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カテゴリ:人生
閣下は今年の七夕を奈良で過ごした。
行ったところは奈良・談山神社の門前にそびえる音羽山の観音寺。 ここの住職の佐々木慈瞳尼は、もともと曹操閣下の秘書役の女性だった。 「私は大学職員を辞めて、尼僧学院にいきます」 いやもうびっくりだったね。突然の出家宣言。 オウム事件の記憶が生々しい五年前だったから、ある意味で衝撃的だった。 しかし、新興宗教に凝ったのではなくて、高野山大学の真言宗尼僧学院なのだという。 少し安心した。 何しろ閣下の母親は高野山の宗教法人評議員なのだから。 音羽山は、聖山の聖域と思っていたが、案外にも普通の山だった。(失礼。 「普通の山」というのは、一言でいえば、ほとんどがひょろひょろとした細い杉の植林で埋めつくされている山ということだ。 そして、そのために保水力のなくなった山の土があちこちで崩壊し、実に悲惨な光景を呈していた。 山坂の参道をのぼりながら、閣下は感じていた。 「このままでは、山が死ぬ。崩壊する。寺の屋根に折れた杉の丸太が直撃し、崖が崩落して寺の建物は山津波にのみこまれる」 いい時期に来た。 閣下は佐々木尼にひとしきり昔話をした後に、こういった。 「このままでは寺は土砂崩れで崩壊する。今からすぐに行動を起こさねばならない」 佐々木さんもその不安はあったようだ。 「お寺の歴史を見ると、何度も山崩れで寺院の施設がたくさん崩落している。ここは確かに地盤がよわいのです」 「それなら話が早い。私が桜井市長に手紙を書こう。杉林のような針葉樹林ではなく、落葉樹のどんぐりの森をつくって、山菜を収穫して農業のような林産資源循環をつくる必要があるから。それに落葉樹は観光資源になる。閣下が提唱する【森を切らない林業】をやるべきなんだ」 この政策論は、閣下が日記にも書いたものだ。 すると、佐々木尼は言った。 「市長さんは自分で何度もこの寺に参拝してくれるんですよ。私が手紙を書きます」 なあんだ。 でも驚いた。何もかも「目に見えない力」のおかげで、われわれはここにいるのだろうか。 都会では見えないものが、このような聖域では目の前に生き生きと働いている不思議さ。 この寺に私が来たのは、佐々木尼がいたからである。 尼(彼女とは言わないよ)がいなければ、私はこの山の惨状を目にすることはなかったであろう。 佐々木尼を招いたのは、確かにこの山の精霊そのものだったのか。 この音羽山が佐々木尼を招いたのはどうしてであったか。 私自身に衝撃的な真実が明かされたのは、その後だった。 佐々木尼がこの寺の歴史について語った時、こういったのだ。 「ここの観音さまは、《一眼をかなえる》ということで、それで眼病祈願の人が多いのですよ」 えっ。「いちげんをかなえる」だって。 それは音羽山の反対側、金剛山の山頂の一言主神社と同じではないか。 古事記・日本書紀に出てくる一言主大神は、雄略天皇と対等に尊重され、拍手して賜物をうけとった大豪族・賀茂朝臣家のご先祖なのだ。 「いちげん(一言)」を「一眼」と読んでしまったんだね。 つまり、閣下のご先祖なのである。 ご先祖が閣下を呼び出したのだ。私自身が驚愕した。 人生には不思議が多い。でも不思議を感じる人生が面白くないはずもない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Jul 9, 2005 04:06:51 PM
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