借金で転落する人生(番外編)(2)********** 借金で転落する人生(番外編)続き **********理不尽な理由からはじまった、ゼロ以下からの"ナカさん"の再出発。 被害者への損害を弁済する為に、親戚一同が持ち家やその他の財産を処分し、 それでも足りない分を親戚中で借金しての まさに、"0"以下からのスタートでした。 ナカさんの奥さんは腕のいい美容師だったので、 『新天地でもお客さんは来てくれる』と、ナカさんや周りの人も思ってました。 いや、ナカさんは『来てくれるに違いない』と祈るような気持ちだった かもしれません。 しかし、それから半年ほど過ぎた頃・・・願いは叶わず、設備の移動費や毎月の赤字、 もろもろの借金のみを残して、ナカさんはこの店を閉める決心をする事となりました。 その時、賃貸の店舗から設備の撤去を手伝いに行った私は、 見た目はナカさんより落ち込んでいたかもしれません。 一番キツイはずのナカさんが周りの誰よりも、 明るく生き生きして見えたのが今でも忘れられません。 きっと、周りで手伝ってくれる仲間への気遣いだったのでしょう。 それからスグにナカさんの奥さんは近くの工場へパートに出られるようになりました。 ナカさんは普段通り仕事をこなし、生活の苦しさなど微塵も見せる様子はありませんでした。 しかし、数ヶ月が過ぎた時、ナカさんの生活の苦しさを私達は知ることとなりました。 裁判所から、給料差し押さえに関する内容証明のような書類が会社に送られて来たからです。 この事は、もちろん当時でも一部の社員しか知らなかった事です。 プライバシーに関わる問題ですから。 正直、ここをどのようにして乗り切ったか、詳しい事は知りません。 ですが、自己破産はせずに同年代の社員に保証人になってもらうなどして乗り切ったと後に聞きました。 それから、私は転勤族となり、全国の営業所を数ヶ月・数年単位で廻る日々を送る事となり、 ナカさんとは、少し疎遠になっていきました。 ********** それから、数年後 ********** 私は、主任となって地元の営業所に戻っていました。 ナカさんとは職場も全く離れた部署違いでしたが、私が労働組合の役づきをしていた事もあって、時々会う機会も出来ていました。 ナカさんは本社の課長になっていました。 ある日、ナカさんから 『ゴメン今お金が無くて困ってる、お前の名義で金を借りてくれないか? 返済は必ず自分がするから』と頼まれました。 数年のうちに、ナカさんの生活が一変した事を伺わせる一言でした。 私に頼むぐらいです、そうとう苦しいのは解ります。 この時の金額は、幸い独身の私が貯えから出せる金額だったので、 何も言わずにナカさんに渡す事にしました。 私は親しい人から保証人を頼まれたり、借金を頼まれた時は 『もしこの人に裏切られても後を引かない』と自分で思える額しか付き合わない。 そうゆうマイ・ルールを持っていたので、その範囲だったとお考え下さい。 ここで、話しを少しそらしますが、ナカさんはギャンブルなどにお金を使う人ではなく、 趣味は"磯釣り"をちょっとだけ、それも道具は私や周りの人のお下がりという範囲で 自家用車も10万円にもならないボロ車に乗り続けていました。 生活が苦しいのは、あの事件が尾を引いているのです。 *** それから更に数年後、私は係長となって本社に隣接する営業所へ配属されました。 *** ナカさんは本社の次長となっていて、十数年ぶりに同じ社屋で仕事をする事となりました。 ( もちろん、この時点でナカさんは私が貸したお金を全て返してくれてました ) その営業所への配属はナカさんの耳にも入っていたらしく、 私の初出勤の日にナカさんは、わざわざ私の所に来てくれました。 『とうとうお前もココまで来たか、頑張れよ!』 『ありがとうございます。これからは毎日会えますねー』 私がナカさんと交わした・・・最後の言葉です。 配属したての私は、前任者との引き継ぎに追われて、それに気付きませんでした。 気付いたのは、親しい総務の女の子から、 『これナイショですよ、ナカさん無断欠勤していて一週間になるんです。噂なんですけど、親しい人に今から死ぬって電話してたらしいんですよ。』 と聞いた時でした。 無断欠勤なんて知らなかった、そんな事する人じゃなかったし。 何より一週間前と言えば、私と挨拶を交わしたスグ後ではないか・・・ その二日後、ある山道でナカさんの車が放置されてるのが見つかり、その奥で夫婦二人の亡骸が発見された。 夫婦二人寄り添って亡くなられていたと後に聞く。 ナカさんは別にヤミ金に追われていた訳ではない。 しかし、自己破産をすれば保証人になっている人たちに迷惑がかかる。 借金はナカさん一人の保険金で、まかなえる額をはるかに超えていた。 後に夫婦二人の保険金は全額借金の穴埋めに使われた。 翌日、私はご夫婦の通夜にむかった。 通夜・葬儀は会社が仕切り、自宅が狭かった事もあって大きな葬儀場でおこなわれた。 葬儀場には、その年二十歳になった一人息子の姿が見えた。 私がはじめて会った頃は、ワンパクざかりの小学生だった。 久しぶりに見るその姿は立派な男になっていた。 しかし、悔し涙を堪える事ができないのだろう、 私にも掛ける言葉が浮かばない。 焼香をすませ、二人の遺影に目をむけた時、涙が溢れて止まらなくなった。 >一番キツイはずのナカさんが周りの誰よりも、 >明るく生き生きして見えたのが、今でも忘れられません。 >きっと、周りで手伝ってくれる仲間への気遣いだったのでしょう。 >『とうとうお前もココまで来たか、頑張れよ!』 ナカさんと一緒に働いた日々。 ナカさんにかけられた、励ましの言葉。 走馬灯と言うのだろうか、その全てが私の頭の中で猛烈にフラッシュバックしだしたのだ。 立派に成人した息子を残し、何も悔いは無いと・・・そう思って二人で死を決意したのか? 借金を自らの命で清算する、誰にも迷惑をかけない、勇気ある死だなんて思いたくない。 しかしもう、ただただ涙が止まらないだけ。 悔し涙が止まらないだけ・・ ちょっと前の話、多重債務に苦しむ"伝さん"が『マサチューさんオレ~死のっかな~』って電話して来ました。 私はスグ嘘とわかりました。 だってそんな事するまで追い込まれてる自覚が無いのは見え見えだったからです。 でもその時、ある自分の経験から年上の伝さんを叱り飛ばしました。 その自分の経験とは・・・こうゆう事です。 ジャンル別一覧
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