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曹操注解 孫子の兵法

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Nov 3, 2005
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カテゴリ:戦略
この連休期間に、閣下はパットン将軍について改めて研究した。
彼は孫子兵法について非常に深く研究していた。
断片的、示唆的ではあるが、ジュリアス・シーザーの戦術と、孫子兵法の共通項に気がついたのも、彼が最初だったと考えられる。

これは孫子兵法を実際に大戦略として再現した毛澤東主席の栄光とはあえて比較しないが、軍事学的には大きな功績だったといえる。

ではパットン将軍とは、いかなる人物だったのか。
学生や戦略を学ぶ諸君のために、パットン研究者の解説をここに紹介しよう。

______________

私の名前はチャールズ・マイク・プロビンス、友人はマイクといいます。
ジョージ・パットン将軍歴史協会の会長を勤めております。

協会設立は1970年のこと、当初の目的は将軍の栄光を称えることでした。

彼は心から注目されたかったときに、あまりひとびとから顧みられなかった。
誇大妄想だとかお天気屋だとかいわれるが、そんなさまざまな批評も偉大な人物だったからだ。

一将軍にとどまらず、この500年ばかりの歴史をふりかえるとき、偉人の一人といえるだろう。

パットンは矛盾する特性を兼ねそなえていた。
著名な馬術家でポロ選手、
剣術の達人で、1912年オリンピック(ストックホルム大会)出場、
フランス人の金メダリストに(フェンシング競技で)ただ一人勝利している。

優秀な船乗りで、スポーツマンで詩人。

数年前、とても素晴らしい書物が出たが、「詩人パットン」を描いたものだった。
行動は予期できないが、頼れる男だった。

命令されたことを、立派にやりとげる男。
社交的だが、時に内向的。

歴史上、最も複雑で、逆説的な人物の一人だといえるのだ。

独自の統率力で知られた人物像は、みずからつくりだし、練習した役柄だった。

娘たちは浴室の父を目撃している。
一人、鏡の前で、妙な表情をつくっていた。
「何をしているの」と聞かれ、
「戦争の顔の練習」と答えた。
「兵士たちに怖がられんとならんからなあ」

戦いの何たるかを知り抜き、兵に極限の奮闘を求めた。
危険の何たるかを知り、みずからも恐怖をおぼえる。
闘うことの怖さが身に沁みていたのだ。

見知らぬ国に送られ、疲れるし、腹もすくだろう。
睡眠もとれず、敵の銃撃に怯える。

彼は第一次世界大戦でそんな苦難を味わい、排水溝からふと空を見上げた。
信じるか、信じないかは自由だが、彼の主張によれば、空に御先祖たちが見えたという。

彼のことを恥じ、見下ろしていた。
「おい、ジョージ。お前はそのドブ川の中で臆病者として死ぬのか」
「勇者として敵陣で死ぬべし」

それで震えは止まり、臆病風は消え去った。
その日の戦いは勝った。

戦いに臨んでは、怖れてはならない。
恐怖を抑えられるかどうかが問題なのだ。

生まれた日から、そのことが人生のカギだ。
人生は闘いだから。

屈服すれば負けだ。
恐怖に駆られたら負けだ。
常に立ち上がり、反撃すべし。

彼の中には、それが沁み込んでいた。

ベンジャミン・デービス・ウィルソンはパットンの外祖父だ。
彼はメキシコ人たちから「ドン・ベニート(ベニート親分)」と呼ばれていた。

B.D.ウィルソンは、もともと罠を使う猟師で、故郷のテネシーを離れ、苦労しつつカリフォルニアを目指したが、山中では熊と闘ったりと、大変な思いをした。
デイビー・クロケットを思い出していただきたい。
ベンジャミン・デービス・ウィルソンはああいう生き方をした人だった。

実はカリフォルニア州のウィルソン山の名称も、彼の姓にちなむもので、カリフォルニアの柑橘類栽培産業も彼が立ち上げた。
現在のサン・ガブリエルに監督派(プレステビリアン)教会を建てたのも彼だ。

ジョージ・S・パットンはその教会で洗礼を受けている。

その教会にはパットンを称えるステンドグラスがあり、また高さ2.5メートルのパットンの銅像もある。

隣りの墓地にはウィルソンの記念碑が立っているし、父ジョージ・パットンの墓のみならず、
母や叔母や、妹の墓もある。

パットンは父と同名で、実は三世だが、南北戦争で家名の継承が途絶えたため、 「ジュニア」とか二世(セカンド)と呼ばれる。

パットン家はみずからをバージニアの名門としており、ご先祖にはジョージ・ワシントンや、さらには英国王、フランス王もいるとか。
パットン家は、マグナ・カルタ(大憲章)に署名した大貴族たち16名と何らかの血縁がある。


南北戦争の後、青年だった父ジョージ・S・パットンは故郷に見切りをつけて、カリフォルニアに旅立った。
その地で、彼はウィルソンの娘と出会う。

二人は結婚して、息子ジョージが生まれた。

そして父は息子に乗馬や釣りを教え、その他、男として知るべきことを教えた。
彼は男になっていく。

だが一つ問題があって、「読書障害」を患っていたと考えられている。

そのため、彼は12歳になるまで学校に行っていない。

家では父母から本を読んでもらった。
父母が読み聞かせたのは、聖書や古典だった。
ヴェルギリウス、ホメロス、偉大な古典を読み聞かせた。
内容は歴史、古代ギリシャの戦争、スパルタ人のことなど。
それが頭に刻み込まれた。

S.C.クラーク中等学校に入学した。
この学校は当時、パサディナにあった。

面白いのは、この12歳の少年パットンがほかの生徒たちとちがって読み書きができないのに、聖書の中味を暗誦したということだ。
ヴェルギリウスの著作も暗誦し、シェークスピアもそらんじた。
しかも、それを劇的な表現でおこなった。
12歳で、すでに「役者」だったのだ。

パサディナの後、パットンはヴァージニア軍事学校に進学した。
そこで学んだのは一年間だった。

その一年で、裏で父親が精力的に動いて、カリフォルニア選出の上院・下院議員に働きかけて、息子をウェスト・ポイントに入学させた。
その実現に一年を要したのだ。

パットンはヴァージニアで一年間、新入生の経験をしたが、結果的には三年間、新入生と同じ経験をすることになった。
ヴァージニアに一年いて、それからウェスト・ポイントへ。

その一年目も大変だったらしい。
普通にやるのが大きな苦労だった。
「読書障害」もあり、トラブルも多かった。

だが、彼は何とか挫けずにやりとおした。
やるしかないと腹を決め、粘り抜いた。

一年後、彼はわずかの失点で数学の単位を落としてしまった。
どういう理由だったのか、(今は)調査してもわからない。

ただ、一つの科目で落第点をとると、ほかの教科でも追試験になる。
フランス語は及第点をとっていたのに、追試験を受けるハメになった。

そして追試験の結果、これもわずかの失点で落第してしまった。

退学になるところを学校当局と直談判でかけあったが、非常に軍人的資質をもった生徒だと認められたので、学校側も再挑戦を認めた。

翌年、彼は士官学校で再び新入生をやった。
前年、同級生だったものが、全員一年先輩になっているという状況だ。
その時の上級生は、みなその(落第の)事実を知っている。

彼は五年かかって、同校を卒業した。

しかし、いったん卒業すると士官学校出身(ウェスト・ポインター)として扱われる。
ウェスト・ポイント卒業時、103人中、46番だった。
障害の割には大したものだ。

彼は実際、士官候補生として上級曹長の階級にあった。

ハードル競走で学校記録を破り、賞を受けた。
フットボールと卓球もやった。

しかし、フットボールで鼻を二度折り、両腕も骨折した。
それで彼はプレイを禁止された。
何しろあまりに頑固一徹なのだ。
力を入れすぎ、怪我をする。

彼は陸上競技も得意だった。

卒業時、彼は騎兵隊を選んだ。
軍の中でも刺激的だと考えたからだ。

騎兵隊の将校になって、彼はある若い女性と結ばれる。

最初に出会った時、彼女は12歳ほどだった。
カリフォルニアの名門、エア家の娘、ビアトリスが少女だったころに出会っていたらしいが、一目惚れに近かったようだ。
それを終生、気にしていた。

もちろん、12歳の少女と結婚することはできないが、彼は特別な何かを感じた。

彼女はウェストポイントに足繁く通っており、やがて結婚し、所帯を持つことになる。

彼女の父親は軍を好ましく思っておらず、娘が軍人と結婚するのに反対だった。
そこでパットンは彼に手紙を書いた。
「(軍を嫌うのは)どういう理由か、わかりませんが、私には軍人になることは自然なことで、それ以外に生きる理由がありません」
「軍務にあることこそ、私の願いです」

父親は不本意ながら折れ、二人は結婚した。





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Last updated  Nov 6, 2005 07:36:49 PM
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