|
141:フォークの柄
帰りかけた恭二の耳元で、詩織がささやいた。 「一度家へ帰って、すぐに私の部屋にきて」 後ろ向きに手を上げて了解を示し、恭二は幸史郎たちとともに、藤野温泉ホテルを辞した。胸のなかで二種類の玉が、ぶつかり合っている。詩織の用件が、想像できない。よい話ではない、との思いが強い。 「札幌へはいつ発つんだ?」 「三日後。コウちゃんは?」 「おれは四月一日。学生寮はそれまで、空かないんだ」 幸史郎と可穂を宮瀬家の前で見送り、恭二は勇太に「駅まで送るよ」といった。二人で並んで歩くのは、久しぶりだった。 「恭二、おれな、株式会社・酪農猪熊を目指すことにした。近所の酪農家なんだけど、後継者がいないんで廃業するって、あいさつにきたんだ。おれ、そこを買うことにした。でっかい牧場になるんで、冬場は野菜のビニールハウスを経営しようと思っている。コウちゃんに相談したら、親父に格安で建設するように、頼んでくれるって」 「そりゃいいな。勇太はちゃんと、未来のことを考えているんだ」 「いつまでもひっそりと、酪農家を続ける気はないな。夏場は外国の研修生も受け入れるように、申請もしてある」 「勇太、おまえは力強いよ。感心した」 「おまえも、しっかりと勉強しな。帰ってきたときは、電話くれよ。今日みたいに会える友だちが、誰もいなくなるのが一番寂しい」 二人は標茶駅で、固い握手を交わす。お別れだ、と恭二は思う。ずっと以前に理佐とお別れをし、幸史郎と可穂にもお休みをいった。そして今勇太とも握手をした。一本のフォークの柄の部分だった関係が、先端部分に移行してしまった。恭二は勇太を見送り、最後の別れになるだろう、詩織の元へと足を運んだ。 胸のなかを、重い鉛の球が転がった。足取りが重い。恭二は力いっぱい息を吐き出し、みぞおちに力をこめた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2019年09月21日 04時31分57秒
コメント(0) | コメントを書く
[] カテゴリの最新記事
|