山口小夜の不思議遊戯

2005/10/23(日)07:50

鳥取物語 第三章 相生文字の隆盛 第一節●小夜、豊を見い出す●

 翌日、いつもの遊びを終えて家に帰っていく子供のさりげなさで楡の木の前に現われた小夜は、その木の腹に新しい書きつけを見い出して、ぴたりと足を止めた。  そして、かすかに顔をしかめた。  それは小夜が凝視によってのみ見ることのできた書きつけと比して、あまりにもはっきりと読み取れるものだった。  まるで、  ──読むなら読むがいい、  と威嚇するかのように。  小夜は自分のふるまいが過ぎていたのではないかと心を曇らせた。  たとえば、ひとめでこの森のなかでも重要な地位にあると目される楡の木に、断りもなく文を結んだこと──それに、たとえ書きつけの主が豊であると推測できていたとしても、彼がおそらくは秘密裏に行なっていることを面白半分に暴いたことなどを省みれば、自分は少し・・・否、かなり無遠慮であったかもしれないという思いが、今更ながらわき起こってきた。  小夜は楡の木の下でとぐろをまいているような無数の根を踏みつけないよう細心の注意を払いながら、おそるおそる書きつけのもとに近づいていった。  自分は不幸な結末を招いてしまったのではないか。  この土地が隠す大切な秘密に深入りをしたばかりに、何者かの叱責を受けるのではないかと怯える気持ちがのしかかってきた。  書きつけに目の焦点を合わせることができないまま、小夜はこれまでの‘相生文字の解読’という自分の行為は、たとえば言語学者の調査のような、単なる研究の域を超えないものだったのだと思いこもうとした。  それ以上のものにしてはいけない──自分の心のなかでさえ。  もう終わりにしなくては。  そうやって罪の意識に目をすがめる小夜の瞳に、否応なく眼前の書きつけが像を結んだ。  Θфлзб  」ПЭБэ¬   ∂∠Ψι∝  醇風や 乙女こもごも 春の膳  何秒か、小夜と書きつけとは互いに見つめあっていた。  小夜はぴくりともしなかった。そのうち楽しげにさえずるアトリのしつこいような声にようやく正気をとりもどした。  彼女の精神的危機はすでに去り、それは楡の木に残された書きつけの効果がもたらしたものであることは間違いなかった。彼女はすっかり生き返り、生気に満ちあふれていた。  小夜は今、無意識のうちに恭しく楡の木の端に跪き、顔を仰のかせて新しい書きつけをうちながめていた。そして、この実に魅力的な不思議文字の書き手と、ほんとうの接触を果たせたことが腑に落ちて、今度は逆に昂揚した気分を抑えられなくなってきた。  彼女は書きつけのある幹に顔を押しつけ、深々と樹木の匂いを吸いこんだ。  小夜はこれまでのひとりの時間、家に帰ってからの相生村とは隔絶された、家族だけとともに過ごす時間でさえも村の子供として充実させてきたつもりだった。妹と台本を作り、相生村を舞台にした劇も公演した。彼女は自宅にあっても、相生村の流儀にすがりつこうとしていた。そうでもしないと、不安に──自分は本当の意味ではこの村に受け容れられていないのではないかという煩悶の重荷に苛まれた。  それがいま、消え失せた。確かにこの地に存在するものの手によってとり払われた。  小夜は楡の木から返歌を受けた。  もうひとりではないのだ。  だが、なぜそんなことがいえるだろう。  この楡の木に見える文字は二百人からの相生の民が古来より隠し伝えてきたもので、彼らの呪詞(まじないことば)といえば、その意味の半分も聞き取ることができず、その信仰はいまも、おそらく今後とも小夜には謎であるはずなのに。  けれども、この時から小夜は、たしかに書き手と自分とのあいだで行き来がはじまったのを感じていた。  楡の木を介在させて、彼らは今や互いに意思を通じ合っていた。  小夜がこの考えに至ったわけは、樹肌に書きつけられたこのうたが、たったひとり自分に向けられているメッセージであることを読み取ったからという一言に尽きた。この稀有な言伝とはすなわち、  あなたは醇風の中、春の膳をともにとったその少女なのですか──。  ‘醇風’とはそのままおだやかな風という意であると同時に、小夜たちの分校の名にかけてあるはずであった。  小夜は昨日、醇風小学校分校でお弁当を食べた時のことを思い出した。それは、雨の日に買出しに行った人員を名を思い出すことよりも、ずっと容易であった。  昨日、分校でお弁当を囲んでいた班の中に、女の子は自分ひとり。  この句を書きつけた者は、もはや小夜のことを描写したとしか考えようがない。  そして、その中にいた者は、相生のおのこではただひとり・・・。  豊──。  自分への書きつけの送り主がはっきりしたところで、これ以上の滞在は意味がなかった。  なによりもすばらしいのは、楡の木にある小さな言伝だった。彼女はそれをしっかりと頭の中に覚えこみ、けっして忘れたりするまいと心に決めた。この村の人々とともにある未来のなかへと、彼女を導いてくれる呪文の、これは最初の一句なのだ。今後の可能性は、無限に開けているだろう。  それを確信すると同時に、小夜にはある別の考えも浮かんでいた。  小夜と同様、豊もまた孤独であったのだと──。  自分だけがこの村のなかで異質な者だとの思いに囚われていたとき、小夜は豊について思いやることができなかった。  けれど今、その目は豊への共感に大きく開かれていた。  小夜が知り得るかぎりのその人となりをつぶさに鑑みても、間違いなく彼はその身のうちに多くの秘密を隠している。  生まれは不二一族であるのだろうが、それ以外はほとんど精霊といったたぐいの存在と変わりのないように小夜からは思われた。神々のことばを、まるで母国語のようにらくらくと作り出す。ひるがえって、人間界にあって彼は寡黙である。人語は彼にとって異質なことばなのだ。それでいて自分が特別な身であるのだというそぶりは一度たりとも見せていなかった。けれどもそれは、自分が人外のものであるような気配を、かけらも感じさせないようにふるまっているからなのだ。  小夜は‘神に最も愛される者’に生まれついてしまった者としての豊の慎みと威厳を、そして彼の痛みを思った。  同時に、豊が自分という特異な存在をあつかうのに慎重であることを思い出し、小夜は今後はそれを尊重しようと決心した。  小夜はもはや文を結ぶことなく、そのまま精霊の森から離れ去った。  その胸のうちには、ひとつの返礼のことばがあった。  豊よ、明日の朝、私は伝えるべき思いを伝えよう──。  本日の日記---------------------------------------------------------  ↑とはいえ、物語の構成上、明日の朝すぐにというわけではないかもしれないのですが(笑)。  【十月は神在月?】  日本では、明治5年12月3日(明治六年1月1日)に太陽暦を採用し、一年を12ヶ月(365日)として、四年に一度うるう年をもうけることにしました。    それ以前は、太陰暦で月齢(30日)を数えてひと月とし、より誤差が大きかったので閏月(うるうづき)を設けて調節していました。だから一年が13ヶ月の場合もありました。  陰暦では、季節の移ろいに従って一月から十二月までさまざまな月の異名が生まれました。たとえば今月が「神無月」(かんなづき)と呼ばれることは、ご周知のとおりだと思います。  一般には、全国の神々が出雲大社に集まり、他の地域では「神無し」の状態になるため、「神無月」といい、出雲地方では逆に「神在月」(かみありづき)というとの説が信じられています。しかし、この説は中世以降、出雲の御師(おし)によって広く流布されたもので、当て字に過ぎません。  「かんなづき」の「な」は上代では連体助詞であったのですが、平安時代になると一般に使われなくなったので、「無し」の「な」と曲解され、「神無月」の俗説を生じたものと思われます。  では、「神の月」とするならば、なぜそのようにいうのか理由がなければならないわけですが、これを相生村の伝承にてらしてみると、「かみなし」の語は、「醸成」(かみなし)に当たることが言われています。その理由は、「翌月ノ新嘗ノ設ケニ、新酒ヲ醸ス月ノ義ナリ」と古文書に説明されているのです。翌月の新嘗祭を迎えるにあたり、神事に専念したから、「神の月」との名がつけられたのです。  さて、不二一族では、今月である「神成月」に子供が多く生まれることで有名でした。豊の母さまも、ちょうど昨日の22日がお誕生日ですし(←よく覚えてるな)、父である小角さまも旧暦の八月下旬──つまり今月の生まれだと聞いています。もちろん、豊も今月に生まれました。  相生村にいたときは、この十月のみに誕生する一族についてすごーく不思議に思ったものですが、今から考えるとこの現象は案外と単純に理解できます。おそらく、不二一族には子供を成すにもなんらかの掟があって、正月に子供を作るべしとのルールがあったのでしょう。なんといっても「神成月」に生まれてくる子なのですから、「子を成す」ことを「神を成す」の意に合わせて幸(さき)わったのでしょう。  さて、本日は神成月鬼日(かみなさりつきたまほめのひ)。  今日でこのブログを開設して二ヶ月になります。この間に出会うことが叶った多くの方に感謝を──毎日ご投票くださる方にも。  私も隣人のために手を動かせる人間になりたい。  明日は●綾一郎、神聖文字を見い出す●です。  新大将が皆さまに久しぶりにご挨拶します。  タイムスリップして、この活気あるガキ大将に会いにきなんせ。

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