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岩見沢起床。大正時代の古い建物の横を抜けて駅へ。
久しぶりに美深に。特に用事は無い。 美深町自体は、中学2年後半から3年のときすんでいて、中学卒業後も友達の家に遊びに行ったり、それこそ放送局時代は番組をつくりに訪問している。それでも、23の時の話なので、十数年ぶり。 でも、考えてみれば、住んでいた周辺や中学校や通学路周辺は、中学卒業後まったく行ってない。こう考えると丸20年ぶりにそういうところを見たい気分になった。なので、チョウザメとか井上食堂とか美深の松山湿原とか普通の観光は却下。 いつも乗るので旭川までは何のことは無いのだが、さすがに旭川より北の車窓の風景はなんだか気になる。でも、眺めてみるとずいぶん印象が違う。なんだか、宗谷本線を走っている印象は、常に夜汽車。当時は旭川でぎりぎりまで遊んで夜に美深に帰るわけだから、当然の印象かもしれない。でも、今日は朝のさわやかな風景。おまけに、当時走ってない特急での移動なので、風景の印象がさらに違う。 駅に降り立ってみる駅前の風景は、駅舎が新しくなっても、僕の印象は常に猛吹雪。だって、はじめて美深に降り立った日が吹雪いていたし、卒業して引っ越す日も吹雪いていた。駅を背にしてみる駅前の通りはそれほど変わっていない。それに、23のときに再度訪問済みだったりもする。 で、駅を背にして左に。家のあったところだ。何ときれいな公園に整備済み。管理は指定管理者制度で。しかも周辺の住宅も結構新しくなっている。中学校に向かって歩いていくも、なんだか記憶と風景が一致してこない。でも、道は正しく歩ける。なんだか、川も道も異常に広く感じる。拡幅工事でもしたのかという感じ。でも、そういう形跡は無い。 とりあえず、中学に行く途中の神社に。親と合格祈願に行って、しっかり不合格。 そのときの自分としては、かなり心の中でここの神様のことを罵った。けど、今となっては、あの不合格があればこそ、この自分がいる。 それに、ものすごくここの町を嫌っていたけど、自分の人生の転機にこの町はかかわっている。それも、そのときは禄でもないなぁと思うことばかりだけど、どれも、終わってみると「雨降って地固まる」的な事件。 おまけに、結婚前に今の家内と僕をつなぎ続けてくれたやつは、ここの町で知り合った友達。 子育てSOHOになりたいと思った心の原点も、ここの町。 あと、共産主義者だったのが自由経済主義者になったのも、ここの町。 今となってはここの町の神様を罵ったのは悪かったなぁと思っている。ここの土地の神様の20年先を見た計らいなんだなと思うので、とりあえず、謝ってくる。 中学校を見る。中には入らないで、遠巻きに。思えば嫌な生徒だったよなぁ。本当にあのころは、嫌々生きていた気がする。 あと、街中をぐるぐる歩く。だんだん記憶とシンクロしてくる。何のことは無い、内地で狭い道ばかり見ているので、道が広く感じただけだ。 懐かしい書店に入る。ここの書店で、星新一の「ノックの音が」を購入したのが、多読人生の始まり。その前から本はよく読んだけど、フィクションをよく読むようになったのはこのときから。それまでは、落語と科学書とノンフィクションしか読まなかったんだよね。気が向いたので、また手ごろな小説を買ってみる。 昼飯は、子供のころ、兄貴が帰省したときに親が喜んで連れて行ってくれたお店。山女魚の天ぷらを食べる。 お土産を購入して、時間が早いが旅館に。たぶん電話を掛ける労を厭わなければ、誰か彼かに会えるんだろうと思うけれど、なんとなくパス。なぜか、宿泊するところは神社の目の前。 宿でちょっと休憩して、また外出。町を一周。徒歩で。 うん。この田舎が嫌だったんだよな。といっても、あのころ都会から来たような気でいたけど、今思えば、あの程度は「田舎→田舎」の転校。で、この年になって町を一周したら、田舎の尊さがよく分かる。うらやましい。 街中のラーメン店でラーメンとビールで夕食。意外においしい。あのころ、美深でおいしいと思って食事した記憶は無い。曲がった心じゃ美味しいものもわかんないんだよね。 日が暮れてホテルに戻って、読書。少し心のリフレッシュになったな。一族の原点探しも大事だけど、自分の原点探しも大事だよな。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
September 30, 2007 06:34:19 PM
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