ミニライブの今日のテーマはフォーク。ジブリのテーマの曲も流用ww最後にオリジナルの「別離」も。KさんのリクエストはKinKidsの「新しい時代」
ミニライブの今日のテーマはフォーク。ジブリやクリスマスのテーマの曲も流用ww
曲名にうたスキ動画をリンクしてます。良かったら見て下さいね。”解説”はwikiより。
感染防止の為、解説など長く話さないで曲を流すだけ?と言われたので、あまり解説を調べる必要はないかなww
赤くしたところだけ、少し解説で言ってみましたww
「卒業写真」作詞作曲:荒井由実(松任谷由実)中・高の頃、アルバム「ひこうき雲」『COBALT HOUR』など買って聴いてましたね。憧れて作詞作曲などし始めてましたww 先日も浜松のコンサートに行きました。
”荒井由実(現・松任谷由実)の代表的なヒット曲の一つで作詞・作曲も荒井由実によるもの。卒業ソングの代表曲としても知られている。1975年リリースのアルバム『COBALT HOUR』に収録されている。」”
録音したCDを流しながら、Youtubeのカラオケ動画をミュートで見てもらいました。
あそびあーと☆こども劇場いるまのKさんが来てくれました。
以前勤めていた小学校の同僚のS先生も来てくれる予定だったのですが、急に帰省することになってキャンセルだったのですよね。
「時代」中島みゆき作詞作曲大学の卒業ひとり旅は、ウォークマンに中島みゆきなどのカセットを入れ、宮崎行きの夜行列車から始まりました。電池切れですぐに聴けなくなってしまいましたがww
小学校の音楽専科の見習い?手伝いしてた時、卒業式の合唱曲の伴奏を練習したりした。
”この曲は、1975年10月のヤマハ音楽振興会主催の『第10回ポピュラーソングコンテストつま恋本選会』、同年1975年11月16日の『第6回世界歌謡祭』にてグランプリを受賞した。同年にシングルが発売され、20万枚のヒットとなった[1]。後年、卒業式で歌われたり、音楽の教科書に掲載されたりして親しまれ、2007年に「日本の歌百選」にも選ばれている。2010年にはフジテレビ開局50周年記念ドラマ『わが家の歴史』のエンディングテーマとしても用いられた。本作は4⁄4拍子で記譜すると三連符を多用せねばならないため、12⁄8拍子で記譜されることもある。”
S先生がキャンセルで、Kさんお一人かと思ってたら、後からSさんも来てくれました。
ありがたいですね。先日手作りのクリスマスリースも届けてくれたのです。
その時は仕事の合間と言うことで、ミニライブを聴いてはもらえなかったので、嬉しいです。
録音なので、私が歌ってるか確認してもらうために、次の時代だけ、カラオケのうたスキ動画を見てもらいました。
恥ずかしいですねww 後の曲はまた、録音でカラオケ動画をみてもらいましたがww
「言葉にできない」 小田和正:作詞作曲
中学の時ラジオで「眠れぬ夜」をエアチェックしてから小田和正(オフコース)のファン。LPはほとんど持っていたけど、離婚して実家に帰る時、LPは要らないと母に言われ泣く泣く置いていきました・・・
大学生で武道館ライブに行き、先日は四日市までコンサートを聴きに行きました。なかなかチケットが取れない。
”「言葉にできない」は、「Off course Concert 1982 “over”」[3]の最終公演地日本武道館での10日間連続公演最終日の6月30日と1989年2月26日に東京ドームで行われた“The Night with Us”で、小田和正が涙で声を詰まらせ、歌えなくなったことがある。“over”ツアーの武道館公演では曲の後半部分で映画『ひまわり』[4]の中の、一面に広がるひまわり畑のシーンがスクリーンに映された。このアイデアについて小田は「まさに言葉にできないほどの、圧倒的な花の映像が欲しかったので、映画の版権の一部を買い取って武道館一面、ひまわりで埋めたんだ」と、後のインタビューで答えていた。フェードアウト直前に解散を示唆する「We are over,thank you」のナレーションが収録され、武道館公演ではひまわり畑のシーンに“We are”, “over”, “thank you”が投影された。この曲の制作過程について、小田は『たしかなこと』でのインタビューの中で以下の通りに答えている[5]。「アルバム作ってて、“もう1曲核になる曲が欲しいな”って思って、で、みんなが帰った後、ひとり残ってね。確か、渋谷の『マック・スタジオ』だったと思うけど」「何しろ“ラララ”でいこうというのはアイデアとしてあって。ただ、そこにたどり着くまでの過程があって。歌なんてもしかしたら、“歌詞がないほうが強いんじゃないか?”って思ったのかな。その前段階で、“歌詞、書くのイヤだな”って、そう思ってたのが、だんだん“歌詞がないほうが…”ってなったいったのかな。いや、ともかく“ラララ”って歌っているうちに、“このままのほうがシンプルで強い”って確信してったんだよ。ちょうどそれが当時の、バンドのテーマだったから」 「循環コードを弾きながら、“ラララ”って、歌いながらメロディをちょっとずつ直していったんだと思う。“ラララ”のあと、“言葉にできない”が先か“悲しくて”が先か、どっちか忘れたけど、このふたつが前後して浮かんだと思うんだよ。とにかく、そこのブロックが最初に出来たのは覚えている。“言葉にできない”って歌詞と“ラララ”っていうのはとても辻褄が合うじゃない?」 「そしたら、“悲しくて”だけじゃなく、“悔しくて”っていうのも“言葉にできない”や“ラララ”とも辻褄が合う。で、途中で、“否定的な、暗いまま終わるのはイヤだな”っていうことで“嬉しくて言葉にできない”という、“それで締めればいいんだ”みたいな。そう思いついたときに“ああ、そうか、これで解決。ハッピー、ハッピー!”って、この展開は素晴らしいな、とね」”
「青春の影」作詞作曲:財津和夫(チューリップ)
チューリップはカラオケで「心の旅」を歌ったりしてたけど、この歌も今回楽譜「泣ける歌」を買ってから練習し、歌詞をしみじみ読んで歌いました。オフコースもいいけどチューリップも良かったなあ。
”「心の旅」から、しばらくアイドル路線を走っていたチューリップが、そのイメージを払拭し、自分達が目指していた本来の音楽に路線修正するために発表したバラードナンバー。アルバム『TAKE OFF(離陸)』からのシングルカットだが、テイクが異なっている。この曲のリリースに周囲は大反対だったというが、ビートルズに倣って基本的にシングル曲はアルバムに入れないというコンセプトに反してまでのメンバーの固い意志と、プロデューサーの新田和長の意向もあり、最終的に発売が決定した。ボーカルもそれまでの姫野達也から財津和夫へ変更している。結婚式などで歌われることも多いが、別れの歌とも始まりの歌ともとれる内容である。JASRACのデータベースによれば、副題は「I'll always remember you」である。財津によると、「歌詞はビートルズの「The Long And Winding Road」をモチーフにした」[1]としている。また前述のように、別れの歌とも始まりの歌ともとれる内容ではあるが、財津自身は「二人の関係が「恋」から「愛」に変わった。ただそれだけ(後略)」・「単純に、主人公である男の成長を歌にしてみようと思った」・「「ただの女、ただの男」になることが確かな幸せにつながると言いたかった」と語っており、平凡な幸せこそが最高だと説いた純粋な恋の歌である[1]。”
「翼をください」作詞:山上路夫、作曲・編曲:村井邦彦
音楽の授業で合唱曲として習った気がするww 私も音楽専科の時、教えていた思い出深い曲です。
”「翼をください」はフォークグループの赤い鳥が1971年2月5日に「竹田の子守唄」のB面曲として発表した。もともとは1970年に三重県志摩郡浜島町(現:志摩市)の「合歓の郷」で開かれたプロ作曲家コンテスト「合歓(ねむ)ポピュラーフェスティバル'70」のための曲として作られ、赤い鳥メンバーがこの曲を提供されたのはレコーディングの2時間前であった[1]。1973年9月25日にはやまがたすみこが『あの日のことは やまがたすみこフォークアルバム第二集』の1曲としてカバーし、澄んだのびやかな歌声でこの曲のファンを増やした。のち、教科書出版社の教育芸術社の橋本祥路が教科書に収録して以来、合唱曲として有名となり、1970年代後半から学校教育の場でもよく採り上げられるようになっていた。そのため、日本国内では老若男女誰もが歌える愛唱歌である。1991年1月23日に川村かおりがカバーして発売、約28万枚のヒットとなった。1997年11月12日には元赤い鳥の山本潤子(事実上セルフカバー)によるシングルが発売され、1998年1月時点で初回出荷枚数の10倍、2万5000枚(東芝EMI発表)を売り上げた[2]。山本版は1998年1月開始のTBSドラマ『花王 愛の劇場 風になりたい』の主題歌に起用された。元赤い鳥のメンバーによるカバーには、他に紙ふうせん(後藤悦治郎・平山泰代)らによるユニット「TSU-BA-SA」が1991年発売のアルバム『ANGEL ON THE ROOF』で(曲名は「翼をください'90s」)、「紙ふうせん&フレンズ」が1998年4月1日にシングルで発売したものがある。”
「死んだ男の残したものは」谷川俊太郎の作詞、武満徹の作曲による歌
私はこの曲をリアルでは知らず、千葉大学合唱団のアンコール曲で初めて知り、歌っていました。
”ベトナム戦争のさなかの1965年、「ベトナムの平和を願う市民の集会」のためにつくられ、友竹正則によって披露された日本の反戦歌の1つである[1]。
谷川に作曲を依頼された武満は1日で曲を完成させた。武満はそれを「メッセージソングのように気張って歌わず、『愛染かつら』のような気持ちで歌って欲しい」という手紙を添えて渡したというエピソードが残っている[1][2][3]。バリトン歌手の友竹正則によって、1965年4月24日(資料によっては22日)御茶ノ水の全電通会館によって初披露されている[3]。倍賞千恵子、沢知恵、鮫島有美子、林美智子、ドミニク・ヴィス、石川セリ、高石友也、小室等、カルメン・マキ、岡村喬生、やもり(森山良子と矢野顕子)、夏木マリ、大竹しのぶ[4]、藤木大地のように、ポピュラーからクラシックの歌手まで広く歌われている。後に、林光がピアノつきの混声合唱曲に編曲。その後、作曲者の武満自身も1984年に無伴奏の合唱曲に編曲した。これら合唱編曲も合唱団のレパートリーとして重要なものとなっている[2]。”
「ひこうき雲」作詞作曲:荒井由実(松任谷由実)
この曲も買ったLP「ひこうき雲」にも入ってて好きで歌ってましたね。懐かしいです。死をイメージするけど、明るく、まだ希望がある感じがする。
”2枚目のシングル「きっと言える」のB面曲であるが、1989年に発売の8cmシングルのみオリジナルと別Mixで収録され、現在では入手困難である。元々は、三人娘の一人としても知られている雪村いづみのために書き下ろされた曲であり、いづみによってレコーディングもされたが、諸般の事情で発売されず、ユーミン自身の歌唱によって世に出た。しかし、その後もいづみはこの曲を好んで渋谷ジァン・ジァンなどのステージで歌っていた。このいづみの未発表音源は1990年(平成2年)発売のいづみのアルバム『COME ON BACK』で初めて陽の目を見た。夫である松任谷正隆は、この曲の(空を〜かけてゆく〜♪)のコード使いの意外性に驚き結婚を決めた、と冗談交じりに語っている(普通なら Gm7→B♭7→A♭M7 がセオリーであるが、中央部のB♭7 をやめ、B♭m7 を選択している)。團伊玖磨はこの曲に複数回登場する「ひこうき雲」のイントネーションが全て違う事を絶賛したとされる。2013年にはスタジオジブリ製作・宮崎駿監督のアニメ映画『風立ちぬ』の主題歌に採用された。「au loves ジブリ」キャンペーンCMソング。”
荒井由実「ひこうき雲」と歌詞になったふたつの死
”この曲の歌詞は、ふたつの死から着想を得て書かれました。ひとつは、当時高校3年生だった頃に近所で起きた団地の飛び降り心中。この出来事は、世間を賑わす事件にもなりました。このニュースでユーミンはもうひとつの死である、小学校の同級生が高校1年のときに病気で亡くなったときのことを思い出します。近しいひとの死は多かれ少なかれそのひとに影響を与えますが、ユーミンは「ひこうき雲」の中で、友人を亡くした自分ではなく、亡くなった“あの子”のことを想って、死を肯定的に捉えようとしています。まさに映画『風立ちぬ』の「生きねば」というセリフそのものです。一定のフレーズを繰り返すベースとドラムのリズムは、まるで人々が淡々と生きる日々の暮らしを表現しているかのよう。誰の身にも平等に降りかかる死というテーマを、こんなふうに死の側から歌うことは、松任谷由実というアーティストが今も愛され続ける理由のひとつかもしれません。””
「さよならの夏」作詞: 万里村ゆき子 / 作曲: 坂田晃一 / 編曲: 武部聡志
先日Mさんのライブで聴き、素敵な曲だなと思い、歌いたかったのです。ジブリの「コクリコ坂」も観たことがあったから、聴いた時に思い出したのですが、観た時より強い印象でしたね。森山良子が歌った手たと言うこともその時初めて知りました。やはり曲説明は必要ですよねww
”「さよならの夏 〜コクリコ坂から〜」(さよならのなつ コクリコざかから)は、日本の歌手・手嶌葵の4枚目のシングル。2011年6月1日に、ヤマハミュージックコミュニケーションズより発売された。2011年公開のスタジオジブリ映画『コクリコ坂から』の主題歌。元々、森山良子が歌っていた楽曲である。”
「やさしさに包まれたなら」作詞作曲:荒井由実(1974年4月20日発売)
”不二家ソフトエクレアのCM依頼で書いた曲で、シングルとアルバムで編曲が異なる。シングル・バージョンはアコースティックピアノを中心としたオケで演奏テンポがややゆっくりであるのに対し、アルバム・バージョンは4フレットカポのアコースティック・ギターのカッティングとやはりアコースティック・ギターによるスリーフィンガーのアルペジオを核に、駒沢裕城のペダル・スティール・ギターをフィーチャーしたカントリーテイストのテンポを速くした編曲で演奏されている。2000年に日本テレビ系『FUN』、2003年にフジテレビ系『ミュージックフェア』、2004年日本テレビ系『あの日にかえりたい。〜東京キャンティ物語〜』で唄われた。CMバージョンはレコード用音源とは編曲が異なり、最後の部分の歌詞とメロディーが異なる(レコード用音源は「すべてのことは、メッセージ」と唄われているが、CMでは「すべてのことは、君のもの」と唄われている)。「魔法の鏡」もシングルとアルバムで編曲が異なり、アルバム・バージョンはマンドリンがフィーチャーされている。歌詞も一部異なり、シングル・バージョンでは「街のどこか」、アルバム・バージョンは「夜空の下」となっている。また、シングル・バージョンはト長調であり、アルバム・バージョンは変イ長調である。オリジナル7インチシングル盤歌詞カードには、ユーミン手書きの詞と共にメロディー譜が印刷されている。このメロディー譜も手書きであるが、ヘ長調で記譜されている(本来は嬰ヘ長調もしくは変ト長調)[2]。アルバム・バージョンは映画『魔女の宅急便』(1989年)エンディングテーマソングになった。その後シングルCD(内容はシングル・バージョン)歌詞部分に「この作品は映画『魔女の宅急便テーマソング』として再び脚光を浴びています」と明記され、販売された[3]。”
「カントリーロード」
作詞作曲:ジョン・デンバー 訳詞:鈴木麻実子 補訳:宮崎駿
『耳をすませば』の挿入歌およびエンディング主題歌
音楽専科をしてた時、今月の歌に選んで合唱させていました。ジブリが好きなので「君をのせて」もww
”「カントリー・ロード」(Country Road)は、日本の声優・女優 本名陽子の日本語訳によるカバー・シングル。アメリカの歌手ジョン・デンバーが1971年に発表した「Take Me Home, Country Roads」(邦題:故郷へかえりたい)を日本語に訳してカバーしたものである。初版は1995年6月25日にリリース。2000年4月26日に再リリースされ、2004年10月27日に12cmシングルとしてもリリースされた。スタジオジブリ(徳間書店)制作、発売元は徳間ジャパンコミュニケーションズ、販売元はファーストディストリビューション。
1995年7月15日に公開されたスタジオジブリ制作、東宝配給のアニメ映画『耳をすませば』の挿入歌およびエンディング主題歌に起用された。なお、同作のオープニングテーマにはオリビア・ニュートン=ジョンの歌唱による「Take Me Home, Country Roads」が使われている。この楽曲を歌っている本名陽子は『耳をすませば』の主人公・月島雫を演じている。ちなみに、この作品がリリースされた1995年時点、本名陽子は16歳であった。なお、劇中では雫が「Take Me Home, Country Roads」(邦題:故郷へかえりたい)の訳詞をしたという設定になっているが、実際に日本語訳詞を手掛けたのは鈴木敏夫の娘の鈴木麻実子で、宮崎駿がそれに補訳している。鈴木が「ひとりで生きると 何も持たずに まちを飛びだした」と訳したのを宮崎が「ひとりぼっち おそれずに 生きようと 夢見ていた」と変更案を出し、鈴木の訳を支持した監督近藤喜文と宮崎は対立したという[2]。””
「時には昔の話を」作詞・作曲:加藤登紀子
『紅の豚』のエンディング・テーマ
加藤登紀子は憧れてる歌手の一人です。地声は割と似てると言われて嬉しかった。まあお世辞でしょうが。歌い方も少し真似したいけど、無理かなww 「紅の豚」も観たけど、やはりいいですよね。
1987年2月1日に本楽曲が収録されたオリジナルアルバム「MY STORY/時には昔の話を」がリリース。また、同年4月25日発売のシングル「百万本のバラ」にカップリング曲として収録されている(どちらも編曲は山本健司)。歌詞は、主人公がかつての男の友人とともに、貧しいながらもたくましく生き抜いてきた昔のことを思い出すような内容となっている。1992年3月28日にライブ録音されたヴァージョン(編曲:菅野よう子、ピアノアレンジ:大口純一郎)が、同年に公開された宮崎駿監督のアニメ映画『紅の豚』のエンディング・テーマに採用された[1]。
「M」作詞:富田京子 作曲:奥居香(プリンセス・プリンセス)
知ってはいたけど、歌ったことはなかった。今回「泣ける歌」という楽譜を購入して練習して録音。
本当にしみじみ泣ける曲ですよね。
”前年1988年にリリースされたアルバム『LET'S GET CRAZY』からのカットで、プリンセス・プリンセスの代表曲のひとつに数えられる曲でもあるが、タイアップはなく、当初は単なるB面の曲でしかなかった。この曲には富田がイニシャル“M”の男性と破局した切ない思いを、その“仕返し”のつもりで歌詞にし、奥居が曲をつけて完成したといういきさつがある[4][5]。なお、奥居は当時、ロック色を全面に出したバンドにしたいとしていたことから、バラードであるこの曲は相応しくないとしてボツにしようとしていた。しかし周りのスタッフに止められて本作収録に至ったという[5]。アルバムでの初出から26年後の2014年11月度日本レコード協会リリースにて、フル配信でのダウンロード数75万件に認定された[6]。初出が1980年代以前の楽曲としては、フル配信件数において史上最多記録となっている。”
以降、ポップスとクリスマスがテーマのミニライブのブログを参照してくださいねww
2020.12.18XML 刺繍展示即売・ミニライブ・歌声喫茶の3日目。ミニライブの日替わりテーマはポップス。
「PIACE OF MY WISH」
2020.12.24XML ミニライブの日替わりテーマはクリスマス。 今日からドリンク無しにしてマスク常時着用にするほど感染防止に徹底するとのこと。 あまり曲解説などしないで、話は少なくと言われ、録音・録画に徹することにしたのですが、 やはり少しは話してしまいますねww こんなに下調べしたのにねww
(「クリスマス・イブ」
「素敵なホリディ」)
クリスマスは終わってしまったので、「クリスマスイブ」「素敵なホリディ」は止めて、
代わりに?私の作曲した「別離」を聴いてもらいました。
回覧板さんの詩「別離」に曲を付けさせてもらったもの。
歌「別離」
歌詞に「十三夜」と「蛍」が出てくるので、YouTubeから関連する動画を選んで流しながら、
CDに録音した私の歌を聞いてもらいました。
「別離」の歌がBIG UPのサイトで聴けます
良かったら、クリックして聞いてみてくださいね。よろしくお願いします。
今回は、以前録音した上記の曲に、ハモリを多重録音してみました。
「別離」
「最後の頃は
ずっと黙って耐えていたんだよね。
そんな
思い出しかなくても
あとになれば
美しいよね。
あなたを泣かせてばかりいたから
あとになれば
思い出は
哀しいよね
今、ここにいてくれれば
こんなにも、むせび泣くことも
なかったのにさ
十三夜の道で
別れた人は
黒い子猫を抱いていた
どこからか見つけてきて
「不吉だよ」って言ったら
「みんなが、そういうから
私が飼ってあげるの」
「わたししかいないんだよ」って
月明かりの下で
優しく振り向いた。
「これからは、あなたの代わりなの」って
瞳を伏せたよね
その面影が
浮かんでしかたがない
なんであんな優しい人と
別れたんだろうって
今になって、思うのさ
十三夜の道で別れた人は
黒い子猫を抱いたまま
泣いていた。
いまでもその場所に
立っている気がするよ
「ねぇ、いつか一緒に
蛍を
見に連れて行ってね」
とうとう、
ほかには、何もねだらなかったよね
もう、蛍を見ることも出来なくなった
十三夜の道で別れた人は
黒い子猫を抱いて
泣いていた」
十三夜の月です。
蛍の動画も。ミュージッククリップみたい?😅
最初間違えて、主旋律だけの「別離」を聴いてもらったので、
次はハモリのハモってる後半だけまた聴いてもらいましたww くどくてすみません・・・
歌声喫茶は無しになり、リクエストの動画を見せるだけなのですが、
Kさんのリクエストは、KinKi Kidsの「新しい時代」です。
KinKi Kidsの剛ファンのKさんは、同じく剛ファンの長女とファン仲間なんですよww
私は長女に見せてもらいましたし、それをKさんは知ってると思いますが、
KさんはSさんに見てもらいたかったんじゃないかな? この時代に即して作った曲だからと。
みなさんも是非みてくださいね。よろしくお願いします。
#KinKiKids #Oalbum #新しい時代 KinKi Kids「新しい時代」Music Clip (from O album)
メイプルさんにお礼に差し上げた「古今東西らーめん食べ比べ」を、
Kさん、Sさんに「1つずつどうぞ」とあげてました。ご夫婦二人きりでは食べきれないからとww
麺はどれも同じで?スープだけ違うようですww
Kさんが、青い鳥を刺繍したマスクを買ってくれました。
Sさんは、以前来た時に黒に猫刺繍したヘアバンドを買ってくれてたのですよね。
ありがとうございました。
これで無事終了ですね!
長かったようで、あっという間の11日間でした。
お世話になった方々、見守ってくださった皆様、本当にありがとうございました😊