子どもの頃に「十五少年漂流記」や「ロビンソンクルーソー」を読んで、
木の間にロープを張って遊んだり、隠れ家を作ったりしたんだ。
仲間と野山を駆け回り、昆虫や川で魚を取ったりする事が面白かったな。
いつも泥んこで、お袋に呆れられていたな~。
周りに山や川があったからだろうな~。
自然の中に居ると、山は山としてど~んとそこに存在して、
川はとうとうと流れている。
こうしたゆるぎない存在というものの中では、自分の小ささが改めて
見えてくるし、自分の尺度がすべてではないと分かってくる。
自然の中で暮らすことは、喜びや楽しみだけでなく、苦しいことや
辛いこと、挫折することも、すべてあたり前に受け止めていかなければ
いけないということ。そうしたことから、目を逸らさなければ、
命の大切さや人への思いやりということも知識として学ぶのではなく、
自然と分かってくるんじゃないかな。
都会は、人間のるつぼで、どちらかと言うと人間中心の価値観で
築かれている。そこには、どうしても錯覚やうぬぼれに陥り易い、
俺もそうだったから・・・。
自分のミニマムとマキシマムの両端を知っておくことは、
生きていく上で、とても大切な事だと思うな。
ちょうど、「やじろべえ」のような存在で、楽しい事、苦しい事、
大きい事、小さい事・・・そうしたものをすべて受け入れ左右に
振れながらバランスをとって生きていくものじゃないのかな。
今、人は、傷つけたり、傷つけられたりということに、あまりにも、
囚われ過ぎているような気がするな~。温室育ちで、困難なことに
打ち克つ心の強さが無くなっているんじゃないかなあ。
心が、弱くなってしまっているんじゃないかと思うな~。
心も体と同じで鍛えれば強くなっていくものだから・・・。
心を鍛えていくことが、大切なんだろうな。