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カテゴリ:旅行とか出張です
倉敷近辺の古地図が無いかとネット探すとちっとも見つかりません。
まあ近辺一帯を治めていた有力家が代々続かないと残らない事と 「以前は海」だった地域の古地図を探す事自体無謀なのかもしれません。 ※そんな中で源平合戦と宇喜多堤と今に残る地名が役立ちそうな情報と判りました と諦めが付いたところで 国土地理院の地図を使って岡山の干拓地を紹介している方がいました。 国土地理院の地図の使い方も紹介されているので僕も作ってみました。 500年以前の水位予想 この頃まで遡るるのなら「瀬戸の穴海」と吉備津が港になるぐらい海面上昇させました。 ※地図絵は本来より多分5m~4m程余分に上昇したものでもー少し島が大きかったと思われます。 他の情報でこの頃合いに縁のある阿知使主・阿智神守の森を調べる必要が出てきました。 ![]() 画像中央下側の山が足高山です。この状況から足高神社が「備中帆下げの宮」と伝えられるのは 納得!ですね。我らが美観地区のある鶴形山は・・・・ 凄いちっちゃいです(汗) ただ・・・ こんだけ沈めっちまうと 「阿智郷って何処や?」の謎が深まります。 近所の島は阿智郷以外の郷名があるのでどうも悩ましい話であります。 もしかすると干拓に伴い様々な島が潰されていったのかもしれません。 1180年近辺の水位予想 平安時代の海水面に近くなる様に2m程水位を上げてみました。 「藤戸の合戦」の海域はホボ馬で渡れない水深2m超えとなっています。 ※水位推測の資料 : 源平合戦水島の戦い ※水位推測の資料 : 源平合戦藤戸の戦い それでも馬で何とか渡れる個所が存在する程度 ※**平安海進**Wikipedia情報では2m水位上昇と噛み合ってイマセン ココで不思議に思わないといけないのは「ナンデ藤戸・水島で合戦しとん?」の不思議です。 「この地域で会戦した結果を全国に触れ回ると両陣営の士気に影響する超有名な場所」という 予想が出てきました。 ![]() 情報では倉敷近辺は海で島がポツポツあったとの事です。 1600年近辺の水位予想 戦国時代の海水面に近くなる様に1m程水位を上げてみました。 ※水位推測の資料 : パリア海退 ※水位推測の資料 : 早島戸川家陣屋跡の看板より ![]() 羽柴秀吉の中国大返しのスタート地点たる備中高松城とか宇喜多氏の所領などがと重ねると、 宇喜多氏は結構ジリ貧ダッタンダネーといった感じです。は高梁川東岸まで羽柴方が抑えて おり、毛利から奪ったと思われる倉敷近辺は備中攻め最前線の駐屯地だったと予想します。 1600年~現代に渡って 江戸時代には今より50cm程水位が高かったとWikipediaに書いてあるので 1600年から江戸中期で50cm・江戸中期から今まで50cm海退したと考えています。 ※水位推測の資料 : 江戸海退 ※水位推測の資料 : Wikipedia(海水準変動) 実際作ってみると吉備津・早島など美味い具合に海抜変化する箇所と 倉敷・水島・玉島など干拓・埋立で参考できない箇所があると判りました。 また研究で海抜が変化する海進・海退という時代が判っている事を知りました。 とは言え「もう少し妄想」を加えると良さそうな地図になりそうです。
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Last updated
2026/04/08 12:42:23 PM
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