2017/08/31(木)11:14
福松大神・山陵八幡神社・神功皇后陵(奈良・奈良市)
本当に静かな散歩道。両際には、200mを越える巨大な天皇陵が眠る。
さて、近鉄京都線が見えてきた。特急が通過した先に、朱色の鳥居が。そうそう、車窓からも見えるので気になってました。
近寄ってみると、「福松大神」と扁額に書かれてある。
もうすぐそこが社なのに、結構な数の鳥居が並んでる。でも、何の但し書きもない。
狐さんがいらっしゃるので、稲荷社なのかもしれない。
「日葉酢媛命陵(Hibasuhime-no-mikoto-misasagi)」の南側にも「山上八幡神社(Yamagami-hatiman-jinjya)」という「八幡神社」があったが、あらあらここにも「八幡神社」が。すぐ北側には「神功皇后陵(Jingu-kogo-ryo)」があり、こちらの神社にも同じように入口の石碑に「山陵八幡神社(Misasagi-hatiman-jinjya)」と記されてある。
急な階段の上に鎮座してる。
その階段の上にある狛犬。
こちらも割拝殿。
こちらの狛犬さんの方が風格があるね。
本殿。
ご祭神:気長足姫命(神功皇后)・品陀和気命(第15代・応神天皇)・玉依媛命。
このすぐ裏手が「神功皇后陵」である。
では、神社を出ます。
この神社の北側にあるのが「神功皇后陵」と治定された狭城盾列池上陵(Saki-tatanemi-no-ike-no-e-no-misasagi)。五社神古墳(Gosasi-kohun)になるが、この佐紀盾列古墳群の中で最大で最古。全国でも12番目の大きさになる周濠を持つ前方後円墳。
石畳のなだらかな階段を上ると、遥拝所が見えてくる。
神功皇后は、第14代・仲哀(Tyuai)天皇の后で、第15代・応神(Ojin)天皇の母である。これまで、さんざんこの名前が出てきた。応神天皇を身ごもった状態で船に乗り、新羅討伐に向かい武運をあげ無事に日本に帰国して子を産んだので、武運の神様・安産の神様として崇められてる。
それって、スゴイっていうか神話化しているというか。だから、今でも本当に実在したかどうかはっきりしないらしい。
かつて平城京がこの地に遷都されてきた時、もともとあったいくつかの古墳は破壊されてしまった。その際、残された古墳は、時代に合わせ形を変えながら時を刻み今に至る。だが皮肉な事に、かつての栄華を誇った都は、地上に残ったものはほとんど無く、この様な原っぱになってしまっている。
(2016年10月中旬現在)