車でカールヴァーンに来てランチしてから、国立ハンセン病資料館へ行く予定。
いったん家に戻って電車とバスで行こうと思ってたら、長女が車でそのまま行こうというので行きました。長距離?運転は苦手なんだけどね。
「全生園の隠れた史跡」案内板設置場所。
母娘遍路像。
松本清張の小説「砂の器」の放浪する父・息子を思い出してしまった。
あの父もハンセン病で迫害されてた。
でも、今のテレビドラマなどではハンセン病が理解されないからか、別の設定(殺人者)にされたりしている。
若い人にはわからないからのだろうけど、それはいいことなのかな。
映画「砂の器」が理解されない時代を喜ぶ
映画「もののけ姫」を見た時も、タタラ場で働いてる包帯姿人たちはすぐにハンセン病患者だとわかったが、
長女は幼かったこともあり、わからなかったし、私もあえて説明はしなかった・・・
今も知らなかったらしい・・・
もののけ姫とハンセン病、エボシの裏設定
私は聖書に書いてある「らい病」がハンセン病だと思っていた。
ヨブ記のらい病が特に印象的だったのです。
不条理の向こうに神を見たヨブ
聖書の「らい病」は、実は重い皮膚病全般で、ハンセン病ではないらしい・・・
聖書のらい
「重い皮膚病」と訳し直したが、それもハンセン病を彷彿させるということで、「既定の病」と訳すようになったらしい。
「重い皮膚病」訳語消える
館内は撮影禁止。パンフレットと「望郷の丘」のちらし。
国立ハンセン病資料館とは、ハンセン病とは。
1階と2階の紹介。
利用案内。
小学生のみなさんへ・・・かんたん解説(1) 撮影禁止なので、この解説だけもらってきました。大人にもわかりやすくていいですよね。
江戸時代まで。
療養所のはじまりー1。
療養所のはじまりー2。
療養所のしくみ。
強制的な隔離。
治る薬の登場と患者さんたちの活動。
らい予防法の廃止と裁判。
病気が治ったのにどうして療養所に住んでいるの?
今の療養所。
雑居部屋復元。人形が置いてあったので、最初人かと思ってしまった・・・それほどリアル・・・
展示室を見てる途中、ガイダンス映像の時間15時になったので、見にいきました。
「柊の向こう側~ハンセン病患者・回復者の歩み」
語り部講演が見られなかったのは残念だけど、ガイダンス映像の中にも語りがあったので良かった。
差別・偏見で強制的に療養所に入所させられた。
入所してもまるで刑務所のように労働させられ、懲罰房の重監房まであり、人間扱いされてなかった。
入所生活・労働の厳しさ、重監房の残酷さなど、想像以上でしたね。
見てるのは私と長女2人だけでした。展示室にはもう少し居たけど・・・
終わってから、また展示室にいき、閉館の16:30まで見ていました。
資料館だより。
「あん」上映会。長女が「あん」を見て、このハンセン病資料館に行きたいと言ってたのです。
私も行ったことはないけど、以前清瀬に住んでて全生園は知ってたし、
劇「風が吹いた、帰ろう」でハンセン病の高松市の離島・大島青松園を知り、
国立ハンセン病資料館も知って、行きたいとは思ったのですが行ってなかった。
「湯ノ澤の患者集落」
一番残酷な重監房(
特別病室)が草津の栗生楽泉園にあり、全国から「草津行き」にされ、恐れられていたそうです。
9年使用中、93人入れられ、22人亡くなったらしい。ほとんどが凍死です・・・
観光だけではない草津温泉。悲しい過去を知る「重監房資料館」
「名誉回復及び追悼の日」式典。
ハンセン病の向こう側。
ハンセン病の悲しい歴史。
ハンセン病と人権について考える。
熊本裁判に勝訴したからハンセン病問題は解決したと思っていた。
ハンセン病をもっと知ろう。
知ってほしい、ハンセン病のこと。
ガイド1。
ガイド2~5
国立ハンセン病資料館。
親子で探そう!全生園の生きものしらべ。
キミは知っているかい?ハンセン病のこと。
「語り部」のおじいさんにインタビュー。
国立ハンセン病資料館を見る。
1階には、小さな消防車なども展示されていた。
ハンセン病がうつるからと消防車も外から来てくれなかったから、ハンセン病患者達が、消防団を作って消防活動していたそうだ。
死んでも遺骨の引き取り手がなく、療養所内の納骨堂に納められている。
亡くなった時も、かえって良かったと思われたそう・・・
火葬の煙になって外で出られ、自由になり、故郷に帰れるから・・・
ギャラリー展
第25回ICOM(国際博物館会議)京都大会2019 文化をつなぐミュージアムー伝統を未来へー
出展報告・展示紹介。
出展した印刷物・パンフレット。英語です。
最後まで知覚の残る口で書く。手足は知覚がなくなり、変形もしてしまうそう。
熱い湯のみを持ってもわからず、火傷する人が多い。湯呑カバーを作って、両手で持つ・・・
唇・舌が最後まで感覚が残ってるので、舌で点字を読む。失明する人もいた。
重監房(特別病室)。
真っ暗な部屋に閉じ込められ、明かり窓から漏れるわずかな光の下で、日数を確認する為に書いていたよう。
結婚は、断種してからしか許されない。妊娠すれば中絶させられた。
入所した子どもの時に、荷物の中に親が入れてくれたハーモニカを大事にし、盲目になっても、残った唇の感覚で吹いている人もいた。
最後の4ページは日本語も。
慟哭。いくら亡くなって自由になれたと言っても、やはり別れはつらい・・・
「小さな希望」
「生きてやる」
閉館時間を過ぎてしまっていたが、受付の売店で長女が「詩集が欲しい」と言ったら、
「希望よ あなたに」塔和子詩選集を推薦され、買いました。
吉永小百合のコメントの帯も。
希望よあなたに 塔和子詩選集
北条民雄が「侮蔑や差別は強い心で跳ね返すことはできるが、同情だけは耐えられない」というようなことを書いたものが展示されていた。
「年頭雑感」 北條民雄
「同情と愛情とを混同するなかれ。私が欲しいものは愛情。同情など断じて私は求めはしない。」
ハンセン病と文学―小説家・北條民雄
川端康成に認められた「いのちの初夜」も売ってたかな・・・
長女は渋谷で友達と会うというので、清瀬駅へ送りました。
それから車で自宅まで帰ったのですが、所沢あたりが渋滞で1時間以上かかってしまった・・・
やはり電車とバスの方が早かったかな・・・