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曹操注解 孫子の兵法

所謂問題的靖國神社

   ◇靖国神社も考え直している。

 日本人の多くは自分の慣習について、整理して説明することができないシャイな人々である。
 しゃべりすぎて中味がないのは関西の芸人である。
 うまい説明も少ない。
 詳しい原理も理解していない。
 だから同じ日本人、自分の子どもたちにも日本人の文化的アイデンティティを伝えることができない。
 「日本的経営」という考え方も、もとはアメリカの経営学者の議論である。
 ルース・ベネディクトの書いた『菊と刀』は、未だに日本では古典的な名著と評価されているが、これは太平洋戦争で、アメリカ国防省が敵国調査のために作成した報告書であった。
 日本では柳田國男が大正時代に『遠野物語』を自費出版し、民俗学を興すまで、「民話」の価値に注目する人は少なかったが、ラフガディオ・ハーンは「神話の一種」という観点で高く評価、採録・英訳して、すでに明治時代に海外に紹介した。
 靖国神社にもインターネットのホームページがあるが、私が読んでも具体的に説明不足だと思う。
 わかりやすそうだが、中味はなかった。

 閣下は6月1日午後に二時間以上も靖国神社大宮司さまと会談した。
 最初は緊急事態の認識の調整だった。
 「これではいけない」と申し入れたら、社務所の事務局は「改善します」と素直に問題を認めた。
 これはさすがだ。立派なこと。

 中国語・韓国語のページも作成するという。
 それは当然だ。御祭神の中には、韓国人も台湾の中国人もいるのだから。
 内容についても、閣下が説明のポイントを提言した。
 「合祀」の表現が、「孔子廟のように位牌が並んでいると中国・韓国は誤解している」と言ったら、大宮司も驚かれていた。

 閣下が想像した以上に、靖国神社の社務所は柔軟であり、決して復古主義ではない。
 ましてや右翼運動に賛同する人々ではない。
 そのことをよく考えて、自分の意見を考えるべきだ。

 靖国神社も一つの宗教だ。
 嫌いなら嫌いでいい。
 しかし、卑劣な非難はするな。
 数十万の死霊を祭神にしている靖国神社の鎮魂を妨げたら、どのような呪怨が襲いかかるか、よく考えろよ。
 一つの水子霊も土足で踏みにじることができるのか。


    ◇靖国神社の祭神は毎日変わる

 靖国神社では毎日、「永代神楽祭」を挙行している。
 これはいわば、アフター・サービスなのだ。
 国家のために生命を捧げた人々の氏名と命日を明記し、その霊魂を靖国神社が本殿に招き、神道儀式で永久に慰霊しているのである。
 その日に戦死したり、遺骨が発見されたり、戦災に殉難した人々の霊柱が本殿にすえられ、神楽舞が奉納される。
  この毎日毎日の永代祭礼が靖国神社の主要行事であり、設立意義なのだ。
 つまり、靖国神社の祭神は、毎日毎日、入れ替わっているのである。
 毎日、出しものが変わる映画館や芝居小屋のようなものなのだ。
 同じ映画館でも、昨日はポルノ映画、今日は恋愛映画、明日はドキュメンタリー映画をやるとしよう。
 そこで私が「明日、映画館に行こう」と誘ったら、「この人はポルノ映画に連れていくつもりだ」と言えるのか。
 それは誤解だ。
 中国と韓国の人々は「合祀」というと、孔子廟のように靖国神社の本殿に戦争犯罪者たちの位牌がいつも鎮座していると考えているのだろう。
 それも誤解だ。
 日本人も、こうした靖国神社の特殊な祭礼方式について、全く知らない人々が多い。
 これも誤解される原因である。
 靖国神社を批判している人々は、こうした靖国神社の基本的なシステムを知らないし、知っていても都合が悪いので隠している。
 だから中国が問題視している「戦争犯罪者」が祭神として本殿に遷座され、祭礼を受ける期日に参拝しているのは、「戦犯の遺族・関係者」だけなのである。
 小泉総理が参拝する場合には、もちろんそのような誤解を受ける祭礼日(ゆかりの日)は確実に避けているのだ。
 この事実も、中国政府は中国人民に明確に説明してはいない。


  ◇軍国主義は時代錯誤

断っておくが、私は戦略理論研究者であり、軍国主義者ではない。
なぜなら現代戦争はテロ・民族紛争・国境問題の戦いであり、テクノロジーの戦争である。
徴兵制を社会の統制装置として利用する独裁体制は確かに存在したし、大日本帝国もそうだった。
しかし、現に徴兵制を完全に実施している韓国では政権交代が起きた。
韓国は軍国主義国家なのか。
愚問は切り上げよう。

軍国主義とは何か。
テロの指導者はプチ・ミリタリズムで理論武装し、民衆を扇動する。
そして女や子どもにも武器や地雷を持たせ、生命を捨て、戦車や検問所で自爆させる。
日本でも、こうしたことを敗戦直前まで訓練していた。
そして、勢いがあまって外国人を差別し、迫害した。


  ◇靖国神社は「反省と慰霊の場」

その意味では、現在の靖国神社は「軍国主義の反省と慰霊の場」である。
軍国主義の狂気の時代を賛美したり、追懐する場所ではないのだ。
むしろ、敗戦に血迷った事実をそのまま保存し、戦争の犠牲者たちの手記などを展示する。
靖国神社に政治的な主張はない。「このように読め」という解釈もつけない。
事実を展示し、その意味は見学者に問いかける。
大日本帝国軍が勝ち続けた無敗の神話に包まれた戦前の時代は、確かに軍神・英霊の存在は、兵力の増強や軍備拡大を思想的に支える間接的な機能を持っていたことは否定できない。
そして、一部の靖国神社支持者には、そのような過激な右翼思想を信奉する者がいる。これも事実である。
しかし、それはごく少数である。
小泉総理が靖国神社に参拝する最も大きな理由は、特攻作戦で殉難・戦死した青年たちの慰霊である。
中国政府の関係者は、その理由はよく知っている。
日本政府は何度も何度も詳細に解説を繰り返しているからだ。
それを中国人民には伝えようとしないだけなのだ。


  ◇小泉純一郎総理の主張

小泉総理の父、小泉純也・元防衛庁長官は、自分も青年時代、つまり昭和10年代に郷里の鹿児島県加世田市の近郊で、「お国の防衛ために、わが村に飛行場をつくろう」というアイデアを思いつき、熱心に海軍省に陳情した。
飛行場は実現した。
しかし、その一番機は特攻機だった。
数百人の青年たちがアメリカの艦船の攻撃のために大型爆弾を抱いて飛び立ち、帰還しなかった。
父・純也の悔恨はひどく大きかった。
彼も特攻機の兵士たちと同世代であった。
小泉純也は衆議院議員となり、国務大臣・防衛庁長官となった。
その時、たまたま自衛隊法を改正して、もっと時代に合わせたものにしようという構想が防衛庁内にあった。
その事実が漏洩し、反自衛隊を激烈に運動していた社会党・共産党の手にわたった。
小泉防衛庁長官は、この事実を把握していなかったが、責任者として国会で厳しく糾弾された。
その直後のことである。
小泉長官は過労で倒れ、急死した。
父の秘書をしていた小泉純一郎は、この一連の経緯をすべて見ていた。
「何が父を殺したか」
そのことはすべてわかっていた。
そして父の死後、小泉純一郎は選挙に出馬し、初当選した。
政治家となり、小泉議員は父の郷里に完成した「特攻兵士記念館」の完成記念式に出席した。
最初は笑顔をつくっていた小泉さんだったが、しだいに堪えられなくなり、涙を流し、多くの人前で嗚咽し、特攻兵士の遺品の前に泣き崩れた。
総理になった小泉さんは、さっそく同じ記念館をおとずれ、再び特攻兵士たちの写真の前で対話し、誓った。
それは彼ら戦争の犠牲者たちが、戦後の過激な反戦主義的主張の犠牲になり、二重の犠牲として、不当に非難され、偏見にゆがめられてきたことに対する懺悔であった。
それは自分の父親を「糾弾死」させた異常な「反戦狂」に対する対抗心でもあり、彼自身が政治家として立った初志でもあるのである。
だから、靖国神社に参拝する小泉総理の祈りに、何の解釈も必要はない。
彼は戦争を否定し、戦争の犠牲者となった人々の魂を追悼しているのであり、軍国主義の復活を祈念しているのではない。
それは彼個人の特殊な事情に由来するものであり、決して中国政府や中国人民の非難の嵐があっても、彼は屈服しないであろう。
彼が日本遺族会と総理選挙前に「靖国参拝」の公約をしたことは確かで、彼にとっては遺族会を裏切ることは、父母を裏切ることに等しい。
このことを中国政府と中国人民は正確に理解してもらいたい。
こうした個人の事情、肉親の経緯、そして政治家としての初志について攻撃し、干渉することは、誤解と偏見にもとづくものであると言わねばならない。


  ◇日本の「軍国主義」幻想

中国の人々は「皇民党事件」を記憶しているだろうか。
「皇民党」と名のる団体が、竹下登総理(当時)の郷里で「誉め殺し」といわれる無用の顕彰宣伝活動をやった。
これは明白な嫌がらせ目的だが、名誉毀損にはならない。
しかし、竹下総理の家族や近隣の人々は非常に迷惑した。
彼らは竹下総理のスキャンダルの事実(実は虚偽)をつかんだと錯覚し、総理を脅迫しようとしていたのである。
そこで中国大使館の友人から、私に問い合わせがあった。
「皇民党とは何か。新聞にたくさん掲載されているが」
「ああ。あれはね、構成員はたった三人。一人は党首、一人は在日韓国人、もう一人はその愛人。宣伝車一台。ただのヤクザですよ」
友人は驚愕していた。
中国で「党」といえば、相当巨大な組織を普通に想像してしまうのだ。
日本では三人集まれば「党」という。
中国語では「小組」だ。それも誤解の原因だ。
日本国憲法は結社の自由があり、政治結社「党」は非課税団体だ。
だから日本には無数の政党・政治団体がある。議会政党所属の国会議員も政党の選挙区支部と、自分の政治団体を複数設立して政治資金を管理している。
昔、「福祉民主正義党」という政治団体があったが、代表以外は全て本人不承知の書類で偽装した偽装団体であった。
彼らは「福祉」と「正義」を看板にして、実は高齢者の年金を搾取して、非課税会計で浪費していたのである。
右翼団体の多くは暴力団組織の資金管理をする「脱税機関」でもある。暴力団は左翼はやらない。
実際に、日本の右翼運動には在日外国人がすごく多い。
それは暴力団の下層構成員に在日外国人が多いからである。
右翼団体が暴力事件などで逮捕されると、彼らの本名、呉◇や李□などの本姓が新聞に掲載される。
私は公安関係者に依頼し、中国大使館に右翼団体の調査資料(もちろん公開された白書類の抜粋)を提供した。
だから、「日本に有力な軍国主義は存在しない」ということは、中国政府にも正確な情報と資料があるのだ。
それをどのように使うか。
それは中国政府の方針であり、党中央の決定で処理されていることだ。
私は知らない。


   ◇それでも靖国神社は必要な施設

 私の一族の一人は、靖国神社に合祀されている。
 だからといって、「靖国神社が必要だ」というわけではない。
 なぜなら、私の軍神もそうだが、多くの戦死者は若く、妻子もなく、青年のまま戦陣に散った。
 父母がいる間は、もちろん肉親として慰霊されたわけだが、その父母も亡くなってしまうと名前も存在も忘れられてしまうであろう。
 靖国神社は、国家の起こした戦争ために殉難・戦死した人々を永代供養し、慰霊する施設として建設されたのだ。
 靖国神社が永遠であれば、そこに祭られる人々も永遠に命日の神楽奉仕の慰霊を受け続ける。
 戦前には、「靖国神社に祭られる」ということは、特に殊勲の功績をあげた戦死者、つまり名誉あるエリートのみだった。
 これに対して、現在の靖国神社では戦争に関係した軍属や、沖縄の「ひめゆり部隊」のような少女義勇兵までも合祀され、慰霊行事がおこなわれている。
 私が靖国神社で実際に見たものを語ろう。
 「輸送船団」の戦死者・殉難者たちも合祀された記念に特別展が開催されたが、その展示内容は、なまなましく悲惨な被害の実態を解説し、護衛の不備を嘆き、無謀な給油作戦の欠陥を暴露し、戦争の悲劇を簡潔に表現していた。
 もし、それが靖国神社で展示されていなかったら、内容は戦争そのものを批判し、軍部の戦争指導あるいは、その船団壊滅の現場にいるはずもなかった輸送作戦の立案責任者の過誤をも糾弾するものだった。
 靖国神社は、大本営発表のウソをガナリ続ける場所ではないのだ。
 私は「北京裁判をやろう」といった提唱者である。
 しかし、北京裁判で「真犯人」と決まった人物であっても、戦争さえなければ、そして旧体制の権力の欠陥がなければ、そのような問題を起こすことはなかったであろう。
 つまり、慰霊行事は良かろうと悪かろうと、必要なものなのである。
 靖国神社で祭礼を受けるということは、神道の原理では霊魂が「祟り神」になり、現代社会に災厄を起こす可能性があると信じるからである。

 だから、日本には靖国神社は必要なのである。
 これを御霊信仰という。
 京都には市街を囲むように、たくさんの「御霊神社」がある。
 「御霊」というのは、ほとんどが中世以前、生前に天皇に反逆し、刑罰を受けたり、討伐で死んだ体制反逆者たちの霊魂のことである。
 彼らが菅原道真のように天神や鬼神になり、現世に災厄を起こさないように霊魂を鎮めなければならないのである。
 大戦の大空襲の被害も逃れた京都は、もともと応仁の乱の兵火で巨大な大極殿や平安京の門楼を全て灰燼に帰した歴史がある。
 その乱が勃発した最初の事件は、御霊神社の神域で発生した。
 この神社は、平安京を建設した桓武天皇の皇太弟・他戸親王を「御霊」として勅祭したもので、桓武天皇がみずから慰霊の儀式をした遺跡である。
 他戸親王は謀反の疑いをかけられ、淡路島に配流される移送中に自殺した。
 このエピソードが映画『陰陽師』のテーマになっている。
 戦前に首相となった近衛文麿公爵は、就任後に大阪に立ち寄った時、かつて先祖の藤原一族が「応天門の変」で失脚させた大伴氏族の氏神の小さな神社に参拝して、多額の寄付をして去った。
 この伝統的な「御霊」の信仰が、靖国神社の招魂儀式の中にも受け継がれている。決して、明治時代に軍国主義や天皇制の維持のために都合よく創設した施設ではないのである。
 いい霊も、罪のある霊も、差別せずに一緒に祭り、できるかぎりの記録をのこし、後世に伝えるという、単純な機能施設が、現在の靖国神社なのだ。
 靖国神社は歴史裁判所ではなく、慰霊の儀式場にすぎない。
 その意味では、罪のあるものは永遠に汚名をさらし、恥辱を受け、裁きを受け、批判されるという意味でもある。

 古代中国の春秋時代にも、同じような考え方があった。
 安徽省にあった「宋」は、殷(商)王朝の王家の子孫だった。
 それで建国に際して祖廟を建て、毎日のように君主が先祖の殷王・帝乙を祭祀した。
 しかし、帝乙は『易経』で示唆されているように、淫乱・暴虐で、楽しみで異民族を征伐した。捕虜の首斬りの数を占いで決め、数百人の首をいっぺんに斬りおとして、犠牲の首を山のように積み上げた。
 それでも、「宋」を建国した宋公・微子啓は賢人であり、異腹弟の帝辛と対立し、殷の滅亡後、周公旦に抜擢されて、父の帝乙の祭祀をしたのである。
 古代戦国時代、河南省にあった「韓」は、王家の先祖が西周の萬王であり、これは暴虐であるために大臣たちに首都を追放された暴君だった。
 しかし、韓王家では国家の独立に際して、立派な祖廟を建設し、萬王を首座にすえた。
 当時の君子の評価はこうだ。
 「これが礼なのだ」



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