2009/03/24(火)17:04
「変人 埴谷雄高の肖像」-3
インタビュー27人のうち、女性は6人(精確には7人)で
「般若豊」の生活 C.Oさん F.Oさん
「何か笑っちゃう」武田花さん
「観念」瀬戸内寂聴さん
「最晩年」古澤和子さん
「贅沢」宮田毬栄さん
「子供と自然」大庭みな子さん
となっている。
C.OさんF.Oさんは埴谷家向かいの住人で、埴谷夫人の亡き後15年間埴谷さんの世話をされた、O家のお嫁さんとお姑さん。
お姑さんは埴谷さんに何度もプロポーズされたけれど、受けることはなかった。
素顔で本名の般若さんの姿がしのばれる。
古澤さんは、埴谷さん最晩年の1年1ヶ月を、住み込みで付き添った家政婦さんである。
まだらボケの状態だったらしい様子に人間の運命を、思う。
「人間としてすべてを見せて下さったと思います」
と語っている。
瀬戸内さんは作家としての埴谷さんを、鋭く突いている。
武田花さんは、写真から受ける印象のまま、なんか笑っちゃう。
大庭さんは98年3/25にインタビューされた物なので、
96年の脳梗塞後で闘病中、07年5/24亡くなる前のことになるようだ。
文学や子供や自分に対する考え方が変化したことを、話されている。
「海」の元編集長だった宮田さんは、埴谷夫人の敏子さんについて
「元女優で、話をすれば面白い人なのですが、年中埴谷さんの生活を背負っていたために姉御肌のたくまし生活者になっていました。埴谷雄高の第一のファンで、彼のやることすべてを愛した人ですよ。」と。
敏子さんは埴谷雄高に生涯をかけたのだろう。
読み進むうちに、変人という言葉が普通の人間の、孤独の極致から生まれるもののように思われて、シンとした気持ちにもなるのだった。