『暮らしとお金』 FP HISAが綴る 日々の雑感

2015/02/02(月)10:24

◆イスラム国の悲劇・もって否なる 日本の儒教思想

国力とお金(308)

●イスラム国なる勢力が、日本人を殺害した。、ご家族にとっては、何で?の思いが募るのは当然だ。さぞかし無念だろう。 思想は、その地に暮らす民族と対外の関係によって、微妙に揺らぐ。そんな感じのする今回の事件だった。 ●先に殺害された方(湯川さん)のご遺族・父親が、救出に向かった後藤さんの、次なる悲劇の予想に対して号泣した。 まず、湯川さんの父親は、息子の悲劇に対して、まず率直な悲しみを表明しながらも、同時にその救出に当たった、日本政府及び関係者のご負担・尽力に対して、誠に申し訳ないと謝罪し、かつ感謝の念を述べた。 ただいま息子の死を理解した直後である。 なおかつ、その救出に向け、現地に向かった後藤さんの尽力に対して、感謝と同時になんという負担を強いたのか? 悔やみきれないと、率直な感想を述べた。 ●このニュースが、中国・韓国で報道されると、主にネットの意見で割り引く必要はあるが、概ね、なんというすばらしい日本人! 自分の家族を殺されながら、日本政府や外国政府を責めることもなく、周囲の関係者に感謝できる日本人に対しての賞賛しきりだった。これが自国であれば、泣き喚き、政府へ不満を述べ辛うだっただろうとのこと。 ●この差はどこから来るのか?筆者はかねがね、儒教の影響を受けた中韓・日本との対応の違いに興味を持ってきた。今回のことでよく理解したことは、中韓の儒教と日本の儒教は、全く違うものだということだね? ●儒教は紀元前後から、その思想が現れて、中国国内でも紆余曲折を経て、韓国にも伝わり、その国民性に大きな影響を与えた。極めて、大きな違いは、中韓の儒教が支配層(中国の志大夫 韓国の両班)のもので、科挙制度による普及を必要とした国家統治の思想だったということ。 ●対して、日本においては、中国儒教の基本の宗族と言う概念がなく、宗教色もなく、封建時代の江戸時代でさえも、林羅山(江戸の幕府学頭)の朱子学は、当時の統治形態の裏付けとはなっていなかったことだ。 ●つまり日本は、うまく儒教の思想を国柄に合わせて利用したんだね!ここからだが、日本における儒教の仁義礼智忠信孝などの概念は、各地の藩校が先陣を切り、(1641年の岡山・閑谷学校・栃木・足利学校など)普及させた。 18世紀後半から、そのうねりは隆盛して、藩校は250校以上になった。、 ●日本が優れたと言えるのは、この時代に既に、儒教は支配階層のみの学問と言うわけでなかった。すなわち庶民の知識欲が高揚して、寺子屋を中心とした読み書き算盤の学習とともに、一般の教養として儒教の思想が教えられていたことだ。もっぱら人間関係における処世の術の要諦が、既にこの時代、一般庶民に伝えられていた。今日で言う初等中等教育がなされていたんだね。この数、実に9万以上にもなるらしい。 ●上方の懐徳堂(町人私塾)・上総道学など 町人・農民への庶民教育の一般素養としての儒教教育がなされて、今日の日本人の思想が成り立っていると言えるだろう。 教える先生も、支配階級からの恩恵を必ずしも受けておらず、もっぱら貧乏学者が、学問として庶民に普及させた・・ということがある。 ●先の話に戻ろう。イスラム国の悲劇に限らず、日本人の恥の考え方や、人様に迷惑をかけたくないと言う謙虚さは、この時代の先人の努力によると言えるのだろう。 中韓のネット読者は、この面において、日本に追いつくには100年はかかるだろうと、率直に自国の劣勢を認めている意見が多い。 ●中国では、もともと孔子は自国の偉大な思想家であった。ところが共産党は批林批孔で永らく迫害してきた。 ようやくその価値に目覚めて、自国民に遅まきながら儒教教育を勧めているが、格差社会の進む中で今更追いつくのか?・・という気もするね? 世界中に展開する孔子学院は、米国では学術機関でなく共産党のプロパガンダに過ぎない?という疑問さえ生んでいる。今後相当数が淘汰されるだろう。 ●しかし 人類が共通の価値観を共有するには時間がかかる。おそらく他の星に移住が可能になり、地球人を客観的に見れる時代まで無理だろう。いやその時代でも無理かもしれない。 日本人の価値観が、中東のイスラム国に通用しないことは今回の事件で明白になった。 他との違いを認識することから 始めるしかないことは、今後もずっと要求される課題と言える。

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