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先日、うちのサルがカモシカになった。 こう聞いて、「ははぁ、さては!」と思う人は、かなりのバイク通だろう。 僕の相棒が、これまで乗っていたHONDAのモンキー(50cc)から、YAMAHAのセロー(250cc)に変わったのだ。 Monkey = サル、Serow = カモシカ ということ。 (Link: セロー公式サイト↓) http://www.yamaha-motor.jp/mc/lineup/sportsbike/serow/ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ 僕が最初に「自分の足の延長」としてバイクに目覚めたのは、18歳の頃だったかな。大学1年生の終わり頃。SUZUKIのTS50"ハスラー"(50cc)に乗っていた。 今はもう生産されていない、ハスラー50。オフロード型で、白い流れるような車体。まだ原付リミッター前だったので、50ccとはいえメーターは100km/hまであった。 (Photo: 昔のハスラー50のイメージ↓ 僕の相棒の色は白と青だった) バイト代をためて甲州街道のレッドバロン府中店に行き、一目ぼれして買った中古のハスラー50。 スクーターではなくトランスミッションなので、最初はかなりびびった。しかし、その後すぐに体になじんできて、体の一部のようになった。 そんなある日、ふと思った。 「あ、そうか・・・。この家の前の道は、大分の実家までつながっているのか・・・。」 そうしたら無性に走ってみたくなって、数日後に走り出してしまった。大学は春休みだったかな。 東京⇔大分。お金がないので宿泊はユースホステル、メシは基本的にビスケット。激ヤセした。 しかも50ccだから高速道路は走れず、国道1号線からひたすら下の道を走った。 途中、神戸~福岡をフェリーで渡り(そんなのも楽しくて!)、5日くらいかけて大分に着いた。帰路は、四国をまわってフェリーで一泊して晴海に到着。 フェリーの3等客室の雑魚寝スペースで、同じくバイクで一人旅していた人と色々話した。楽しい一人旅の思い出。。。 僕はこういうところがある。というか、この時の「ハスラー50・思いつき一人旅」によって、思いついたら動き始めてしまう性分が開花したとも言える。 だから、僕の人生にとって、あのハスラー50は忘れられない存在なのだ。 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ しかし、ハスラー50で痛感していたことは、やっぱりパワー不足だということ。そりゃ当たり前だ、いかに大きくても原付なんだから。 長い坂道では、バイクと一緒にこっちも疲れていた。そんなとき、横を走り抜けていく美しいバイクがあった。 セロー225。当時は250ccではなく225ccだった。タンクに描かれたカモシカのマークが目印。白い車体。どことなくハスラーの雰囲気にも似ていたなぁ。 「ああ、いいバイクだなぁ。いつか乗りたいなぁ。中型免許とったら、乗れるかなぁ。」などと、あこがれていたものだ。 しかし、そうこうするうちに車の免許をとってしまい、NISSANサニーの中古車を購入。ポンコツとはいえ車に乗り始めたら、バイクへの情熱は心の奥にしまわれてしまった。 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ さて、時は流れて40歳を過ぎた頃、ふと思い立ってHONDAモンキー50を購入した。やはり、スクーターではなくトランスミッションのバイクがよかった。 同じ頃、家庭菜園を始めた。自宅から車で10分ほどの距離にある菜園まで毎朝通うのに、時々モンキーを使うことにした。 以来、モンキーは「農家モンキー」となり、荷台に無理やりつけた自転車用のカゴに野菜を満載して、早朝の住宅街を走り抜けることになった。 (Photo: "農家モンキー" ↓) スペック表にあるテスト値では、リッターあたり何と100km走るという驚異的燃費。震災後のガソリン欠乏期には、この燃費はことさら有難かった。 ただ、僕の体に比してあまりにも小さく、時折バランスを崩して転びそうになることもあった。甲州街道をダンプカーと一緒に走るときには、身の危険を感じた。 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ そして2012年、夏。また新たなひらめき(啓示?)があった。 ある夜、東京に震災が来る夢を見た。オフロード・バイクで瓦礫の道を踏み越えながら走る夢。とても嫌な夢・・・。 でも、皮肉なことに、それがきっかけでオフロード・バイクのことが再び頭に宿った。なんだか、頭の中で夢と過去の記憶が混ざり合ってきた。 そして、またふと思ってしまった。 「あ、そうか・・・。中型二輪免許とらなきゃ。」 近くの教習所に申し込んだ。忙しいので、十分に予定が入れられるかどうかも定かではなかった。しかし、色々工夫してチビチビと通い始めた。 トランスミッションの扱いは慣れていたので、「乗れる」ということは分かっていたが、やはり中型は重さが違った。教習車はHONDAのCB400。最初は重さにとまどった。 でも、やはりバイクは友達。何度か乗っているうちにすぐに体になじんできた。秋も暮れる頃、めでたく卒検に合格。免許に「中型二輪」の追記が入った。 買うバイクは、最初から決まっていた。もう18歳のあの日から決まっていたのだ。ちょっと四半世紀ばかり、胸にしまっておいただけ・・・。 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ある週末、菜園で農作業をした帰路に、モンキーでレッドバロン立川店に寄ってみた。甲州街道、日野橋手前の店。 超久々に吸い込む「バイク屋」の匂い。整備場のひんやりした感じ。静かに首を傾けて並んでいるマシンの数々。感慨深く、しばらく歩き回っていた。 明るい声で話しかけてきた店長さんと色々話しているうちに、「オフロードがいいと思ってるんですけど・・・何がお奨めですか」と聞いてみた。 すると、「やはりセローですね。人気があります。」という確信に満ちた言葉が返ってきた。「ちょうど今日、入ってきたばかりのセローがあります。見ますか?」 「あ、ええ。そうですね。」 そこには、中古だが状態の良いセローがあった。2008年以降の現行モデル。タイヤもチェーンも新品、小さなウィンドシールドとブラッシュガード(手の風除け)が着いていた。 「おお、美しい・・・。」思わず、ため息が出た。 白い車体。流れるようなフォルム。近年、トリッカーをベースにデザインし直したため、四半世紀前に仰ぎ見たあの頃のセローよりも、しなやかで機敏な感じになっている。 またがってみた。足つきが抜群に良く、車体重量は120キロくらいなので取り回しも軽快。ハンドルも噂どおり深くまで回る。 エンジンをかけてみた。ゆるゆるゆる~と低速域でしつこく細かめにふかしてみたが、なかなか良い感じ。塗ったばかりのワックスが焦げて独特の匂いがした。 こうなってしまうと、もう答は決まったようなものだ。 「これにします!」 畑の帰りにふらっと入って、出会ったその場で決めてしまった。こういう運命的な流れには、逆らってはいけない。逆らうと運が便秘状態になる。 ということで、ついつい長い話になってしまったが・・・我が家にセロー250がやってきた。モンキーは下取りしてもらった。モンキーは中古でも良い値がつくので有難かった。 (Photo: 新旧相棒:モンキーとセロー~レッドバロン立川にて) きっかけになった悪い夢は、現実になってほしくない。家族も仕事もあるので、バイクと共にふらっと消えてしまうこともない。でも、時々セローに乗ってリフレッシュしよう。 車と違って、バイクは人も一緒に走る。一緒に風にあたり、一緒に汚れて、一緒にぬれて、一緒に疲れて帰り着く。そういうのが、たまらなくいいんだなぁ、バイクって。 (さっそく"農家セロー"として活躍中↓) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2012.12.01 09:32:21
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