|
カテゴリ:カテゴリ未分類
(長文になってますので予め了承ください)
先日 以前12年ほど勤めていた会社の上司の訃報が入り 通夜に参列してきた あまりの突然の事で正直言葉が見つからなかった もし 僕を社会人として育ててくれた もしくは影響を与えたのは誰ですか? と問われたなら 僕は間違いなくその故人の名を挙げるだろう 勤務初日で一番最初に対応してくれたのが故人であった そのてきぱきした身のこなしと要領を得た話し方 そして人をひきつけてしまう様な優しい笑顔は 緊張状態の僕に 「こういう人がいる会社なら安心だ・・」と思わせてくれた 仕事に対しては実に厳しい人でもあったが 同時に愛情深い人で、他者に対する気配りのある人でもあった 「自分の仕事を覚えたら 次は他者の気配りが仕事である と教えてくれたのも故人であった」 何よりも 自分の仕事に心から誇りを持ち信念を持っていた 何を信念にし何を誇りに持つかは個人的なものだが 少なくとも僕はその圧倒的な誇り高さに 多大な影響も受けたし 理想の人物像を描いた 高校を卒業後 大学を選ばず就職した僕にとって その職場はいわゆる僕にとっての まさに「社会を学ぶ大学」と呼ぶにふさわしい 人間と社会を学ぶ宝庫のような場所でもあった セキュリィティという職種は、日常を事故のないようにするための 秩序とシステム的な思考と行動が要求されたし 同時に緊急時の判断力と瞬発力と臨機応変な対応力が要求された。 特に国際空港という場所は語学的なことから始まり 礼儀もさることながら圧倒的なコミュニケーション能力を必要とした やがてそれらをオペレーションする能力も要求されるようになったし 社員指導教育の能力も学ばせてもらった 最終的には管理者としてのノウハウも学ばせてもらった それらの階段をひとつひとつ地道に登れたのは またある種の時間的にも過酷な勤務を耐えうる忍耐力と モチベーションを与えてくれたのは 自分ひとりの力ではない 間違いなく故人をはじめとする方々の 行動や言葉などの有形、無形のサポートによるものであった 時が過ぎて 僕はこの場を卒業する決断を迫られた もちろん卒業証書をもらえるわけでもなく 誰かがそれを薦めたわけでもない 自分が自分の中に感じた希求的選択であった (ほとんどの人が僕の選択を無謀と言っていたわけだが) しかし 安住を排除してそれらを判断する勇気を与えてくれたのも またこの職場のおかげであったかもしれない 会社を去った僕は、ある種の場所に於いて 暗黙に存在するルールと習慣に乗っ取って 古巣へのコンタクトを遠慮するようにしていた ただ スペインに旅発つその日 空港のゲートから故人に電話をした 「今から 行ってきます」と 「電話をありがとう 頑張って勉強してこいよ!」と それは 初めて会ったときと同じテキパキした声であった それが僕が聞いた最後の声 今まで疎遠になっていたたくさんの懐かしい顔が並んでいた あるひとつの時代、寝食を共にした戦友のような仲間たち 故人の最後の仕事はこうして人をつなぐことだったのではなかろうか 故人殿 「僕は あの職場で人間力の礎を学びました そして それらは世界のどこでも通用するものであることを 確信しました そしてこれからも僕の生涯の財産になるでしょう 育てていただき 本当にありがとうございました」 故人が愛してやまなかった 一杯の酒と共に 渕崎 昭彦 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2010.03.18 12:39:24
コメント(0) | コメントを書く |