2005/12/06(火)18:50
はーい
いつからだろうか。
電話を切る際に「はーい」と言うようになったのは。
ここで論じる「はーい」とは、「YES」の意味ではない。
厳密に何を意味しているのか、よく分からん「はーい」なのだ。
私の個人的な体験によると、初めてそれを意識したのは、今から12年前。93年のことだ。
先輩と電話で話しているときに気付いた。
先輩「じゃあ、またねー。」
大福「はい。では、失礼します」
先輩「はーい。」
この先輩は、毎回必ず「はーい」と言って電話を切っていた。
そして、私は友達に電話をする際、面白がってこの「はーい」をよく真似していた。ちょっと誇張して。
・・・そして、染った!
それでも毎度毎度遣っていたわけではない。
だが、年々その使用率は高まった。
もちろん、それまで私の中には、そのタイミングで「はーい」という文化はなかった。
周囲を見てもそれはかなり少数派だったように思う。
しかし、現在、「はーい」人口は徐々に増加していると思われる。
50代のおじさまでも遣っているのを見かけるし、コールセンターのオペレーターでも遣っているのを聞く。
・・・かくいう私も「はーい」を遣う一人になってしまったし。
いったん遣い出すと、慣れてしまってそれ以外の文句では落ち着かなくなってしまう。
よく分からんまま遣っているんだなあ みつを。
もっとも「私は遣ったことはありません」と仰る御仁もいるだろう。
正式な社員教育を受けた電話対応のプロなら絶対に遣わないと思う。
それでも、電話使用人口における、プライベートな電話という条件設定なら、その使用率は高まっていると察する。
実は私が気付かなかっただけで、はるか以前から世の中では電話を切る際に「はーい」が遣われていたのだろうか。その可能性も否定できない。
全ての可能性を考えていては議論が曖昧になるので、絞る。
ただし、客観的なデータは何一つなく、全て私の主観・経験則であることを断っておく。
もっとも、文責は私にある。
ここで「はーい」人口が増加していると仮定する。
そして、次に、なぜ「はーい」人口が増えたのかというステージに進みたい。
しばし長考し、疑問の解明を試みる。
まずは、これまでの応答。
A「じゃあ、またね。」
B「うん、じゃーねー。」
次に、現在増えつつある形。
A「じゃあ、またね」
B「はーい」
(「うん、じゃーねー。はーい。」というパターンもあり)
両者のモデルを使って検討する。
そもそも、電話を切る際、両者は切り際の挨拶をする。
以下は受け手の挨拶(上記でいうならB)に関してである。
検討1
その際、「では。」「はい。」「じゃあ。」等、1拍で終わる挨拶は音的に短い。
音的に短いと何か素っ気無い印象をもたらすので、何拍か長さがないと落ち着かない。
恐らく、「さようなら」もしくは「バイバイ(バイバーイ)」と同じく2~3拍の長さが心理的に心地よいのだろう。
検討2
また、Bは「じゃーねー」と伸ばしている。
これは私の何気ない匙加減で書いたものではない。
そういうシチュエーションを想定した場合、受け手は長音を用いた挨拶(「じゃーねー」)をすることが自然だろうと思ったからだ。
経験則によれば、受け手は長音返事の方がしっくりくる。
それは相手に安心感を与え、自分でも安心できるからだと思う。
検討3
加えて、人間は生物学的な本能から、労力を最小限に留めようと無意識に楽な方へ流れる傾向がある。
「ごめん下さいませ。失礼します。」よりも「はーい」の方が遥かに容易で労力を削減できる。
そして、既にAが「じゃあ、またね」と切り際の挨拶をしている。
そこでBは労力削減のため、重複する挨拶を避けながらも、その旨の気持ちを表す言葉を発することになろう。
つまり、Bが代動詞「do」と同じ役割をする言葉を探したとしても不思議ではない。
検討1~3をまとめるとこうなる。
すなわち、Bの立場では、音の長さ的にも心地よいものであり、かつ、長音であり、さらには代動詞としての役割を託せる言葉が便利なのだ。それが簡単な言葉ならなおよい。
すなわち、これらの要件を兼ね備えることができる(ことになってしまった)「はーい」が広まったのだと、私は解する。
・・・待てよ、「はーい」の出現と「ちょームカつく」「キレル」「うざい」等、包括語の出現とは軌を一にしているのではあるまいか。
とすれば、日本人全体の傾向として、近年は、状況や感情に対し、表現の細やかさ・多様さを考えずに、多くの場面で無難に使える包括語が多用されているのかもしれない。
日頃、かかる包括語を呪詛している私が「はーい」を遣うことは、己のアイデンティティーを危うくする。
したがって、今日からなるべく「はーい」を遣わないように努めよう。
他の人にとってはどうでもいいことだが。
イクラちゃん