2004/11/28(日)16:23
ムーン・パレス(付録)
この小説には、月に関する言葉や神話的な物語がちりばめられていますが、次の箇所を読んでいて、高島野十郎の「月」や「蝋燭」の絵を思い出しました。
*「ムーン・パレス」206-207頁より
ブレイ・クロックは画家としての全盛期を、もっぱら月光の情景を描くことに費やしていた。ブルックリン美術館で見たのとだいたい同じような作品を、ほかにも何十点と描いていた。同じ森、同じ月、同じ沈黙。これらの絵において、月はつねに満月である。つねに同じ、小さな、完璧に丸い円がカンバスの中央に陣取り、かすかに青みがかった白い光を発している。そういった絵を五つ、六つと眺めているうちに、月は次第に周囲から分離していった。僕はもはやそれを月として見ることができなくなった。それはカンバスに開いた穴になった。別世界に通じる白い裂け目になった。あるいは、ブレイクロックの目、虚空に宙吊りになった空白の円が、もはやそこになくなってしまったものをじっと見下ろしていた。
この最終行「もはやそこになくなってしまったもの」に立ち止まります。
ブレイクロックは実在の画家で、「・・・生涯は悲惨きわまるものだった。彼は苦しみ、発狂し、誰にも顧みられずに死んでいった。」とあります。
一方、高島野十郎(1890-1975)は
*「世の画壇と全く無縁になる事が小生の研究と精進です」
との言葉どおり、故郷の期待と約束された将来に背を向け、地元福岡県筑後地方、東京や千葉県柏市にアトリエを構え、終生独身で孤独の中に身を置き、晴耕雨描の修行僧にも似た生活をつらぬきました。
*闇、そして光というタームは野十郎の作品を考える大きなポイントになっている。彼が数限りなく描いた蝋燭も闇の表現の1パターンといえる。(略)光と闇、太陽と月。この対は当然彼が慣れ親しんだ仏教思想に背景を持っているのだろう。例えば彼は、月とは慈悲へ至るために穿たれた穴だと意味づけたりしていた。
*「高島野十郎展」図録よりの引用です。
この作品「月」1962年、「蝋燭」は未詳
うまくまとめられませんが、野十郎の描いた数点の月に通じるものを、オースターの語るブレイクロックの月に感じたということです。蝋燭の絵もすごく好きなので、おまけに図録よりスキャンしてみました。特に「月」は実物の絵とも、図録の絵とも違ってきていて、雰囲気も伝えられないかもしれませんが。
高島野十郎という人の生き方も、凄まじいものがあるようです。