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思索している時の表情というものがある
出雲からの旅を終えた友人は、その旅で彼の琴線に触れたであろう その大切な話を、知的な面と感性の面と秩序立て、 かつ丁寧に注意深く言葉を選び僕に話してくれた。 彼が話を終えた後の表情には本物の思索があり そしてその表情には神々しさすらある 曇りなき眼が見つめているものは、空の向こうにあるもの そして感情の奥にあるであろう静かな泉、 もしかしたら天界との橋であるのかもしれない 僕が、その表情というものに関心を持つようになったのは フラメンコギタリストである「ビセンテアミーゴ」の演奏を スペインで見たときかもしれない。 彼が音の向こう側の世界を感じ、紡ぎだすという行為を目の辺りにした僕は 演奏が聴けて楽しかったとか、何かを学んだとか そういった言葉が陳腐になるほどの強烈な何かを感じ取ったと記憶している そして、その演奏時の彼の表情は 単なる自己陶酔やエゴの追求という類のものが入る隙のない 本物の思索する(音楽と思索を同義の意味で)人間のものであったと思っている 僕の眼差しは、日々の生活に忙殺され曇ってはいないだろうか・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007.06.19 00:51:54
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