山本藤光の文庫で読む500+α

2017/10/09(月)02:23

石黒達昌『新化』(ハルキ文庫)

国内「い」の著者(28)

最新の技術を駆使して、永遠に近い生命を持ちながら生殖によって絶命する幻のハネネズミを再生するプロジェクトが今始まる。現在の遺伝子研究の最先端を行くサイエンス・フィクション。(「BOOK」データベースより) 石黒達昌『新化』(ハルキ文庫) ◎学術論文的な色彩  文芸誌のなかで、いちばん好きだったのは『海燕』(福武書店)でした。いまでも何冊かは書棚に残っていますが、残念なことに1996年廃刊になってしまいました。福武書店は、個人情報漏えいでゆれる現在のベネッセの前身です。優秀な新人作家を数多く輩出していました。ざっとならべてみます。 【おもな海燕文学新人賞】 1982年:干刈あがた『樹下の家族』 1984年:小林恭二『電話男』、佐伯一麦『木を接ぐ』 1987年:吉本ばなな『キッチン』 1988年:小川洋子『揚羽蝶が壊れる時』 1989年:石黒達昌『最終上映』 1990年:松村栄子『僕はかぐや姫』、角田光代『幸福な遊戯』  石黒達昌は『最終上映』(福武書店)で1989年「海燕文学新人賞」を受賞しています。本作は石黒達昌の本職である、癌の専門医らしい切り口で書かれた作品として話題となりました。  それから5年後、石黒達昌は『平成3年5月2日、後天性免疫不全症候群にて急逝された明寺伸彦博士、並びに、』(福武書店1994年)で、私を異世界へと案内してくれました。本書は当初タイトルのない作品でしたが、便宜的につけられたのが冒頭の長い1文でした。本書は横書きで、しかも写真や図表を駆使した、まるで科学論文のような作品でした。北海道の神居古潭でのみ生息していた、稀少動物・ハネネズミにまつわる科学者のドラマです。  今回紹介させていただく『新化』(ハルキ文庫)は、『平成3年5月2日、後天性免疫不全症候群にて急逝された明寺伸彦博士、並びに、』と、その後に発表された『新化』(ベネッセ、初出1997年)を全面改稿してまとめられたものです。  ハルキ文庫『新化』は、Part1 とPart2にわかれています。 Part2(『新化』改訂版)では、絶滅したハネネズミの再生ものがたりです。縦書き形式になった関係で、単行本で読んだときよりも学術論文的な色彩は消えました。文庫本帯カバーのコピーに「SFミステリー」とうたっていますので、そんな意味では成功だったのかもしれません。   ◎SF界に新種誕生  神居古潭(カムイコタン)は神秘的なところです。現在はトンネルができて、原生林を映す川面は見えなくなってしまいました。単行本ではじめて『平成3年5月2日、後天性免疫不全症候群にて急逝された明寺伸彦博士、並びに、』を読んだときに、あそこなら稀少動物ハネネズミはいると思ったほどです。 『新化』(ハルキ文庫)のPart1では、ハネネズミの発見から、絶滅にいたる経緯が細かく描かれています。ハネネズミは背中に小さな羽根をもった、ネズミの新種です。暗い所で羽根は発光します。また涙をながすことも認められています。  当初はハネネズミ捕獲のために、神居古潭を探しまわります。しかしまったく見つかりません。絶滅していることが、すこしずつ明らかになってゆきます。現存する2匹の交配に希望をたくします。しかし夢はかなわぬまま、2匹はほぼ同時に死亡してしまいます。  ものがたりは一挙に、絶滅種の再生へと向かいます。本書はハネネズミ研究の第1人者である明寺伸彦博士、榊原景一博士の急逝後に集めた資料を駆使した形で進められます。したがって通常の小説のような、滑らかな展開にはなっていません。 ――昨年十二月に急逝された榊原景一博士から、〈ハネネズミの絶滅の知られていない側面に関して〉詳述したい旨のお手紙をいただいたのが、氏の臨終のわずか三週間前でした。(本文P6より)  一般的には小説のなかに日記や手紙を挿入すると、違和感をおぼえるものです。ところが本書はちがいます。科学オンチの私ですので、難しいことはわかりませんでした。しかし地の文と資料が、みごとに融合していることは理解できました。  Part1で謎の失踪をした石川悟氏は、新鮮なハネネズミの屍骸を発見した町医者です。彼は外科医でしたので、それをもちかえり解剖して論文発表しています。 ――人間も含めて哺乳動物の腹の中は栄養を貪欲に取り込むための臓器で満ちている。しかしハネネズミの場合、胃も大腸も区別のつかない消化管は短い一本の管にすぎず、肝臓さえマウスの四分の一程度のものでしかないという報告が、博物学的発表としては異例なほどのトピックスとなる。(本文P13より)  Part2は、ハネネズミ研究者の3人目の死亡記事から、幕があけられます。 ――絶滅から七年後、一人の研究者が神居古潭での化石発掘中に落石に遭って死亡したことが、「七年目の犠牲者」という見出しのもと、北海道新聞に掲載され、記事を書いた記者から掲載紙が私の自宅へ送られてきた。驚くべき事に、記事に記されていた石川晶という人物は、「ハネネズミ研究初期の功労者であり、研究から間もなく失踪を遂げた石川悟氏の甥」であると記されていた。(本文P83-84より)  石川晶氏はハネネズミ再生のために、似た遺伝子をもつエンジェルマウスを発見しました。そして近親交配をくりかえし、わずかに羽根のある個体をつくりあげたのです。そんな矢先の突然の事故死だったのです。  100年も長生きするハネネズミは、生殖行為をすると死亡します。そしてハネネズミの研究をする人たちが、つぎつぎと姿を消します。  石黒達昌はいままで読んだことのない、新種のSFを提供してくれました。私は2つの作品の交配は、大成功だったと思います。単行本では「山本藤光の文庫で読む500+α」で紹介できませんでしたが、晴れて文庫になったのでリストアップさせてもらいました。 (山本藤光:2000.06.14初稿、2015.08.20改稿)

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