表現や思想の自由を国民から奪おうとする動きが、自主規制も含めて急速に広がりつつあります。
報道の自由に対する圧力も深刻です。
表現の自由の制限は、限りなく最小限であるべきですし、制限していいかどうかを判断するときは、深い理知や慎重さが必要だと思います。
フリーペーパーも表現活動のひとつ。
思想や芸術、報道など、あらゆる表現は人が生きていくうえで必要不可欠です。
人と人が関わり合いながら共に生きていくうえで、一人ひとりが自由に表現することがあたりまえにできなくてはいけません。
自由に表現できる社会が、どれほど重要ですばらしいか、とくに表現に関わっている人は自身の問題として直面されていると思います。
毬の誌面でもこの問題に触れておきたい、少しでも異議を形にしておきたいのです。
「自由」という言葉はさまざまな使われ方をしています。
ヘイトスピーチも表現の自由だ、という政治家もいます。
最近は経済活動の自由がグローバル化のなかで、政治や経済界で声高になっています。
その延長線上に、タックスヘイブンの問題や、原発輸出や再稼動問題、TPP、税制などの問題が生じています。
でも普遍的に大事なのは、思想や表現、報道などの自由ではないでしょうか。
それはもっとも基本的な自由であって、それなしには人間らしく生きていけない質の自由だと思います。
権力者以外の誰もが、表現や思想の自由を守る立場に立たなくてはいけないはずですし、とくに表現活動をしている人たちにとっては、とりわけ重要な問題だと思います。
表現することは、同時に表現活動を守ることでもあると思います。
これからも表現活動というすばらしいものを大切にし、表現活動をしている方たちを尊重し、表現活動を守っている方たちに敬意を払っていきたいと思います。