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2017/10/09(月)03:48

伊藤左千夫『野菊の墓』(新潮文庫)

国内「い」の著者(28)

政夫と民子は仲の良いいとこ同士だが、政夫が十五、民子が十七の頃には、互いの心に清純な恋が芽生えていた。しかし民子が年上であるために、ふたりの思いは遂げられず、政夫は町の中学へ、民子は強いられ嫁いでいく。数年後、帰省した政夫は、愛しい人が自分の写真と手紙を胸に死んでいったと知る。野菊繁る墓前にくずおれる政夫……。涙なしには読めない「野菊の墓」、ほか三作を収録。(アマゾン内容紹介より) ■伊藤左千夫『野菊の墓』(新潮文庫) ◎牛乳搾取業から歌の道へ  伊藤左千夫は1864年に、上総の国・成東(現・千葉県山武市)で生まれています。生まれ故郷の山武市のホームページをみると、伊藤左千夫の生家は保存され、隣接する形で民俗資料館が建てられています。九十九里海岸の波音が聞こえるところで、資料館のかたわらには歌碑もあります。「牛飼いが歌よむ時に世の中のあらたしき歌大いに起る」と書かれていました。ネット検索では「あたらしき歌」とでてきます。「新潮日本文学小辞典」で確認しました。「新(あらた)しき歌」とルビがふられていました。  伊藤左千夫は明治法律学校へ入学するのですが、眼疾のために帰郷します。その後22歳のときに再度上京して、牧場に勤めます。26歳のときに独立し、牛乳搾取業をいまのJR錦糸町駅前で開業します。経営は順調で30歳ころから茶の湯や和歌と親しむようになります。  最終的には正岡子規に師事し、やがて後継者となるわけです。子規の教えにより、「写生の道」を追求しながら、小説も書きはじめます。『野菊の墓』を発表したのは40歳をすぎた明治39年のことです。  ここまでがホームページからのレビューです。JR総武線錦糸町駅の南口バスターミナルには、「伊藤左千夫牧舎兼住居跡」という碑が建っています。行ってみました。碑に向かって左側がバスの降車場になっており、降り立った乗客はおおむね急ぎ足で駅へと駆けてゆきます。碑に目をとめる人はだれもいません。終日人通りの絶えないこの駅前ロータリに、伊藤左千夫の搾乳牧舎があったとは思いもよらないことでしょう。  ほとんどの方は、『野菊の墓』(新潮文庫)のストーリーをご存知だと思います。『野菊の墓』は歌人として名をはせている伊藤左千夫が、はじめて書いた小説です。夏目漱石が伊藤左千夫に宛てた絶賛の書簡をご紹介します。 ――近代恋愛小説の代表作『野菊の墓』は、歌人伊藤左千夫の処女小説である。この頃同じく雑誌「ホトトギス」に『吾輩は猫である』を発表していた夏目漱石は、左千夫宛書簡で「野菊の花(注:ママ)は名品です。自然で、淡白で、可哀想で、美しくて、野趣があって結構です。あんな小説なら何百篇よんでもよろしい」と、その読後感を伝えている。(安藤宏・編『日本の小説101』新書館より) ◎はじめて書いた小説  主人公の政夫は、有名な旧家の次男坊で15歳です。従姉の民子は2歳年長で、病弱な政夫の母親の看病のために斎藤家にきています。2人は幼少のころから仲がよく、民子が奉公にきてからも親しく接しあっていました。    政夫の家は、矢切の渡しを見下ろす丘の上にありました。快活な民子はしじゅう政夫の部屋を訪ね、2人の仲は甘酸っぱいものに変わります。小さな村のことです。2人のことが噂になりはじめます。噂が広がるにつれ、2人の間はぎこちないものになってゆきます。心配した母親は政夫に村の噂を伝え、注意をあたえます。そのことが政夫の火に、油を注ぐ結果となってしまいました。    ある朝2人は母にいいつけられて、山畑に綿を摘みにゆきます。2人はお互いの気持ちを知りながら、愛をささやくでもなく畑をあとにします。その後民子は、意地悪な兄嫁に追い出されてしまいました。政夫は町の中学校へと進みます。    2人は引き離されたまま、時がすぎてゆきます。民子は政夫の母や親類に強く勧められ、別の家へ嫁いでしまいます。民子は身ごもり、流産で重態となります。一報を受けて政夫は駆けつけてきますが、すでに民子は帰らぬ人になっていました。民子は政夫の写真と手紙を、握り締めたまま亡くなっていました。2人の純愛を知り、周囲の人たちは涙ながらに政夫にわびます。    政夫は民子の墓に通い、野菊でいっぱいにします。   『野菊の墓』が永年読みつがれている理由を、久世光彦が思わずニヤリとさせられる感想をのべています。 ――この作品が百年にわたって読み継がれてきているのは、凡俗の純愛小説にはない、男の大変身勝手な自己陶酔が手放しと言っていいくらい正直に、稚いほどに無邪気に描かれているからなのだ。男にとって、自分が紫紺の竜胆(りんどう)で、すぐ傍に上目づかいに羞じらった野菊が咲いているほど気持ちのいいことはない。(集英社文庫編集部『私を変えたこの一冊』集英社文庫)  久世光彦のふれていている「竜胆」の場面を、『野菊の墓』本文から引いておきます。政夫と民子が山畑に綿を摘みにいったときの会話です。  花好きな民子は例の癖で、色白の顔に其の紫紺の花をおしつける。やがて何を思いだしてか、ひとりでにこにこ笑いだした。 「民さん、なんです。そんなにひとりで笑って」 「政夫さんはりんどうの様な人だ」 「どうして」 「さアどうしてということはないけど、政夫さんは何かなしに竜胆の様な風だからさ」  民子は言い終って顔をかくして笑った。 (本文P34より)  読み終わった私の気持ちを、代弁してくれている文章があります。それで結びたいと思います。 ――『野菊の墓』は、普通にいう文章の下手という意味では、もとより、下手な文章で、(いわゆる美文調のところがあったり、漢文脈の文章になったり、して、)書かれてあり、その言いまわしも、幼く、単純であり、ときに間のぬけたようなところもあるけれど、その幼い単純な表現のなかに、無類の、正直な、むきな、一途な、左千夫の人柄が、この小説の全編に満ちあふれている。それが、読む人の心をうち、読む人に涙をさそうのである。(宇野浩二。岩波文庫『野菊の墓』解説より) (山本藤光:2009.10.21初稿、2015.02.26改稿)

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