山口小夜の不思議遊戯

2011/01/13(木)11:49

愛、燦々と、ということ

                 1987年、初秋、聖マグダレナ女子学院にて  【愛、燦々と、ということ】──すべての愛、燦々とさんファンに──  カーチンさんありがとうございます。とある重大な事実に気づかせていただけたのです。    こちらのブログも千日回峰ならぬ975日目を迎えましたが、この間、『鳥取物語』の番外編から一日も欠かさずにコメントを下さっている愛、燦々とさんについて語ったことがなかった。次回をもって「青木シリーズ」を書き終えるにあたり、どうか最後にこの人のことを熱く語らせてください。  さて、『鳥取』の当時、私は年末年始もなく、毎日更新を敢行していました。  愛、燦々とさんはこの「番外編」の連載中にお子を産み、出産後も、なんと一日も欠かさずブログを読み、コメントを書いてくださっています。  これは、人として「あり得ないこと」です。(←言葉の使い方がチガウ?)  産後、どんなに母体に負担がかかるか、どんなに時間、空間、身体、そのすべてが自分のものでなくなるか。万障を繰り合わせるとはこのこと。  愛、燦々とさんは、まさに万障を繰り合わせて、私の人生に寄り添ってくれています。  普段の生活で、ブログの記述で、私がどんな球を投げても、愛、燦々とさんは絶対に受け止めてくれる。  これまで何万球を投げたことだろう。愛、燦々とさんは、キャッチャーとしてこれまで一球も外したことがない。  それ以前に、私の投げたい球を読み取ることもできる。  あさのあつこさんの『バッテリー』、私はまだ読んでいないのですが、おこがましい表現をお許しいただけるならば、おそらくはそのようなことが書いてあるのではないかと思います。(愛、燦々とに申し訳なくて…読めない)。  この4月で愛、燦々とさんとの最初の出会いから25年。  四半世紀の時を一緒に過ごしてきた親友を、初めて私なりに考察してみたいと思います。  愛、燦々とさんについては、そのコメントの内容の優しさ、非の打ち所のない容姿からも、実相を容易に想像していただけていると思います。わかりやすい例を挙げてみるならば、愛、燦々とさんを「青木」のメンバーに当てはめてみろと言われて、自分を傷つけた人間さえも許す、優しさと強靭さを持ったチャンピあたりを連想する方が多いと思われます。  ところが、私にとって愛、燦々とさんは楓です。(もしくはマトモな飛雁)  愛、燦々とさんは、楓の性格をその深層に内包している。  私と愛、燦々とさんは、中学の入学式で出会いました。同じクラスでした。  出席番号が前後していた子が、なんでも愛、燦々とさんのお父様にお世話になったとかで(愛、燦々とさんのパパはお医者さま)、「あ!○○さん(←愛、燦々とさんの苗字)と同じクラスだ! 挨拶しなきゃ!」と言って駆けていったのを見るともなしに見ていて、その視線の先にいたのが、ショートカットでボーイッシュだった愛、燦々とさんでした。  自分の親の用件でクラスメートに「挨拶」をされて、完全に「うざそう」な態度を取っていたのが、愛、燦々とさんでした。  入学早々、お母様を病気で亡くしたクラスメートがいました。  その子が学校に復帰して以来、二週間くらい続けて、家に忘れ物をしてくるようになりました。  母親を亡くした中一の子にとっては、当然の反応だったと思います。  先生さえも何も注意をしなかったのですが、そんな日が続いたある時、学級委員だったか、なんらかの責任ある仕事をしていた愛、燦々とさんは、忘れ物を自己申告に来たその子に、「いつまでもだらしがない!」とはっきり言ったのです。  頬を打たれたような顔をした彼女。  クラスがしん、としたかどうかは覚えていない。  でも、少なくとも私の吸った空気は凍っていました。  ところが、翌日から、その子の忘れ物はぴたりと止みました。  またあるとき。  医者の娘である愛、燦々とは、豊富に“救急用品”を持っていました。  当時にはめずらしかった、H型をした絆創膏。両側がリボンの形に広がったサージカルテープ。  みんながそれを使いたがり、小さなキズでもすぐに愛、燦々とさんのところに駆け込みました。  そのたびに「これ、高いんだから、もったいない」と言い放つ愛、燦々とさん。  愛、燦々とさんの性格の真相は、こうです。  式典の送辞も答辞も、先生のご指名でこなす優等生。  だけど、愛、燦々とさんは、その性格の進路を大きく変えました。  入学から間もない5月、通学生が帰った後、マリアガーデンでバレーボールをして遊んでいたとき。  不注意で指を怪我してしまったのですが、一緒にいたメンバーの中に愛、燦々とがいたこともあり、私は誰にも言わないでおりました。つまり、愛、燦々との日頃の言動から鑑みて、まあ、言ってみても救急道具は飛んで来ないだろうと(笑)。  ところが、自由時間が終わり、ひとり水道のところに行って指を冷やしていた私に、近づいてきた人影がありました。  振り返ってみて驚いた。愛、燦々とです。  それから愛、燦々とは、慣れた手つきで──さらには惜しげもなく、なんとかテープだのガーゼだの、なんとか湿布だのを、私の指に巻いてくれました。介抱してくれたというわけです。  なぜ突然に変化したのか、それは愛、燦々とさんに聞いてみなければわからない。  でも、確かに変わった。  持て余すほどに身の内にたくわえていた優しさのタガが、その日を境に外れてしまったとしか言いようがありません。  以来、私は愛、燦々とさんをこう見ています。  楓が、あの意地っ張りな性格をすべてとろかしてしまったとする。  その最後に残った本質を、今、完全に体現して見せているのが、愛、燦々とさんなのだろうと。  気高くありながら、誰にでも分け隔てなく接し、忍耐し、ときには犠牲もいとわず、愛することだけを実行する愛、燦々とさんの言動は、楓の深層に共通しています。  ただし、聖マグダレナ女子学院のノーベル平和賞をいただき、いまだに当時の上級生にも下級生にも絶大なファンを持つその稀有なタレントは、私のごとく「難しいヤツ」を、学校生活、さらには寮生活の中で日常的に受け止めていたからこそ形成されていったのだと、私はヘンなところで自負しております。はっはっは。    ◆応援ありがとうございます!    青木シリーズも残すところ最終回となりました。   これまでのすべての立役者、愛、燦々とさんに──

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