ふらっと日記

2009/06/02(火)15:00

血と暴力の国

読書(90)

コーマック・マッカーシー著 黒原敏行訳 「血と暴力の国」No Country for Old Men   扶桑社ミステリー を読んだ。 ここ2年くらいアメリカの犯罪ドラマをいくつか見続けて、カルチャーショックを受けていたのだが、この本にも通じるものがあった。 テレビドラマの背景にある、アメリカ社会の歴史や市民の生活観を知る手がかりも与えてもらった気がする。 映画『ノー・カントリー』はほぼ原作に沿った形で作られていたようだ。 細かい違いは映画を再見してから、考えたい。 ベル:保安官/朝鮮戦争経験 モス:退役軍人。ヴェトナム帰還兵 シュガー:殺人者(映画ではシガーと発音されていた)国籍不明 古きよきアメリカ的モラルの保安官。 ベルは国がバラバラになったのでヴェトナム帰還兵は不幸だと、言っている。 ベルは大金を持って逃亡するモスも、それを庇って待つ妻も好きなのだ。 だがシュガーには関わりたくない。保安官も辞めたいほどに。 シュガーは国籍も人種も不明、自らのルールだけで生きている。 出合った人はほとんどが彼のルールに従って殺される。 屠殺される家畜のように。 眼は魂の窓だとよく言うだろう。すると魂のない人間の眼はなんの窓なのかおれは知らないしどちらかというと知りたくない気がする。しかしこの世には普通とは違う世界の眺め方があってそんな眺め方をする普通とは違う眼があってこの話はそういうところへ行く。おかげでおれは考えてみたこともなかった場所へ連れていかれた。この世界のどこかには本物の生きた破壊の預言者がいるんだがおれはあいつと対決したいとは思わない。あの男が本当にいることは知っている。p.8 つまり私が映画を見終わって頭を抱えてしまったのは、こいうことだったのだ。 しかも終わり方も原作のほうがよりリアルに感じてしまう。 子供に甘い希望も持たせていない。 解説によると「外の闇」Outer Darkについて 近代的思考は「内なる闇」と戦えと主張してきた。悪魔だの怒れる神々だのが支配する「外の闇」など存在しない。問題は人間の心であり、人間と人間の関係なのだと。不都合があるなら心を治療し、社会を変革すればいいのだと。 「対人間、対社会の次元」を超えた何かの秩序について--外の闇について--私たちは普段ほとんど何も考えていないように思える。シュガーはそのことを考えてみろと迫ってくるのである。p.422 また、作者マッカーシー本人はインタビューで、シュガーを「純粋悪(pure evil)」と呼んでいるそうだ。 そうだ、pure evil は野放しにされている。 野放しにされた世界に普通の人間も生きているのだ。 そして、pure evil も予想不能の突然の事故にあったりするのである。 彼は事故で出合った子供に何を手渡したのか。 子供は何を拾ったのか。 そして息子を導くベルの父のかがり火は、どこまで続くのだろう。 この3者を演じた俳優さんたち、緊張感にあふれてそれぞれの魅力が見事に表現されていたと思います。 魂を持たない眼、それはどんな色をしているのでしょう。

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