しで、今現在、愛知県犬山市にあります。天井が低く、室内で立たない点前、運び出しがない点前が特徴なんだとか。さあ、お次はお隣にある「毘沙門天堂(bisyamonten-do)」に。わ~、狛虎だ~。がぉ~~!扁額。「開運 毘沙門天」。 四天王の場合多聞天というが、独尊像になると毘沙門天と名称が変わるらしい。こちらの毘沙門天像は、「鞍馬寺」でお祀りしている毘沙門天像の内から出てきた胎内仏なのだそうです。「黒田官兵衛」の長男・長政は、関ヶ原の戦いにこの毘沙門天像を内兜に収めて、戦いに勝利したという曰く付き。閉じられていて見えないが、これはかなりの小ささだと思われる。 香炉の虎さんが可愛い ξ(✿ ❛‿❛)ξ  吽行の虎さんは落ちそうなのを踏ん張っているみたい。真正面に百足の彫り物がある。かなりグロテスクであるが、毘沙門天のお使いだそうです。みゃ~~!豪華な彫刻の金燈籠。こちらの「毘沙門天堂」では、寅市として毎月第二日曜(10時~16時)に、手作り市が開催されているのだそうだ。門を出たところで、舞妓さんに遭遇。この「毘沙門天堂」は、戦前、祇園の舞妓さんや芸妓さんがお参りに来る「祇園縁結び」で有名だったのだそうで、今でも来られるのだそうです。見ることができて(´∀`*)ラッキー!!さて、時間が来てしまいました。帰るとしますか。 今年は、暖かすぎてあまり紅葉が美しくないのだけど、私にとってこの秋一番の紅葉。真っ赤な葉が「建仁寺」の勅使門にかかる。             (2015年11月下旬現在)

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