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もうあれから11年も経つんだな。。
思い出す度いつも不思議な気持ちになる 前日の10日 病院から「今すぐどうこうというわけではないけれどここ数日日中も眠っている事が多くなりました。」って電話が 5日前に行ったばかりだったけどその日は休日と言うこともあり旦那に家の事を頼んで行くことにした。 まさか翌日亡くなるなんて思わなかったよ。(´;ω;`)ウゥゥ 次男と病院へ行くと伯母は5日前とはあまり変わらず寝たきりながらも意識もはっきりしていてとても喜んでくれた。 ちょっと気になったのは寒中だと言うのにやたらに暑がって次男と2人で団扇で扇いであげた。 足も浮腫んでいたので揉んであげると気持ちよさそうにしていた。 面会時間が終るので 「明日まで来るからね」と声をかけると 「ありがとうね。気を付けて帰るんだよ」と言ってくれたのが最後の言葉 翌朝病院から容態急変の電話で雪道を駆け付けると もう亡くなった後。(´;ω;`)ウゥゥ それにしてもあの日危篤と言うわけでもなかったのに出かける事にしたのは 伯母が呼んだんだろうか・・ それとも私達が行って安心して旅立ったのだろうか。。 偶然なんかじゃない。 私は行けないので次男に頼んだらすでにお花とお菓子を買って供えてくれているって そういう気持ちは必ず天国のオバちゃんに伝わっていて喜んでいてくれるはず。 本当はもっと生きているときに尽くしてあげたら良かったな。。 「ごめんなさい」そして「ありがとう」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
もうそんなに月日が流れましたか。
叔母様の事はよ〜く覚えています。 シオンさんと私のお付き合いも長いってことですね。 次男くんも優しいですね。 ごめんなさいなんて言葉はいりませんよ。 叔母様はシオンさんや次男くんに感謝してるはずです。 覚えていてくれること、思い出してくれること、それって嬉しいことですからね(*^^*) (January 11, 2021 01:47:18 PM)
☆春吉☆さんへ
伯母は貧しい農家の6人姉妹の長女として生まれ妹たちのおしめを替えたり家事を任せられたり苦労しました。優秀だったけれど小学校しか行けず独学で看護師になり婦長まで務めた努力家で頭が下がります。 私も勿論ですがうちの子たちも可愛がってもらいました。 母が亡くなる前に「オバちゃんは子供がいないからよろしく頼むね」が遺言のひとつ。 そんなに早く亡くなるとは思わず本当は生まれ育った実家に連れて行ってあげたかった。 孝行したい時には親は無し (January 12, 2021 09:03:41 PM) |
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